介護現場の知識ゼロのまま"現役集団"に挑んだ7日間 ~介護福祉士実務者研修、もう一段上の世界~
前回「介護なんて無縁だった私が、初任者研修を修了するまで」という記事を書いたところ、驚くほど多くの方に読んでいただきました。
そして今回は、その続編です。
初任者研修が「介護の世界への入り口」とすれば、今回はその入り口を通り抜けた先で、現役のプロたちの輪の中にひとり放り込まれるような経験でした。

1.もう一段上を目指した理由

2026年2月から4か月間かけて、介護職員初任者研修を修了した。未知の世界を一度のぞくだけなら、それで十分だった。
しかし介護という仕事の奥深さを知ってしまい、思い切ってもう一段上の資格「介護福祉士実務者研修」(以下、実務者研修)への申し込みを決めた。
実務者研修は、国家資格である介護福祉士を目指すための資格で、初任者研修よりワンランク上の内容だ。
受講者は現役の施設職員が中心で、介護経験もなく初任者研修でさえ四苦八苦していた私が挑むのは、正直無謀に思えた。
それでも決断できたのは、初任者研修の先生に「初任者研修でしっかり勉強していれば大丈夫」と言われていたこと、そして日程を選べば、そのときお世話になった先生のクラスに入れると知ったからだった。

2.クラスメートは、自分以外全員が"現役職員"だった

研修初日、どんな人たちと一緒になるのだろうと、少し緊張しながら教室に入った。初任者研修のときは自分と同年代の人が多く、それだけで少し安心できた。
しかし今回は違った。見渡す限り、私と年齢が近い人は見当たらない。ほぼ全員が20~30代と思われる若い人たちだった。女性7名、男性は私を含めて4名。
自己紹介が進むにつれて、年齢だけの問題ではないことがわかった。私以外の全員が、現役の施設職員だったのだ。
当初から想定していたものの、実務未経験者が自分だけ、というのは、想像以上にプレッシャーがかかる状況だ。前回以上に本気で取り組まなければ、と背筋が伸びる思いだった。
さらに、11名のうち2名はインドネシアからの参加者だった。男性と女性がひとりずつ。
日本語だけでも大変なはずなのに、実務者研修についていけるのだろうか。そのときはまだ、他人事のように心配していた。

3.先生のモードが変わると、これほど空気も変わるのか

緊張をさらに高めたのは、先生の雰囲気が初任者研修のときとまるで違ったことだった。あのときはフレンドリーな笑顔が印象的な先生だったが、今回はどこか違う。
表情はキリッと引き締まり、指導者としての威厳のようなものが漂っている。一瞬「あれっ、もしかして違う人?」と思ったほどだ。
考えてみれば無理もない。実務者研修は、施設で働く現役職員たちが国家資格に挑む準備として集まる場だ。
先生の責任も重いだろうし、今回は言葉のハンデを抱える2名の外国人生徒がいる。
全15回だった初任者研修に対し、実務者研修はわずか7回。回数だけ見ると軽そうに思えるが、実際はどうなのだろう……。

4.座学から、いきなり実践モード
第1回・第2回は初任者研修と同じく座学から始まる。しかしテキストの読み合わせなどは行わず、第3回以降の実技編に向けたウォーミングアップと呼ぶべきものだった。
架空の利用者の基本情報をもとに情報分析を行い、最適な介護方針を検討、施設サービス計画書を作成していく。
模擬とはいえ、この計画書は実技編でそのまま使う土台になるため、手を抜くことは許されない。生徒たちは皆、真剣な表情で取り組んでいた。
第3回からは、いよいよ実技編だ。初任者研修では、多少の間違いや失敗があっても、どこかご愛嬌で済む空気があった。
しかし今回は、実際に施設利用者を介護することを想定した内容。緊張の質がまるで違った。
正直に言えば、前日は眠れないほど不安だった。現役職員の人たちと同じようにできるはずがない。進行を遅らせ周りに迷惑をかけるのではないか。——そんなことばかり考えていた。
ところが、いざ始まってみると、想像していたほどの惨状にはならなかった。理由は2つある。
・初任者研修で学んだ内容と重なる部分が多く、私にも一定の下地があったこと
・参加者の大半が初任者研修を受けておらず、講座のプログラムを初めて学んでいたこと
現役の職員は、それぞれの職場で日々実務をこなしている。しかし、講座で教わる手順やルールは、個々の職場のそれとは、必ずしも同じではないらしい。
研修独自のやり方を新たに覚えなければならず、それが結果的に、私との実力差を埋める思わぬアドバンテージになった。

