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「小説 組織風土改革推進委員会」第26話:春は。

 春、3月はまたやってきた。多くの企業において、新陳代謝の季節だ。そう、せわしく、何かしら噂が噂を呼ぶような季節である。気に留めずにいても、そんな場にいると気持ちが巻き込まれるものである。俺も去年はそうだった。しかし、今は全くそんな場にはいなかった。1年前はこんな気持ちでなかった。あれからのことを思い出すと、サラリーマンとなって久しぶりにエネルギーに満ちてもいたし、冒険のような毎日だったと思う。今もたいして変わってはいないのだが。

 既に俺たちの会社、オルガナイズゲート社も設立して2ヶ月が経っていた。組織自体を可視化することから始まるという意味でこの社名となっていた。但し、社名が長いので、初めからオルガさんと呼ばれることが多かった。まあ、なかなか覚えられないらしい。

 実際、まだできたばかりの会社でもあり、異動という大きなものはないが、60人の組織なので、コンサルティング部隊と営業部隊、カスタマーサポート部隊は、仕事を円滑にまわしていくために、多能工ではないが、年齢が若い二人から三人の少人数を、三ヶ月のタームごとに異動させておくことに決めていた。役割分担も一応はあったが、人数規模も大きくはないので、みんなが助け合っていた。6月までになんとしてもエンタープライズ企業を100社受注するという目標値はみんなに浸透し、テストトライアルのオファーも増えていた。役割は、営業は毎日午前10時からと、午後2時から、夕方の5時からの3回、定期的に無料セミナーを開催し、受注とトライアルのオファーへと繋げていく動きをとっていた。

 いきなり受注という動きはなく、あくまで次のステップで詳しい説明を聞きたいかどうかのフィルタリングをかけていた。講師役は、青山たちの部隊が受け持ち、大きな八木沢や、小さいが筋肉質の荻野も、毎日登壇を繰り返していた。どうしたら効果が上がるか、要は受注確率が高まるのか、といったところも、このセミナーが鍵であった。確率が高い講師の話のどこが良かったのか、何が響いたのか等の分析を繰り返し、アップデートしていた。そのあたりは、特に外資のマイケルジャパンは科学的に立証しながら次の登壇チャンスに活かせるようにしようとしていた。

 俺のところのカスタマーサポートは、受注や、トライアルが決まった企業への説明と、今後の進め方についてクライアントをバックアップしていく。まだ現在は一人の担当で10 社も受け持ちはないため、多少は制約的な意味での余裕はあった。しかし、どんな説明会資料が必要か、管理職向けには?一般職には?また、経営層向けには?と、其々、企業規模に応じて、あるいは展開フェーズによって必要だということで、クライアント側で利活用出来る資料作成や、また彼らが学ぶような動画準備であたふたとしていた。

 そんな中、俺と古賀さんは、システム開発部隊といつも一緒にいた。マイケル側が、事前に検証を進めていた企業の人事の方々と、面談を繰り返していたのだ。システムの不具合改善や、ユーザビリティの面での問題がないかを洗っていた。同時に、スモールスタートでも成果につながっていきそうな企業各社に声をかけて、タクシーの動画広告などに流すための案内を行った。我々が訴求するよりも各企業、つまりは利用者側にPRしてもらったが良いのは当然である。
「まだ始めたばかりでこれからですよ。広告に登場なんて、まだ早いですから」
と、何気に断られることが多かったが、IT系の企業は、こちらの採用関係や、人的資本の面での取り組みを自社もアピールできるということで二社ほど決まった。お互いWIN-WINになれるということだ。そのことを商談で話していくと、メーカーと、マスコミ系の企業が続いて了承してくれてなんとかバランスはとれた。3 月に突貫でムービーを撮って、4月からのタクシー広告枠や、トレインテレビの枠に入れることができた。「お前の会社タクシー広告で見るよ」とか「、あの広告のソリューションですか?」などと初対面の企業からも評判は良かった。営業サイドも広告を機に力をいれていた。
「古賀さん、格好がつきましたね。なんとか4社の登場で、広告枠も埋められました」
「そうね、なんとかできたわ。ありがとう、村田さん。それはそうと、広報的なことが出来る方をキャリア採用で募集しましょうか?いつまでも私たちもこういうことは出来ないから。というか素人だもんね」
「そうですね、何かとマスコミ取材も増えそうですし。古賀さんには、別の意味で、大いに顔になってもらわないと」俺たち二人のバランスはとれていた。以前、古賀さんが新会社への動きを知りつつ、黙っていたこともわだかまりとしては残ってはいたが、上層部から黙っておくように指示があったはずなので、それは仕方ないなと割り切っていた。そんな時に、たまにお節介な大谷商事の大谷社長がやってくることがあった。

