公立小学校教師から民間教育DXの世界へ ― 転職して1ヶ月、見えはじめた景色
(追記:本記事は note × 日本経済新聞「日経COMEMO賞」を受賞しました。お読みくださった方、ありがとうございます…!)
3月末の退職報告noteから、ちょうど1ヶ月が経ちました。あの時、たくさんの温かい言葉をいただいたこと、改めて感謝しています。本当にありがとうございました。
4月から、西日本の通信企業で教育DXに携わる仕事を始めています。
教員時代から見てくださっていた方には改めての自己紹介を、これから新しく出会う方にははじめましての気持ちで。
今日は、この1ヶ月で見えはじめた景色について、書ける範囲で書きたいと思います。
なぜ教員を辞めたのか
改めて、なぜ教員を辞めたのか。
退職報告noteでも書いた通り、僕の決断の理由はひとつです。
自分のこれまでの経験を、もっと広く教育現場のために生かしたい。
そうすることで、先生方が子どもたちと向き合える時間をもっと創出したい。
そう思ったからです。
教員として過ごした12年間は、本当にかけがえのない時間でした。
子どもたちの成長に立ち会える喜び、教室に生まれるドラマ、保護者や同僚の方々との出会い。
教室には、そこでしか味わえない尊さがあります。
その一方で、現場で働く中で僕は、ICTや生成AIを活用しながら校務の効率化や働き方の見直しに取り組んできました。
そこで実感したのは、先生方に少しでもゆとりが生まれると、その余裕は必ず子どもたちに返っていくということです。
書籍やSNSでの発信、研修講師の機会を通じて、
外部の先生方から「働き方が変わった」「子どもと関わる時間が増えた」という声をいただくたびに、考えるようになりました。
一人の担任としてできることには大きな価値がある。
でも、現場で積み上げてきた実践や知見を、仕組みや支援の形に変えることができれば、もっと多くの学校や先生方の力になれるのではないか、と。
教員という立場はいったん離れます。
でも、教育をより良くしたいという思いは変わりません。
なぜ今の会社を選んだのか
今僕が勤めている会社は、いわゆる大手の通信系企業です。
今の会社を選んだのは、教育DXに本気で取り組んでいると感じたから。
教育委員会・学校を顧客として、西日本という広いエリアで実装に向き合っている。
真摯さとスケールの両立に、希望を感じました。
職種は教育DX推進担当です。
先生方の業務をテクノロジーでどう支えるか、その提案や実装の現場にいます。
入社して1ヶ月で見えはじめたこと
ここからが、このnoteで一番書きたかったことです。
教員時代には見えていなかったこと、見えていたつもりで実は半分しか見ていなかったこと、書けるところまで書きます。
① 学校という現場は、たくさんの人に支えられている
これが、1ヶ月で一番強く感じたことかもしれません。
教員時代、僕は無意識のうちに「教育は教員が回している」と思っていました。
教室の中の出来事は教員と子どもで完結しているように見えるからです。
でも、それは少し違いました。
端末も、電子黒板も、校務システムも、すべて誰かが企画し、誰かが開発し、誰かが運用してくれています。
その「誰か」は、教育委員会の方々であり、それを支える民間企業の方々です。
SE、企画、営業、コンサル、サポート。
それぞれの専門性を持った人たちが、教育現場のために動いている。
ベンダー側に来てみて、そこで働く人たちの「学校現場をなんとかしたい」という熱量に驚かされました。
教育の外にいる人たちが、これほど真剣に教育のことを考えてくれていたのか、と。
教員時代の自分が「ICTのおかげで授業がよくなった」と感じていた瞬間の裏側には、たくさんの人の手があった。
当たり前のように使っていた環境は、当たり前ではなかった。
このことに気づけただけでも、越境した価値があったと思っています。
② 「現場とのすれ違い」が起きる理由が、少しずつ見えてきた
教員時代、多機能なソフトやシステムがあっても、現場ではフル活用されない。
そんな場面をたくさん見てきました。
多機能で便利なはずなのに、存在すら知られていない。
「もう少し現場に寄り添ってくれたらいいのに」と思うことがよくありました。
ベンダー側に来てみると、そこには構造的な背景があることが分かってきました。
開発側は、現場に届けようと努力をしています。
説明会も、研修プログラムも、資料も用意している。
でも、教育現場には研修を受ける時間の余裕がない。
新しい機能を試す心の余裕もない。
情報は届くのに、定着しない。
これは、どちらかが悪いという話ではなく、構造的なすれ違いだと感じます。
そしてもう1つ。
開発の現場には教員経験者が極めて少ないという現実もあります。
先生のリアルな1日を体感したことがある人は、本当に数えるほどです。
これはまさに、退職を決めたときに考えていた「現場の努力だけでは変えきれない構造」そのものでした。
このすれ違いを埋めるために、自分のような立場の人間がもっと必要なのだろうな、と感じています。
③ 時間の流れ方がまったく違う
教員と民間で、最も違うものの1つが「時間」かもしれません。
教員時代は、働こうと思えばいくらでも働けました。
残業代は出ませんが、夜も土日も、家でも持ち帰りができてしまう。
良くも悪くも、時間の天井がなかった。
民間では、勤務時間がはっきりと区切られています。
その限られた時間の中で、しっかりとアウトプットを出すことが求められる。
最初は戸惑いましたが、健全な仕組みだと強く思います。
時間が有限であることを前提に、何に時間を使うかを選ぶ。
教員時代の自分にも、本当はこの感覚が必要だったのだと感じています。
家族と、大阪と
仕事面の変化以上に、家族との時間が増えたことが、1ヶ月で一番嬉しかった変化かもしれません。
朝、子どもを学校や園に送り出すことができる。
夜、家族でご飯を食べられる。
妻にも「こんなに一緒にいる時間が長くなって嬉しい」と言ってもらえました。
教員時代の僕には、なかなかできなかったことです。
3月に愛知から大阪へ引っ越しました。
子どもたちは新しい環境に少しずつ慣れてきています。
大阪は、噂通り人が温かい街でした。
会社の人、街の人、店員さんまで、子どもに自然に声をかけてくれる。
子育てのしやすさも実感しています。
来てよかった、と心から思っています。
これから発信していきたいこと
僕は今、教員でもなく、まだ完全な民間人でもありません。
教員時代の経験は永遠の資産で、ベンダー側で見える景色は新しい発見の連続です。
両側の景色を見ている越境者として、これから言葉を残していきたいと思っています。
書いていきたいのは、こんなことです。
教員時代の経験を活かしたAI・ICT活用の具体的な活用法
越境して見えた、両側の景色から考える教育のこれから
元教員・現会社員という二重の視点から見た学校現場
2児の父として、保護者目線で感じる学校のリアル
会社に関する詳細や業務上の機密に触れることは書きません。
書けるのは、個人としての気づきと、教員経験者としての視点だけです。
それでも、誰かの参考になることがあれば嬉しいです。
教員時代の自分へ
最後に、もし1つだけ、教員時代の自分に伝えられるなら。
「あなたが子どもたちと向き合えているのは、本当にたくさんの人の支えの上に成り立っているんだよ」
これに気づけただけで、越境してきた意味があったと思っています。
そしてその支えを、これからは自分も少しずつ作る側に回っていきたい。
先生方が子どもたちと向き合える時間が、ほんの少しでも増えるように。
それが、僕がこの1ヶ月でより強くなった願いです。
これからも、よろしくお願いします。