5.助けるつもりが、助けられてばかり

当初、授業についていけるか気になっていたインドネシア人の二人について、少し詳しく紹介したい。
先生は「日本語だけでも大変よね」と繰り返し励ましていたが、その心配は不要であることが次第に分かってきた。
女性のSさんは来日5年、男性のTさんは来日6年。ともに介護施設で働く現役の介護士で、日本語能力も高い。実際、生徒同士の雑談にもまったく支障がなかった。
休み時間に直接聞いた話では、インドネシア語は母音が日本語に近く比較的学びやすいらしい。
しかし漢字は別物で、とにかく苦労すると口を揃えていた。「漢字嫌い! 難しい!」——それが彼らの口癖だった。
介護用語には難しい漢字が頻繁に登場する。
「麻痺、咀嚼、嚥下、褥瘡……」。しかし驚いたことに「漢字嫌い!」と言っていた二人は、日本人の私でも書けない難しい漢字をさらさらと正確に書いてみせてくれた。
極めつけは、私がノートに書いた「嚥下」の「嚥」の字を見て、「少しちがいます」と指摘され、正しい字を教えてもらったことだ。
「あまり使わない漢字だから誰でも間違えますよ」、慰めの言葉が胸に突き刺さる。「穴があったら入りたい」とはまさにこのことだ。
その秘密は彼らのノートにあった。日本語の文章の周りに、母国語での注釈や発音の仕方が、細かい字でびっしりと書き込まれている。
一度聞いただけで複雑な手順を覚えてしまう物覚えの良さは、特別な能力ではなく、見えないところでの努力の結晶だったのだ。
実技のグループワークでも、助けるどころか助けられてばかりだった。「順番が違いますよ」「向きが反対です」とそっと教えられ、「大丈夫、落ち着けば必ずできます」と励まされる。
これではもう、どちらが外国人か分からない。祖国を離れ、異国の地でひたむきに努力する彼らの姿勢には、口先だけの気合いや根性では到底かなわない。そう痛感させられた。

6.「当たり前」だと思っていたことが、当たり前ではなかった

研修カリキュラムのひとつに「ボディメカニクス」がある。
人の体の構造や力学的な原理を活用し、効率的かつ安全に体を動かす技術のことで、介護や看護の現場では、介助者の腰痛予防や利用者の安全確保のために欠かせないとされている。
これは初任者研修で学んだ内容で、私にとっては復習のようなものだった。「介護の基本中の基本」と聞いていたので、現役職員の皆さんにとっては分かり切ったことだろう、と勝手に思い込んでいた。
ところが実習が始まると、教室の空気が一変する。先生の指示通りに技術を実践する小柄で華奢な女性が、体格の良い男性の体を、いとも簡単に起こす、そして移動する。まるで手品だった。
「これはすごい」「明日から仕事で使える」——歓声にも似た声があちこちから上がる。
不思議に思った私は、同じチームのメンバーに聞いてみた。「すみません、ボディメカニクスって、介護の職場では誰でも知っているものじゃないんですか?」
返ってきたのは、意外な答えだった。
「私は、こんなふうに教えてもらったことはないです」
「渡されたマニュアルで見ただけ」
「ずっと力任せにやっていました」
研修体制は勤務先の事業所によって様々なのだろうが、実際の現場では、日々の忙しさの中で丁寧に教育する余裕はないのが実態かもしれない。
先生は最後にこう言った。
「自分の体は、自分で守るしかない。ボディメカニクスの基礎をしっかり身につけて、自分を大事にしてね」。
生徒たちは、深く頷いていた。

