【子育て】親の呼称が子どもの自己肯定感に与える心理的影響「名前で呼ぶこと」の発達的意義
「名前の呼び方」がつくる心の土台
最速で自己肯定感が高まる?
親の呼称が子どもの自己肯定感に与える心理的影響
「名前で呼ぶこと」の発達的意義
子どもをどう呼ぶか。
子どもを呼ぶ時の一言には、私たち親が思う以上の心理的意味が込められているようだ。
「ちゃん」「たん」あるいは「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」や「呼び捨て」。呼称は、親が子に向ける愛情の形であると同時に子どもが自分をどう見るかを形づくっていく。
また、その呼び方で発するトーンが違うことに気づいているだろうか?
近年の発達心理学では、幼少期からの「呼ばれ方」が自己認知や自己肯定感の形成に影響することが注目されている。親の子どもへの呼称は単なる言葉ではなく、子どもの「存在」をどう認められてきたかを映す鏡となる。
私の名前の呼ばれ方
私は、親から「はなたん」と呼ばれて育った。
春菜子(はなこ)だから「はなたん」
私が生まれた時、父と母でそう決めたらしい。
子どもの頃はその響きが大好きだった。
けれど、小学校も高学年になる頃からは、人前で親に「はなたん」と呼ばれるのが恥ずかしくてたまらなくなった。
友達同士でも呼び捨てが「大人っぽい」と感じる年ごろ。私は「はなこ」と呼ばれたかった。
親からも、友達からも。
けれど私はずっと「はなたん」か「はなちゃん」のままだった。
自分が親になってからの気づき
子どもの仕(まなぶ)が生まれてから、私は「まなちゃん」と呼んだ。
けれど、子どもが成長するにつれ、特に男の子に「ちゃん付け」で呼ぶのは恥ずかしいと感じるだろうと思った。
だから、子どもを人前では「まな」と呼ぶようにした。
家の中では「まなちゃん」、外では「まな」
これは親としての小さな配慮のつもりでいた。
これは、私が小学生だった頃に同級生のある言葉が聞こえてきたことが根底にある。
「◯◯くん、お母さんに「◯◯ちゃん」って呼ばれているんだね(くすっ)」
※ この「(くすっ)」が今でも心に引っかかる…
男の子がお母さんから「◯◯ちゃん」って呼ばれているのを聞いて、わざわざ本人にそんなふうに言う必要あるのかな?
◯◯くんはきっと、嫌だろうなと思ったことを覚えている。
誰が言ったのかはもう覚えてはいない。
その言葉だけが心に残っている。
夫(太楼)と私の呼び方も少し変わっている。
夫は私を「はなたん」、私は夫を「たろくん」と呼ぶ。
子どもが生まれてからもずっとこう呼び合ってきた。
普通は「パパ」「ママ」に変わるものかもしれないけれど、私たちはお互いを相手そのものとして呼び続けている。
そんなお互いの呼び方に夫自身は実は少し呆れながらも、どこかで受け止めてくれているように感じる。
子どもの言葉にハッとした瞬間
ある時、実家の集まりで親戚が私のことを「はなたん」と呼ぶのを聞いた当時は小学生だった子どもがこう言った。
「ぼくもおかあさんのことを「はなたん」ってよびたい。だって、みんなおかあさんのことを「はなたん」とよんでいるんだもん」
複雑な気持ちだった。
まだ「母と子」という関係の枠を守りたくて、思わず「お母さんと呼んでね」と断ってしまった。
ところが中学生になった息子がSNSを始めた時、子どものアカウント名が見えた時ハッとした。
そこには「まなたん」と書かれていたのだ。
なんてことだ!
あんなに私が嫌だった「たん」という呼び方を、息子が自分で選んで使っている。あのときの驚きと不思議な感情は今でも忘れられない。
子ども自身は「まなたん」と呼ばれたいのだろうか。
「たん」と「ちゃん」が持つ意味
「ちゃん」は親しみや可愛らしさを示す一般的な呼び方。
一方で「たん」は、幼児が「ちゃん」を舌足らずに発音した言葉がそのまま愛称になったもので、幼い響きを持つ。
子どもにとって、それは「無条件に愛されている」というサインでもあるのかもしれない。
「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」と呼ばれる子どもたち
親が子どもを「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」と呼ぶのも、実はその子の心に大きく影響する。
ポジティブな面としては、
責任感が芽生え、家族への思いやりが育つ。
一方で
「自分を名前で見てもらえていない」「役割として扱われている」と感じる子も多い。
長く続くと「我慢ぐせ」や「自己犠牲」が染みつく場合もある。
子どもへの「呼び方」が、子ども自身の心に「自分である安心感」や「愛されている実感」を与える。
呼び方が教えてくれたこと
私は自分を特別な人間だとは思っていない。
できないことが多くて、落ち込む日もけっこうたくさんある。
けれど、「自分をダメな人間」と思い続けることもない。
「すごい人」とか「何者」かになりたいとも思っていない。
もしかしたらそれは、幼い頃にずっと「はなたん」と呼ばれ続け、自分として愛された記憶が心のどこかに残っているからかもしれない。
名前を呼ぶという行為は、その人の存在そのものを確かめ、肯定すること。
親が子を、そして子が親をどんな言葉で呼ぶか
それだけで、家庭のぬくもりも、個人の自己肯定感も少しずつ変わっていくのだと思う。
親が子どもの名前をどのように呼び、どんな場面でどんな語調を使うのか。
それは、日常の中に埋め込まれた最も身近な心理教育であり、心の基礎構造をつくる行為でもある。
愛情を伝える手段としての「名前呼び」をもう一度意識的に見直してみる。
そこから、子どもの「自分を信じる力」を支える新しい関わり方が見えてくる。
春菜子のnoteを始めました。
こちらもどうぞよろしくお願いします。
仲良くしていただけると嬉しいです。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただきありがとうございます。