行く春の小径【鎌倉の隠者41】
昔の佳人選良達の挨拶は必ず自然の時候から始まった。古人達はそれだけ暮しの中の自然の四季を楽しんでいたから実感もあったが、今や自然を超克した現代都会人はそんな挨拶も月並で空虚な定型文にしか思わないだろう。
それでも私には他に言葉も浮かばないので、毎回冒頭の数行は伝統墨守の時候の挨拶で御容赦願いたい。
我が楽園も穀雨頃となれば草木の萌葱色や若葉色も瑞々しく、子育て中の鳥達は益々活発に飛び回っている。
芽吹から若葉に移る1週間ほどの劇的な色彩と光の変化は、我が老眼を日々洗ってくれるようで、散歩の足もついつい伸びる。

行く春の情趣に浸りながらの散歩に持って行くなら、戦前の抒情に満ちた有本芳水の小型の詩画集などは好適だろう。
写真の『芳水詩集』や竹久夢二の『青い小径』などの小型本を手に萌え出づる若草の上にしばらく座れば、旅の途の吟行が多かった芳水や夢二と同じ放浪の気分になれる。
芳水と夢二は親しい友人でこの本の表紙絵挿絵も夢二の筆だ。お陰でその初版本は今ではかなりの価格になっている。
更に当時この『芳水詩集』の人気は凄まじいばかりで、重版は100回近くにも及んだため初版本が見つかる確率はほんの僅かしかない。
主に少年向け雑誌に連載した物をまとめた詩集だが美しく整った文語韻律詩で、この頃から苦悩自慢のようになって行く大人向け口語自由詩より余程清澄な抒情がある。
まさに若葉時の輝きと潤いの中で味わうべき詩集だろう。
若葉風瑞々しきは古詩の韻 (自詠)
一方表紙絵の夢二も小唄や短歌の他に短詩や俳句も沢山詠んでいて、技術の高さだけで見れば俳句が一番うまいかもしれない。
和歌短歌にはある程度の品位が必要だが、俳句や小唄は世知俗情が入っても欠点にならないから、案外夢二には合っていたようだ。また機会があれば彼の句集や短冊も紹介しよう。
戦後の詩人西脇順三郎や田村隆一も晩年はすっかりお散歩詩の達人になり、鎌倉歩きの詩も結構詠んでいるので私も良い参考にしている。

古備前大徳利 江戸時代
益子珈琲器 昭和前期
ただ戦後の詩集は大きく重く大正頃の小型で天金絹張りの瀟洒な歌集詩画集などとは全く別物で、散歩や街歩きに持って出るにはそぐわない。
持ち歩くなら単行本初版などと贅沢を言わず、選集や文庫本で読むのが良いだろう。
どうせ戦前のように気品があり美麗な装丁など戦後はどこの出版社も出せず、猟書欲の湧かない本ばかりなのだ。そんな中でこの詩集は精一杯頑張った小型のクロス張りで、散歩のお供にも十分推奨できる本だ。
順三郎は散歩の途中でギリシャローマの神々や哲人らと出会いお気楽に挨拶を交わし季節の草木花鳥を眺め、結局は何も起こらない詩を書く。
田村隆一の『亀が淵ブルース』は我家の隣の永福寺跡の蛙や蛍や蛇達を詠んだ詩だ。
春陽に溢れ若葉滴るわが詩歌の小楽園と言えども、谷戸の小径では雛鳥を狙う蛇にもたまに出くわす。
蛇でなくとも鴉や鳶は小鳥の雛を襲うので、人間には麗しき小鳥の歌に聴こえても実は警戒の叫び声だったりするのだろう。それでも若葉時の生命感溢れる我が谷戸を歩けば、日々光輝に満ちた小さな奇跡が起こるミューズの楽園に思えるのだ。
鳥遊ぶ水美しや奥谷の
廃れし園の若葉隠れに
(自詠)
