落葉の茶座【鎌倉の隠者31】
温暖な鎌倉では正月でも名残の紅葉がまだ枝に残る所もあり、12月下旬が落葉の盛りだ。
我が荒庭は不精なのと小春日和にふかふかの落葉に座して野点を楽しむためとで、一切落葉掃きをせず溜まるに任せている。
茶碗を用意した所で気付けば抹茶が切れていて、野点珈琲になった。茶菓子も家人用に買置いてあるコンビニのマドレーヌに変更だ。

麦藁手菓子皿 明治時代
小春のような陽差しがやや傾いた午後の落葉の茶座では、昔からの避寒地である鎌倉の良さを十分に堪能できる。
両手のひらで包む抹茶碗の温もりと柔らかな落葉の座り心地が、冬ならではの暖かな幸福感を与えてくれる。
珈琲も茶筅で泡立てれば幾分まろやかな味になり、より香りも立つのだ。
掌にすっぽり収まる古びた織部茶碗のひょうげた形は、こんな小さな幸にして十全知足たれと語りかけているようだ。
コンビニの洋菓子もYoutubeで話題になったように、フランスの一流パティィシエにも劣らない味わいで、例の血糖の呪いで一齧りしか出来ないこの隠者も十分満足だ。
枯景色に変わりゆく周囲の山からは時折越冬の餌を探す栗鼠の鳴声が聞こえ、風も無い穏やかな一日はゆっくりと過ぎて行く。
掃かざれば風が設らへ落葉茶座 (自詠)
年末の我が荒庭に足を傷付けだいぶ弱った狸が居着いた。近づいても逃げないほど弱っていたので、餌を置いてやったら次の日も庭の日当たりの良い落葉溜まりで寝ていたのだ。

鎌倉は山が多いから狸もさほど珍しくは無く、これまでも度々我家の庭に現れ何やらがさごそやっていたが、庭に住み着くのは珍しい。
確か狸は雑食と聞くから家の余り物の餌を何日か置いてやり、なんとか回復して裏山へ帰れれば良いのだが。
鎌倉市の条例では狸は保護しても良い動物で、アライグマやリスなどペットが逃げて繁殖したのは保護したり餌をやったりしてはいけないらしい。
近年の鎌倉市は野良猫撲滅運動までやっていたのだから、俗世間の決め事に気高さを求めても虚しいだろう。
落葉積み病める獣の夢深む (自詠)
この狸は幾日かを荒庭で過ごした後、哀れにもクリスマスの夜にまるで「フランダースの犬」のように天に召された。
終命時にはクリスマスライブでサラ・ブライトマンが歌った「アヴェ・マリア」の神々しく慈愛に満ちた歌声が、窓外にまで聴こえていたかもしれない。
私にとって数日でも野生の狸と身近に過ごし、聖夜にその命を看取ったのはまるで夢幻界の出来事のようだった。
鎌倉の山々は植林のない古からの自然林で、木の実や昆虫類など小動物の餌は豊富にある。狸も栗鼠も我が谷戸の守護霊鳥である蛾眉鳥も何とかこの冬を無事に越して、またあの生命感に溢れた美しき春を皆で迎えたい物だ。
獣らの山に聖夜の星豊か (自詠)
旧暦生活の我家の12月1月は年の瀬も正月もなく、庵に引き籠れば淡々と月日の流れる文字通りの幻冬と言える。
正月の鎌倉の混雑をよそに、多量の古本に埋まり書画や音楽の美に浸るには恰好の季節だ。我が幽居と荒庭の小世界に籠っていても、千変万化する自然の諸相を観想するだけで極上の楽しみとなる。
返って俗世から離れた単調素朴な暮しの方が、日々身辺に起こる小さな奇跡に敏感になれるのだろう。
