64.所有/Body
我々が当たり前のように所有しているもの。
「私の身体」
そう。
Bodyの所有である。
特に身体に何かしらの疾患を抱え、不具合があったりすると、Bodyが「自分のものでない」なんて考えられなかったりする。
けれど。
その根源をみていくと、そこには「Bodyの所有」が引き起こしているであろう何らかの要因があるものだ。
それを現すような面白い話を聞いたことがある。
玄米採食が基本の「マクロビオティック」という食事法がある。
2000年代に美容意識の高い層を中心にブームとなった日本発祥の食事法で、ハリウッドセレブの実践により世界的に認知された健康食である。
そのマクロビの料理を教えている先生から聞いた話で。
マクロビ界の先生方は “ 身体に良い ” とされる食事法を実践しているにも関わらず、病氣を発症される方が意外にも多いとのことだった。
まぁ「多い」と言っても自我都合の解釈なので、何と比較してそう表現しているかは不明だけれど、だとしてもその後の話が興味深くて。
それら病氣になられる方々はみな一様に「妥協をゆるさないマクロビ主義者」だったと言うことだ。
公の場はもちろん、プライベートでも玄米採食を貫き、そういった食事が摂れない状況ではほとんど何も口にしないという徹底ぶりだったとのこと。
身体によいとされる食事をしていてなぜ病氣に?
となるところだが、この「一貫する姿勢」が病氣を招いたのかもしれないなぁと。
それをMr.DXはこう表現する。
「これだけ身体にいいことをしているのだから。。。」
というBodyに対する『期待』が身体に負荷をかけけているのです。
「期待」=「善」
「マクロビの食事以外は口にしない」という強すぎる「善」を持ってしまうと、その対極となる「悪」も強くなる。
ということは
もしかすると
「玄米採食以外の食事」は、その先生方にとっては「毒」と同等の作用が働いてしまったのかもしれない。
なんとなくこれがいい。
という理由のない選択であればそれは「Bodyの声」かもしれません。
けれど
「身体にいいから」とか「こういう根拠で」という
明確な理由がそこにあるとき
それが「身体によい」とされることであったとしてもBodyにとっては制限になるんです。
Bodyに対するホントの「愛」とは、他者に対するそれと同じだ。
「愛」の本質とは、
やさしいコトバをかけることでも、思いやりをもって接することでもなく、
何のものの見方(善悪)も持たず、あるがままを受け入れることだった。
それはBodyに対しても同じのようで。
「これが身体にいい」「これは身体に悪い」と決めつけるのではなく、
いまの身体の状態をただ受け入れる。
それを続けていったその先に
「私の身体」ではなく「意識と身体」としてBodyがホントに欲していることに氣づけるのかもしれない。
【 お知らせ 】
『所有』の記事をまとめた『マガジン』を作りました。「所有の制限ってなんだっけ?」てな時にご活用下さいませ🍎
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