夢幻の玉椿【鎌倉の隠者32】
寒中の玉椿は少しづつ膨らんで来る蕾を愛でる物なのに今年は早くも年末からどんどん咲き出し、その蜜は冬に貴重なご馳走だから鳥達が啄きに来て花びらがすぐ傷んでしまう。
なので良い枝の蕾だけは痛む前に摘んで小壺に活け、屋内の暖かさで数日して咲き出すのを楽しむ。
暦では今週の5日が小寒だったが、我が荒庭は寒に入る頃にはこの椿の蜜を目当てに来る笹子の鳴声も聞こえ出す。

古銅仏 明時代
我家で例年真っ先に蕾が膨らむのがこの可憐な薄紅色の椿だ。この冬の早い咲き出しでこの蕾も玉椿と呼ぶには少し先が開きかけている。
古仏と並べてやや暗めの場所に置きぼんやり眺めていると、蕾自らが夢幻の春光を発しているように思われる。
昔は玉椿と言えば白玉椿を指していたようで、私も薄紅色はもっと春本番の花のイメージが強いが、我家の白玉の蕾が膨らむのはこの薄紅のもう少し後だ。
荒庭にはこの他に春咲きの「桃太郎」と言う3月頃に咲く薄紅の別品種もあり、春を通じて次々と10種近い椿が咲き競う。
亡父が好んだ花だったので、早咲き遅咲き、紅、白、薄紅、斑といつの間にか増えたようだ。椿は19世紀にヨーロッパに輸出され、向こうでも大人気となった。
花の少ない時期に咲き樹高もやや高いので、洋風庭園の薔薇の後ろに植えるのに丁度良かったらしい。
枯園に月日は巡り冬の果
星の数ほど椿の蕾
(自詠)
玄冬に見る幻は、麗しき常春の田園風景だ。
薄くれないの蕾が放つ光を春への標とし、現代日本人が失ってしまった理想の楽園をその夢幻の田園に築きたい。
写真は大正時代の美しき暮しを想起させる竹久夢二の詩集童謡集だ。

絵唐津徳利 江戸時代
古萩碗皿 明治時代
夢二の詩や童謡は彼の美人画や小唄の人気に隠れてあまり知られていないが、この『DONDAC』は西條八十の『砂金』などと並ぶ名詩集だと思う。
今読むと彼の詩画の中にしか無いような古き良き暮しも、詩としては一見たわいなく思える子等も大人達も、ファンタジー映画の名シーンのように印象的だ。
特に春の情景は懐かしき光輝に満ち、これぞ現代日本では失われた理想の故園と思えるのだ。
文机脇に活けた寒椿の蕾が膨らみ開くのと共に、麗かな夢幻の春野が我が眼裏にも広がって行く。
いつの日か我が魂が帰り着くべき故郷は、今ではこのような詩の中にしか無いのだろう。
古き良き美しき郷まだあらば
美しきまま詩中に隠せ
歌一つ詠めばいつしか魂の
還る辺に花一つ咲くらむ
(自詠旧作)
思えば鎌倉の我が谷戸も保護指定の山々や路傍に残る小さな自然だけに観応し、新しい醜い人工物さえ眼に入れなければ大都会よりは余程ましなのだ。
ただ震災や戦災も免れて生き残って来た古い和風住宅や趣味の良い庭が、次々と壊され新しい醜い物に建て替えられて行く中で、美しい暮しや風習を子々孫々に伝える術も限られて行く。
私にしても詩歌や絵画でしかその美風を残す手段は無く、年々忸怩たる想いが強まるばかりで情け無い。
まあ中世鎌倉人は末法思想で全ての物事が次第に悪化して行く定めの中を、精一杯生きて禅や幽玄の美にまで到達したのだから、この隠者も諦めずに精々足掻こうと思う。