 3月の中旬のある日、古賀さんの執務室兼会議室へといつものようににこやかに入ってきた。大谷社長は、古賀さんに対しては、本当に穏やかでニコニコとした顔をしているなとつくづく感じた。
「新宿に来たついでにまわってきたよ。古賀さん、村田さん、どうですか?」
「まだまだ、これからですよ。やることは尽きないです」
と、古賀さんの気持ちが伝わって、大谷社長も安心したようだ。
「私もなんとか二人に任せた甲斐があったよ。いやあ、二人は、ベストパートナーだなあ」
と言ってくれた。大谷社長は、ソファーに腰をおろすと、
「今度、4月1日に社長を退くことを実は発表しようと考えてるから、君たちには前もって伝えておこうと思って本当は来たんだ」
「退かれるって」
そこからなんと言ってよいかわからなかった。何があったんですかとも聞けなかった。
「この会社をつくろうと進めてきた時から考えていたんだ。以前、後任についてのことなど、こんな話を少し村田さんともしたかなあ」
確かに急に大谷社長が会社に訪ねてきて、組織風土の話と合わせて、後任の話をされたことがあった。そう、去年の2月のことだった。ちょっと驚いて、会話の間ができたところで、俺はたずねてみた。
「どなたが社長にとか、聞いてもかまいませんか?」
大谷商事も、このオルガナイズドゲート社の株主でもあるので、そこはどうなるのか気になる。ましてや、古賀さんは、自分の出身母体でもあり、もっと気になっているはずだ。
「加藤さんだ」
「?」

 少し頭の中で整理が必要だった。今度の株主総会で、加藤さんはうちの会社の役員候補ではないのか、もしかしたら筆頭常務的な位置にまでいくのでは?と目されていた。横にいる古賀さんもびっくりしているかと思ったら、何も言わずに下を向いていた。「あー、彼女は知っていたんだな」と確信した。
続けて俺は大谷社長へたずねた。
「いつからお決めになっていたのですか?」
「いや、去年の1月から彼と仕事するようになってからかな。うちは外の血が必要だと余計に思ったんだ。それから、3月ごろ、ちょうど1年前には彼にアプローチをしたんだが、冗談と思っていたのか、うまくあしらわれていたんだ。それと、私はしばらく会長職でフォローすることとした」
「もちろん、加藤さんは知っていますよね」
咄嗟に口を出してしまった。「しまった」と思った。そんなの当たり前のことだ。大谷社長は笑って頷いていた。

 なんとも言えない時間が流れた。そこに大谷社長がさらにもう一つ話すことがあると伝えてきた。
「あのう、驚くかもしれないが」
という言葉から始まった。まだ、今後に及んで、そんな驚くことが何かあるのかと思った。
「実は村田さんには、隠すことはもうないので伝えておくが、ここにいる古賀さんは実は私の娘なんだ」
絶句した。その後も、うまく反応しづらかった。隣に座っていた古賀さんをじっと見てしまった。古賀さんはゆっくりと頷いていた。
「大谷社長、古賀さん、私は何も知らなかったのですが、これは秘密の話ですか。みんな知っている話ですか?」
そんなことしか言えなかった。
「村田さん、秘密というわけではないのだが、まあ、なんとなくそれがよかろうということで誰にも話してなかったんだ。実は別れた妻のほうで育ったので、古賀の姓なんだ。うちの会社でも知っているのは、秘書くらいではないかな。会社ではお互い、まったく普通に応対しているんでね。あと知っているといったら、加藤さんには伝えていたんだ」
ここでも、俺だけが知らなかったのかという気持ちだった。俺の動揺を見越して古賀さんは
「すみません、村田さん。内緒にしておく話でもなかったのかもしれませんが、大谷商事のなかではそういうわけにはいかないので、ご理解願います」
なにかこれ以上、この場でたずねることは逆に古賀さんに悪いなという気持ちになった。かなりインパクトのある話を聞いて、俺もすっかり思考停止していた。最後に、大谷社長からは、
「加藤さんが社長になるまでは、古賀さんと、親子という話は黙っておいてほしい」
と懇願された。もちろん同意した。

 古賀さんの執務室は、社内では、会議室といってもよい使い方をしているスペースであり、さらにフリーで、予約なしで、誰でも入ってよい部屋としていた。「こんな話をしている時に、誰も入ってこなくて良かった」とやっと落ち着いて思っていた。

 大谷社長、加藤さん、古賀さん、色んな出会いがこの一年でこうさせたんだ。俺たちもそうであった。部屋には大きな窓があり、もう夕陽がさしていた。大谷社長が帰った部屋で、「春はいろいろとあるな」と呟いていた。


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