7.まさかの誤算、医療的ケア

実務者研修は全7回。うち5回が基本講座、残る2回が「医療的ケア」という特別講座だ。
この2回で学ぶのは、喀痰吸引と経管栄養だ。本来は医療行為にあたり、介護士が行うことはできない領域である。
そのため、この特別講座だけは、クラス担当の先生ではなく、ベテラン看護師の先生が担当する仕組みになっていた。
私は勝手に「たった2回だし、あくまで参考程度だろう」と軽く考えていた。ところがこれが大きな間違いだった。
わずか2日間で、喀痰吸引3パターン、経管栄養2パターン、合計5パターンの手順を完璧に覚え、実技試験に合格しなければならない。
人命に関わる行為だけに、大体できた、少しだけ間違えた、では済まされない。すべての工程を、完璧に遂行することが求められる。
医療的ケアの特別講座は、ベテランの女性看護師が担当すると聞いていた。「白衣の天使」という言葉のイメージそのままに、優しく教えてくれるのだろう——そんな想像は、開始5分で崩れ去った。
定刻。先生は教室全体に響き渡るほどの大きな声と明瞭な滑舌で、2日間のスケジュールと留意点を説明し始めた。
雰囲気は、先生というより司令官に近い。教室にはたちまちピリッとした緊張感が漂い、生徒たちは背筋を伸ばして耳を傾ける。
説明が終わるとすぐに実習に移り、そこには一切の無駄がない。人体模型を使いながら手順を説明する先生の手元を、皆が食い入るように見つめていた。

8.嵐の日、鬼教官が見せた素顔

折しもその日、関東地方は梅雨前線と台風の影響で、午後から天候が荒れ始めていた。
ザーザーと降り出した雨は次第に勢いを増し、窓ガラスを激しく叩く。ゴロゴロと低く唸っていた雷鳴は、やがてドーンッと間近で炸裂するようになった。
教室の中では厳しい実技指導、窓の外では雷鳴と豪雨——人体模型を相手に経管栄養の手順と格闘する私たちを、稲妻の光が照らし出す。あとから思えば、あれはまさに「嵐の医療ケア実習」と呼ぶにふさわしい光景だった。
2日目は6名ずつの少人数に分けられ、応援の看護師も加わり先生2名体制で指導と試験が行われた。生徒3名に先生1名、逃げ場のない布陣だ。
開始から終了までの長い工程の中で、わずかなミスも許されない。少しでも間違えれば、容赦なく指摘され、やり直し。
そうして緊迫の2日間が終わり、生徒6名全員の技術試験が終了した。この時点で合否は分からないが、試験中の様子と先生の反応から、おそらく全員合格だろうという空気があった。
先生は最後に、優しい声でこう言った。
「2日間の研修は、これで終わりです。皆さん、よく頑張りましたね」。
そして初めて、私たちに向かってにっこりと微笑んだ。
この2日間で、初めて見る先生の優しい笑顔だった。その表情には、それまでの鬼教官の面影はどこにもなく——ああ、やはり看護師は白衣の天使だったのだ、と思わずにいられなかった。
※実際は白衣を着ていたわけではありません。

9.アイコンタクトと体重移動で救われた、最終試験

厳しい医療的ケアの試験は終わった。しかし、それとは別に、実務者研修そのものの修了試験に合格しなければ、プログラムを終えたことにはならない。
最終日の試験は、あらかじめ練習していた4つの課題から1つが出題される仕組みだ。今回私たちに出題された課題は「排泄介助」だった。
片麻痺の利用者を想定し、麻痺側を常に補助しながら、プライバシーにも配慮して介助を行わなければならない。
工程が長く、途中で手順を見失いがちな私は、最後までミスなくやり切れるか、開始直前まで顔がこわばるほど緊張していた。
そんな私を助けてくれたのが、試験のパートナーを務めてくれたインドネシア女子のSさんだった。
私が介護士役、Sさんが片麻痺の利用者役を演じたのだが、Sさんは、次の工程に移る直前になると、試験官の先生に気づかれない絶妙なアイコンタクトと、さりげない体重移動で、次の手順のヒントを送ってくれるのだ。本当に感謝しかない。
そうして私は、無事?最終試験に合格し、介護福祉士実務者研修の修了資格を手にすることができた。

エピローグ

わずか7日間。しかし、これまでで最も長く、苦しい7日間だった。それでも今回もまた、同級生たちに助けられ、何物にも代えがたい人とのつながりができた。
すべてのプログラムが終わり、生徒同士、そして先生とも、別れを惜しみながら教室を後にした。
一人ひとりと、この先また会うことはないかもしれない。それでも、現場のどこかで働きながら、ふとお互いの顔を思い出すことがきっとあるはずだ。
厳しい先生、優秀すぎるインドネシアの二人、嵐の日の医療ケア実習——この7日間で見た景色は、初任者研修のときとはまったく違う体験だった。(文:千里ふうた)
出典:未来ケアカレッジHP




🔽(こちらの記事も好評です)
📚千里ふうた 電子書籍「 おでかけガイドブックシリーズ」⬇️
