幻冬の真紅【鎌倉の隠者29】
鎌倉のあちこちに冬花の真打である紅山茶花がひっそりと咲き出し、これから正月前まで年中で最も静かな時を迎える。
我が荒庭の山茶花も冬枯れの谷戸の中に鮮烈な紅光を発している。
冬ざれの極みに活ける真くれなゐ (自詠)

筒茶碗 バーナード・リーチ作
鎌倉の紅山茶花は花も葉も他の色の山茶花や椿より一回り小さく、いかにも冬の生命感が凝縮した感じがする。
我が幽陰の冬籠りに長く寄り添ってくれる花で、湯呑の温もりを掌中に小半刻眺めても飽きない貴玉と言えよう。
この花には李朝の小徳利がぴったりだろう。古器の侘びた色合いが真紅の瑞々しさをさりげなく引き立てるのだ。
またバーナード・リーチ作の湯呑の、枯れ色の中にほんのりと浮かぶ緑の釉景色も、花の紅を引き立てる良いアクセントになった。
写真は薄い冬陽の差す窓辺で夕暮れ前に撮っていて、天地を包む玄黄の光が反映した色調も良い。晩秋から冬にかけての寂光の谷戸の透徹とした美しさと淋しさは、ひとり静かに詩魂を練るのに最適な環境だ。
風雅の士たる者ならこの小さな真紅の花の背景に、遥かなる枯山河の寂静たる光景が見えるだろう。幻冬の真紅はそれに観応できる者を離俗の夢幻界に誘ってくれる色だ。
真紅で思い浮かぶのは前川佐美雄の名作『くれなゐ』だ。

古丹波徳利 江戸時代
この佐美雄の『くれなゐ』と次の年に出した歌集『大和』では、敗戦後には滅亡してしまう古き良き短歌的抒情と、大和地方の歴史的厚みを背景とした浪漫主義的な歌風を味わえる。
集中の最も美しく悲しい一首を紹介しよう。
春の夜にわが思ふなり若き日の
からくれなゐや悲しかりける
原作は見ての通り春の歌なのだが、私はこれをいつの間にか「若き日のからくれなゐや悲しかり」の部分だけで覚えてしまい、脳内では勝手に冬の句として浮かんで来るのだ。
春の色なら薄紅や萌黄色だろうし、寒い時こそ真紅が最も映えると思うのだが………。
さてこの絶唱に合わせる花器としては、上の李朝徳利より強めの色調の古丹波の対徳利を選んでみた。
微かな赤味を残し黒ずんだ赤ドベ釉の壮絶な窯変が、佐美雄の歌と山茶花の鮮烈な紅とも合うだろう。
残念ながら戦後の佐美雄はそれまでの良さを全て捨て、前衛方面に彷徨う事になる。彼だけで無く敗戦により歌壇全体が日本の伝統を捨てて前衛に走り、やがて口語短歌ポップ短歌に制圧されて行くのだ。
さて年末で楽しみにしていた句会の題が、一つは「おでん」別の会では「鬼柚子」だった。こう言った厨俳句系の季語は昭和頃の女流俳人達が上手かったが、私も家事や介護でキッチンに居る時間は長いから数だけならどんどん詠める。
俳諧は元々伝統和歌の美意識に対するアンチテーゼから生まれた訳で、平俗卑近な題材で気軽に楽しむのが正道なのだ。
おでん酒話はいつも煮崩れて
鬼柚子はどこに据ゑても傾ぐ質
(自詠)
この隠者程度の諧謔ではこの辺までだろう。
鎌倉の詩人田村隆一は晩年こういった諧謔を上手く取り入れ、軽快なお散歩詩をよく作っていた。私も最晩年はそんな軽妙洒脱な俳諧で、毎日をのらりくらりと愉しむのが吉かもしれない。
