冬至の祭壇【鎌倉の隠者30】
我家の正月は旧暦でやるので、この先立春までは世間のクリスマスも暮正月も関わりなく静かな冬籠りの日々だ。
その代わり例年ささやかな冬至祭をやっている。
古代世界ではどこも太陽神の復活する日として冬至を盛大に祀っていたのだが、キリスト教などの一神教に太陽神や地母神がいては困るので冬至祭は必然的に下火となって行った。

中国の古句の「一陽来福」は陰気が陽気に変わり冬至からは良い事が続くと言う意味で、各戸でこの札や書軸を貼ったり飾ったりする。
残念ながら現代の我が国では、僅かに冬至南瓜や柚子湯に古代の太陽神信仰の名残が伺えるのみとなっている。
我家の冬至祭りも小さな祭壇を築き鬼柚子と冬瓜に地産の三浦大根を供え、晩に冬瓜スープを食し柚子湯に入るだけの簡素な祭礼だ。
自然と共にある暮しを充足させるこうした四季折々の儀式を子々孫々まで伝えて行くのは、古き良き文化を享受する者としての義務でもあろう。
写真の本は飯田龍太の第一句集『百戸の谿』で、父蛇笏の後の甲州の大庄屋を継いだ山村暮しを格調高く詠んでいる。
山河はや冬かがやきて位に即けり
冬ふかむ父情の深みゆくごとく
龍太の句からは厳しい自然の中での暮しこそが、いかに美しく豊かな想いを育むか良く伝わってくる。
地方の農村は今も密接に自然と結びついているので、四季折々の風雅な行事が残っている所も多い。
鎌倉も昭和30年代までは田畑が広がる農村だったが、その後の急速な宅地化で古き良き農耕行事など今では全く見られない。
現代の都会では季語になっている風物を探すのにも身近にはその影も無く、かなり遠出しなければ見つからないのだ。
先週は日暮頃から時雨模様となる日が多かった。鎌倉では街中は降らなくても山際だけ時雨れる事も多い。

時雨の風情を味わうのに取って置きの名句の軸を出してじっくり眺めよう。
幻の鹿は時雨るるばかり哉
これは楸邨が良寛の鹿の和歌の書軸を見つけたものの、手元不如意で買い逃した時の無念さで出来た句だと聞く。
俳句にしては稀有な幽玄体で、私は戦後俳句のベスト3に入る名作だと思う。
長年この句の短冊か軸があればと探していたところ今年めでたくネットオークションで見つけ、現代人に解読し難い草書行書の俳句は例によって哀れなくらい安値で入手出来た。
また楸邨は晩年書道に目覚め古硯や文具四寶の収集に入れ込んだようで、写真右下の句集『まぼろしの鹿』の表紙にはその風字硯の図を使っている。
この句集の初版も長年見つからなかったのが、近年ネットショップに相次いで出て来て我が書棚に加わった。
ただこの名句が常に頭の中にあるせいで、自詠の時雨の句がみな惰句に見えるのが辛いところだ。
冬は深く思索に浸るには一番良い季節で、冬至頃の長い夜にはあの重厚長大なマーラーやブルックナーのシンフォニーでも聴きながら、夢幻の時をゆっくり過ごすのが良い。
食料や珈琲をたんと溜め込んだ古家で、古書の山に囲まれぬくぬくと引き籠り続けよう。
蛇笏龍太父子の甲州の厳しい冬に比べれば、毎日が小春のような鎌倉で暮らせる事を感謝したい。
