雨花の吟行【鎌倉の隠者40】
先週から花も盛りの鎌倉だが、この数日は曇りか雨となる日が多かった。
今日の夕方はしばし雨も上がる予報なので、雨花春宵の吟行と写真撮影にいそいそと出掛けよう。
若宮大路の段葛の桜並木を植え替えてから十数年経つが、見栄えはまだまだ若木で頼朝以来の重厚な景観を取り戻すには程遠い。

私には崩れかけた古い石積みに老木の走り根の絡んだ旧段葛の方が、この予算をかけて現代風に整えられた観光路よりよほど好みに合っていた。
整然と並ぶ灯籠もよく見れば今風の量産型で、昔の風に揺れる提灯の列と所々に焚かれた花篝の情趣を懐かしむばかりだ。それでも人の少ない雨の宵に灯が入れば、まあまあ良い風情となる。
この現景に重ねて隠者流観想術で古木の立ち並んでいた昔を幻視すれば良いのだ。
日暮と共に雨は烟るような小降りになり、街の灯は彼方の山際まで朧に続く。
千万の古都の灯潤み花の雨 (自詠)
晴れた日なら外国人観光客で大変混み合う若宮大路も、雨の夕暮はみな早々と食事処にでも行くのか、今は人通りも少ない。
私も雨に濡れた寒さで茶店で一休みしたくなるものの、桜は薄暮から宵闇に移る紫紺の刻が最も美しいので、撮影の方では一瞬も無駄に出来ない。
この幽明の宵の撮影さえ一段落すれば、句歌の仕上げは後ほど茶店かカフェの窓辺席で、外の雨花を眺めながらゆっくりやるのも良いだろう。
花散らす雨のただなか稲荷の灯 (自詠)
結局いつでも混んでいる表通りの茶店には入れず、外の待合で濡れた裾を拭かせてもらうだけにして、八幡宮を抜け次なる夜桜の路地へ向かう。

今宵の吟行路は名残の桜がまだ咲いていそうな路地を選んで回っているが、後半は八幡宮脇の小路から幕府跡を通り我が庵へと折返して行こう。
すっかり日が暮れても予報に違えて小雨は降り止まず、どうやら鎌倉も山際の谷戸だけはこのまま一晩降り続けるかもしれない。
風はそう強くはないものの、この雨で今年の桜もかなりが散ってしまうだろう。
古都の奥雨の一夜を散り止まぬ
花を照らして路地の灯優し
(自詠)
2時間ほどの撮影吟行を終え、我家のお茶で花冷えの手指を温めよう。
桜餅も買ってある。和菓子類は血糖の呪いがある私にはひと齧りしか味わえないが、残りは庭に置いておけば最近また出没するようになった狸が食べてくれるのだ。
今宵は花の雨、名残の夜桜、朧の灯火、まさに「春宵一刻値千金」の風趣を十分に堪能できたと思う。古風なる抒情と浪漫の句歌もそこそこ詠めて、この隠者としては満足出来た。
今年の花時は2月からの冷え込みも影響してか風雨や花冷えの日が多く、自詠の句歌もウェットな作が多くなった。
この先の残生であと何回の春を迎えられるかわからないが、年々惜春の情は深まるばかりで、私の詠風もますます自娯耽美の趣きとなりそうだ。
雨風の一夜も明けて鎌倉は
囀の庭花屑の路
(自詠)
この先の季は駆け足で春の果てへと向かい、我が荒庭の竹林は筍が次々と頭を出しそれを隠すように著莪が咲き乱れる。その間もせめて毎週一度、小一時間ほどで良いから俗を離れ文雅に浸る時を作りたい。
昨夜の雨花と過ごした至福の時のように、結局は己が身辺の暮しを季節季節でいかに充足させるかが、風雅の人生をより深く豊かにする要諦なのだ。
次の朝起きて見れば昨夜置いた桜餅は綺麗に無くなっていて、我が荒庭にも至る所花屑が散り敷いている。この日本の行く春の風情を、古びた中国の神仙像にも味あわせてあげよう。

近年の中国では日本から移植した桜が各地で大きく育ち、人気の観光スポットとして定着しているそうだ。
鎌倉を訪れる多くの中国人観光客にも八幡宮源平池の桜はとても人気がある。
しかしこの隠者には人が多過ぎる観光名所に行くより、幽居の荒庭で静かに春を見送る方が似合うだろう。
おまけで今朝詠んだ狸の句。
谷戸奥に狸の増えて花曇り
桜餅置けば狸の通ひ来る
(自詠)
