春色の茶器【カフェ浪漫主義36】
春も弥生に入れば鎌倉は杏や桃が咲き出し、その蜜を吸いに来る鶯や蛾眉鳥の美しい声が毎朝聴こえてくる。
この花鳥楽土の至福の時には、我が「カフェ浪漫主義」なりに選び抜いた茶器を使いたい。
春色を思わせる茶器と言えば、まず志野だろう。茶碗にしても珈琲碗にしても、ほんのりと薄紅に透けた柔らかな肌合いは、まさに百花繚乱の春に用いるためにある。

鎌倉彫菓子皿 大正時代
越前お歯黒壺 江戸時代
近年はこの薄紅志野を桜志野と呼び旧来の紅志野と区別するようだ。昭和の紅志野は橙からやや茶色がかった紅だったが、この桜志野は仄かに紫を帯びた極めて品の良い薄紅色に仕上がっている。
抹茶や鶯餅の明るい緑にも良く映えて、色の取合わせとしては申し分無い。
古くは桃山茶陶にも稀にこの発色の物があったが、近年一部の窯の努力でようやく安定して量産出来るようになり、価格もこの隠者にも手の届く範囲なので有難い。
おかげで春色の志野は抹茶煎茶用も珈琲用もみな数客づつ揃えられ、我が幽居の茶時にすべからく気品と華やぎを添えてくれた。
もちろん、さらに上手の作家物もあるので湯呑の良作があれば何とか入手したいが、陶芸作家は高値で売れる抹茶碗と酒器ばかりに力を注いでいて、湯呑には滅多に良作が見当たらないのだ。
また煎茶用の茶器だが、煎茶道の茶碗や急須はみな玉露を一口ほど(30ccくらい)淹れるような小ささで普段の茶時には使い辛く、現代の暮らしに適した煎餅用の碗は幕末明治以降から作られた湯呑か汲出が良いと思う。
我家には女の子がいないので雛祭りはやらないものの、桃の節句の雰囲気だけは楽しみたい。

古萩湯呑 大正時代
近年人気沸騰している大正時代の挿絵画家、鰭崎英朋の美人画で雛祭りの気分を出し、桃と菜の花と雛霰で可憐な彩りに設えてみた。
仲春の明るさ美しさを十分に楽しむためには、上巳の節句(桃の節句)は欠かせない。
古の宮中でも幕府でも最も重要な行事であった五節句の一つで、私も桃の節句をやらないとその後の桜時の気分に移れない。
桃と菜の花は古越前お歯黒壺に活け、甘酒には英朋と同時代の大正頃の萩の筒形湯呑を使おう。
使い込まれた古萩の柔らかな色や肌合いは、日本の春秋の自然の色調と良く調和している。この程度の飾り付けでも十分に弥生花時春中ばの心浮き立つ華やかな雰囲気になっただろう。
春の暖かさが増してくると、ショスタコーヴィチの「ピアノ協奏曲第2番第2楽章」のような華麗なピアノ曲が聴きやすくなる。
ショスタコーヴィチがピアニストの息子のために作曲したこの曲は、前衛的な彼のイメージに反して、ベートーヴェンの「皇帝」のように悠然としていて美しい。少人数編成のため、ほとんどの演奏でオーケストラが弱くなってしまうのだが、このアレクセーエフの演奏はピアノとオケのバランスが良い。
悲劇的な弦楽にロシアらしい神秘的なピアニズムが調和していくこの楽章は、時代性や土着性を超えた普遍的なカタルシスがある。もの哀しい前奏にピアノ独奏が加わる瞬間はまさに春の訪れを感じさせる。
我が谷戸の花や鳥達もどうやら冬を乗り越え、喜びの春を迎えられたようだ。
己が身の周りに美しい物や美しい風習のあるのが如何に幸福な事か、この春はそんな古き良き文化風土をしみじみと感受したい。
