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コーヒーを飲んだだけの話

 おかしい。目星をつけておいたはずのドトールがない。いや、ないわけない。多分見落として通り過ぎてしまったのだろう。どうする?このまま歩いてどこか別の店を見つけるか?いや、それはちょっと危険かも知れない。なんせここは日本有数の長さを誇る天神橋筋商店街。うっかり歩き過ぎると遠い場所まで行ってしまう。
 少しためらったが引き返すことにした。通り過ぎていたとしてもまだそんなに離れた場所にいないはず。逆戻りすればすぐにドトールに辿り着くはずだ。しかし、ない。見間違えたのか?それともパラレルワールドか?だとしたらあのドトールは存在しないことになってしまう。そんなことを考えていたらUCCと書かれた喫茶店の看板がふと目に止まった。
 「ここに入ろう」そう思って店の入り口を開ける。間口は狭くて店内は奥へと細長く伸びている。入って左手に八席ほどのカウンター、その向かいの壁際に二人用の小さなテーブルが並んでおり、その奥が少し広くなっていて四人席以上のテーブルが幾つか配置されている。カウンターには四人組の年配の女性客が座っていた。THE大阪のおばちゃん達だ。しかしさほどやかましくない。さほどやかましくないけどさほどお淑やかでもない。丁度良い陽気さと静けさが店内にあった。カウンターの中にはこれまた年配の女性が二人で切り盛りしている。一人の女性は短めの白髪をタイトにまとめて白のワイシャツに黒パンツ、腰にサロンを巻いている。もう一人の女性も同じ出で立ちをしている。どちらもきちんと制服を着てシャキッとしている。見とれてしまうほど格好良かった。柔らかい声で「いらっしゃいませ」と言った。
 一人で入ったのでカウンターに座った方がいいかなと思い、指を立てて「一人ですけど」と言うと「どうぞお好きな席に座ってください」と言われたので、カウンター前の二人用のテーブル席の一番奥に座った。
 ほっとした。歩きすぎたのか、やや疲れていたのだった。この日は昼間に扇町で一本芝居を観て少し時間を空けて夕方からもう一本芝居を観る予定だった。梅田まで足を延ばして時間を潰そうか、それとも天神橋筋商店街を散策するか、迷った末に南森町まで歩いて大阪天満宮まで行くことにした。七月に入ったばかりの大阪は既に炎天下で想像していたよりも体力を奪われた。そこでひと時の涼を求めてこの喫茶店に辿り着いたのである。
 ほどなくして白髪の店員さんが注文を聞きに来てくれたのでアイスコーヒーを注文した。なんとなく背筋が伸びる。色んな事が丁寧なお店だと感じていたので、こちらも丁寧な客でありたいと思ったのだ。人をそんな気分にさせる空気がそこにはあった。
 コーヒーを待っている間、店内を見渡す。新しい店なのだろうか?随分きれいだけど何となく歴史も感じる。内装は昔ながらの純喫茶ではなく今時よくあるチェーン店のデザインに近いが、それでもどこか懐かしさが漂っている。古き良き時代と現代がバランスよくブレンドされている。時間はゆっくりと流れているが決して止まってはいない。
 ふと色んなことを思い出した。喫茶店、カフェ、ファーストフード、バー、その他飲食店、僕はこれまで随分とたくさんのバイトをしてきた。個人経営の店が多かったけど、大手外食チェーン店で働いていたこともあった。このお店に入る前にUCCの文字が目に飛び込んだのでUCC直営のカフェかと思っていたが、どうやら違うらしい。お店の内装や店員さんの出で立ちが個人の店っぽくないだけだった。偶然入ったお店だけど過去の自分がオーバーラップしてなんだが懐かしい気分になれた。
 アイスコーヒーを飲みながら文庫本でも読んで時間を潰すつもりだったけど、なんだか小説の中に埋没するのが勿体ないような気がして、店内の空気を楽しみながらアイスコーヒーを飲んでいた。基本的にコーヒーはブラックだけど久しぶりにシロップとフレッシュを入れた。冷たくて甘いものを欲するほど疲れていたのだと思う。そう言えばミルクのことをフレッシュと呼ぶのは関西だけらしいけど実際はどうなんだろう?どうでも良いんだけど。しかしほんの少しの時間潰しでこんなにも暑さにやられてしまうなんて、これが今の日本の夏だと思って諦めるしかないのだろうか。
 若いカップルが入って来た。
 「いらっしゃいませ。どうぞ、奥の広いテーブルに座ってくださいね」
 と白髪の店員が言った。
 「え、いいんですか?」 
 と若い男性客が言うと、
 「どうぞ、彼女の席取っておいたから」
 と返す。店内に笑い声が響く。
 常連だろうか?一見客にもそんなことを言いそうな雰囲気があった。壁際に座っている僕の横を二人は通り過ぎて奥のテーブル席に向かう。なんとなく目で追ってみると別の四人掛けのテーブルに二人連れの外国人客がうなだれるようにして眠っている。しかしこの店にはそれを咎める空気はない。海外の旅行客も日本の暑さにまいっているのだろう。
 壁の時計を見ると、あと十五分ほどで店を出なければならなかった。時間潰しはあっという間だ。もっと早くこの店に辿り着けば良かったのにと思った。一人でコーヒーを飲みながらぼーっとするにはちょうどいい時間だったかも知れないけれど。
 
 店を出て芝居が上演される扇町ミュージアムキューブに着くとまだ開場十分前だった。思ったよりも喫茶店は劇場の近くにあった。「もう少しゆっくり出来たのに」そう思いながら夏の西日に目をやった。
 
 


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