②結果が出ない。そのとき、何を変える?|「自責100%」の話
今日は、お盆明けの月曜日。
朝7時。
コメダ珈琲でアイスココアを飲みながら、モーニングを食べている。
休み明けの朝は、何度経験しても独特だ。
目の前のアイスココアは甘い。
でも、仕事の結果はそんなに甘くない(笑)。
そんなことを考えていたら、昔のことを思い出した。
本当にしんどいとき、
「明日、地球に隕石でも落ちないかな」
と思ったことがある。
一度ではない。
朝起きて、
「今日会社に行ったら、停電で何も動かなかったりしないかな」
そんなことを考えた回数も、もう分からない。
私は13年以上、証券、保険、コンサルと、結果を求められる仕事をしてきた。
目標が未達になる。
大事な案件を落とす。
やっても、やっても結果が出ない。
そんな日は、とにかく逃げたかった。
自分が数字を出さなくてもいい理由が、向こうから突然やってきてくれないかな、と。
旅行にも行った。
美味しいものも食べた。
遊びにも行った。
その瞬間は楽しい。
仕事のことも少し忘れられる。
でも、それで救われたことは一度もなかった。
日曜日にどれだけ楽しく過ごしても、
月曜日になれば、現実はそこにある。
未達の数字は、未達のままだ。
13年以上やってきて、私の場合、一つだけ分かったことがある。
私を本当に救ってくれたのは、目標を達成したときだけだった。
達成する。
そして、達成し続ける。
結果を出す。
そのときだけ、
「ああ、やった」
と思えた。
私がたどり着いたのが、
「自責100%」
という考え方だった。
自責100%とは、結果責任を分けないこと。
私が考える自責100%は、起きた原因が100%自分にあると考えることではない。
自分の役割に対する結果責任を、100%自分で持つことだ。
ここでいう結果責任は、その役割の結果を誰が引き受けるか、という話だ。
例えば、営業目標が未達だったとする。
「自分50%、上司50%」
「自分20%、会社80%」
「自分30%、景気70%」
とは分けない。
こうやって、自分の役割の結果責任を誰かと分ける。
私の中では、それが他責だ。
ただし、原因は分析する。
景気が悪かったのかもしれない。
商品に問題があったのかもしれない。
上司の判断が影響したのかもしれない。
原因は見る。でも、結果責任は分けない。
ここは別の話だと思っている。
未達なら、未達だ。
だったら、不足を見る。
行動を変える。
結果が出るまでやる。
結果を出すのが仕事だ。
リーマンショックでも、目標は残った
この感覚を強く持つようになったのは、証券マンだった頃だ。
リーマン・ショックが起きた。
世界中の市場が大きく揺れた。
証券営業にとっても、かなり厳しい環境だった。
そんなとき、上司から言われた言葉を今でも覚えている。
「目標を達成しろ」
「ああ、そういうことか」
と思った。
こんなときでも、目標は達成するんだ。
景気が良いときだけ達成すればいいわけじゃない。
リーマン・ショックが起きたから、自分の目標が半分になるわけでもない。
自分の結果責任が50%になるわけでもない。
環境が厳しいことと、自分の役割がなくなることは別なんだ。
だったら、この環境の中で何を変えるのか。
考えるのは、そこだった。
感覚としては、背水の陣に近い。
逃げ場がなくなる。
やるしかない。
でも、不思議なことに私はその方が気持ちは楽だった。
誰が悪い。
何が悪い。
なんでこんな環境なんだ。
そこに意識を使っている間も、結果は変わらない。
「この結果は自分が持つ」
そう決めると、考えることが一つになる。
「じゃあ、何を変える?」
それだけだ。
「これは誰の結果責任なのか」
前回の記事では、
「これは誰の変数なのか」
という話を書いた。
今回は、その前提にある話だと思っている。
「これは誰の結果責任なのか」
自分が持つ結果が分からなければ、何を変えるのかも決まらない。
逆に、
「この結果は自分が持つ」
と決まれば、次に見るものが変わる。
変えられないものは何か。
変えられるものは何か。
そして、自分が変えられるものを動かす。
原因を見て終わらない。
「だから仕方ない」で終わらない。
結果を持った上で、次の行動を決める。
前回書いた「定数と変数」も、私にとってはそのために使う考え方だ。
未達だから、不足が見える
私は、成長とは、できなかったことができるようになることだと思っている。
そのためには、最初に「できなかった」を認識しなければ始まらない。
