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春園の歌声【カフェ浪漫主義34】

【カフェ浪漫主義】
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今週は荒庭の紅梅も咲き、鶯の笹子もしばしば姿を見せるようになった。

我家は旧暦の暮らしなので立春が正月となる。迎春の喜びあってこそ正月がめでたいのであって、薩長明治政府以来の新暦正月は寒入り前の時期だから春の喜びなど毛ほどもない。

そんな訳で三河以来の幕府直参旗本である我家の玄関には、一般の正月とは違うものの新春迎春にふさわしい物を飾る。

私にとって新春を祝うのに最もふさわしい飾りは、我が先師奥村土牛筆の春富士だ。

春富士 リトグラフ 奥村土牛
古丹波徳利 江戸時代
紅志野茶碗 昭和前期

土牛師の正月には師の師である横山大観の「天霊地気」の書軸を掛け、じっくり小一時間眺めていたそうだ。そんな師系の精神を私も受け継いで行きたいものと、毎年正月はこの明るく格調高い絵の霊気に触れている。

脇には我が荒庭に咲く薄紅の寒椿を添え、春にふさわしい紅志野茶碗と三色和菓子で初茶を楽しむのだ。

いつもの年は中国の盛大な歌舞音曲の祭典をネットで見て楽しんでいたが、今年は中華文化圏の春節がだいぶ遅くて今は何も無い。

日本では新暦になってから立春を祝う行事は絶滅し、近年流行り出した恵方巻きもあまり品位は無く霊験も期待できないだろう。

和菓子も桜餅や草餅はだいぶ前から出ているのに、鎌倉では肝心の鶯餅が見当たらない。和菓子業界でさえ今や細やかな季節の順がわかる人もいないのだろうか。

花屋も同様で寒咲き(ビニールハウス栽培)の桜は出ているのに梅は無く、きっと各種業界が揃って季節感を無視し、安定して長期間売れる物だけ生産するようになったのだろう。

そもそも近年はどこの花屋も洋花ばかりで日本古来の和花は激減しているから、好みの和花は出来るだけ我が荒庭で育てるようにしている。

書房の文机には和歌の女神である衣通姫の絵姿を祀る。

衣通姫絵姿 室町時代
柿右衛門香炉徳利 江戸時代
黒織部花入 江戸時代

古の國褒めの歌や宮中の歌会始めのように、毎年立春はこの麗しき女神に詠み初めの一首を献歌するのが我家の習いだ。

衣通姫と文雅を語らいながら酌み交わす新春の一献は、この上なく清浄な幸福感を味わわせてくれる。

その上でそこそこ良い歌でも詠めれば、今年一年の我が谷戸の暮しも姫神の祝福に満ちた物となるだろうが…

咲きすまふ梅や椿が陽の庭で
なれも来たれと路を開けをり
(自詠)

……こんな所でご勘弁。

まあ、我が荒庭も姫神や花の精達のおかげで、詩歌の楽園を観想できる場となっている。

そして、この夢幻の園には美しき音楽を絶やしてはいけない。玄冬季は重厚で深みのある交響曲やチェロ曲が良かったのが、春に聴きたくなるのは清澄可憐なるエンジェルヴォイスの歌姫の声だ。

サラ・ブライトマンの"Nella Fantasia"(ネッラ・ファンタジア)ほど玲瓏透徹した楽曲はない。

元はエンニオ・モリコーネが映画『ミッション』で作曲した"Gabriel's Oboe"(ガブリエルのオーボエ)という器楽曲なのだが、これを気に入ったサラ・ブライトマンは、モリコーネが根負けするまで「歌にしたい」と頼み込み、イタリア語の詞をつけてこの「ネッラ・ファンタジア」を完成させた。多くのクラシック系ヴォーカルがカバーしたので、もしかしたら原曲よりも有名になっているかもしれない。

この曲をリリースした時のサラ・ブライトマンはちょうどミュージカルから所謂クラシカル・クロスオーバーへと転向する頃で、音域変化や抑揚を効かせたそれまでの歌い方から、強弱を抑えて最適音域の中で天与の美声を活かすような歌い方へと変わっていった。僥倖にもモリコーネのメロディーはその高貴な歌い方と絶妙に馴染み、「ネッラ・ファンタジア」はサラ・ブライトマンの思惑通り世紀の名歌となった。

控えめな導入部であっても卓越した口腔共鳴によって豊かな声量が保たれ、フックやロングトーンまでもが限りなく繊細に歌われる。一曲を通して全ての表現が神の祝福を思わせるほど上品で、聴くたびに魂が浄化されるような、神聖な心境に至る。

我が花鳥の楽園を巡る四季の幸いを祈るためにも、「ネッラ・ファンタジア」のような極上の音楽を流して、清らかな心持ちで新春を迎えるのだ。

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