目標を決める。
実行する。
結果を見る。
不足を見る。
行動を変える。
また実行する。
また結果を見る。
足りなければ、また変える。
ただ、この繰り返しだ。
未達だったから、不足が見える。
不足が分かれば、次の行動を変えられる。
だから私は、日報や週報や月報も重要だと思っている。
このサイクルを止めないためだ。
私には、これしか勝ち筋がなかった
営業をしていた頃、上司に言いたいことなんて山ほどあった(笑)。
会社に対して、
「いや、それは違うだろ」
と思ったことも何度もある。
でも、未達の状態で上司の愚痴を言いながら酒を飲んでも、私は全然スッキリしなかった。
だったら、圧倒的に目標を達成してから、上司を肴に酒を飲む方がよほど美味い(笑)。
どうせ飲むなら、私はそっちがいい。
私は元々、何か特別なものを持っていた人間ではない。
学生時代は偏差値35。
勉強ができたわけでもない。
スポーツができたわけでもない。
何でも器用にできる人間でもなかった。
そんな自分が、結果を求められる場所で戦うために何を武器にするのか。
私には、これしか勝ち筋がなかった。
結果から逃げない。
不足を見る。
行動を変える。
またやる。
失敗したら、また変える。
結果が出るまで繰り返す。
自責100%は、私にとって綺麗な精神論ではない。
そんな自分が、結果を求められる場所で戦うために、やり続けてきた戦い方だ。
自責100%。でも、責任の範囲は違う。
ここからは、組織の話になる。
自責100%と言うと、
「社員も会社の業績すべてに責任を持つのか」
となるかもしれない。
私はそうは考えていない。
社員には社員の役割がある。
課長には課長の役割がある。
部長には部長の役割がある。
経営者には経営者の役割がある。
全員、自分の役割については自責100%。

でも、全員が同じ責任を持つわけではない。
さらに、責任を持たせるなら、その人が何を決め、何を変えられるのかも明確にする必要がある。
例えば、
「売上はあなたの責任です」
と言われる。
でも、価格は決められない。
営業先も選べない。
提案内容も全部承認が必要。
その状態で結果が出なかったときに、
「自責が足りない」
と言われても、私は話が通らないと思っている。
何の結果を持つのか。
その結果を出すために何を決められるのか。
何を変えられるのか。
そこを決めるのは、会社側の役割だ。
責任だけ渡して、権限を渡さない。
その上で、
「社員の自責が足りない」
と言うなら、私はそれこそ経営の他責だと思う。
経営者なら、会社全体の結果を持つ
営業をしていた頃、私が持つべきものは自分の営業結果だった。
経営者になった今は、責任の範囲が会社全体に広がった。
だから私は、組織づくりをするときに最初に伝えることがある。
「組織で起きているすべての問題は、経営者の責任です」
社員が動かない。
管理職が育たない。
人が辞める。
採用できない。
売上が伸びない。
原因はいろいろある。
原因は分析すればいい。
でも、最後に会社全体の結果を持つのは経営者だ。
会社の中で、それを変える大きな権限を持つのも経営者だからだ。
社員に自責を求める前に、まず経営者が会社の結果を持つ。
私は、そこから組織改革を始めている。
会社の結果が悪い。
そこで最後に、
「社員が悪い」
「管理職が悪い」
で終わる。
私は、そんな代表にはなりたくない。
会社の結果からは、逃げない。
今日、何を一つ変えるか
今日の一歩は一つだけ。
今、思うようにいっていない結果を一つ書く。
その結果について、
自分の役割は何か。
何が足りなかったのか。
自分には何が変えられるのか。
その横に、
「この結果を100%自分で持つなら、今日何を変えるか」
を一つ書く。
そして、変える。
結果を見る。
足りなければ、また変える。
自責100%は、ただ「もっと頑張れ」という根性論ではない。
自分の役割から生まれた結果を、100%自分で引き受ける覚悟を持つ。
だから、不足を見る。
だから、行動を変える。
私は、自責で戦う。
絶対に。
結果から逃げない。
それぞれの場所で戦っている人にとって、この文章が次の一手を考えるきっかけになれば嬉しい。
次は、自己評価・他者評価の話を書こうと思う。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。
次回の自己評価と他者評価はこちら⬇️
前回の定数と変数の話はこちら⬇️
