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kurayamisakaは「シューゲイザー」か?




kurayamisakaとは


kurayamisakaの新作アルバム『kurayamisaka yori ai wo komete』が話題を呼んでいます。

kurayamisakaは、2021年に東京で結成された五人組バンド。
ざらついたギターサウンドの応酬と多彩なリズムワーク、J-POPや歌謡曲を受け継いだポップセンス、そしてギターボーカル内藤さちの柔らかくも通りのいい歌声を特徴とするバンドです。
楽曲リリースとライブ活動を続けて次第に人気を高め、2025年9月12日に初のフルアルバム『kurayamisaka yori ai wo komete』をリリースしました。

このアルバム、私も好きで何度も聴いています。
特に曲の流れがいい。
一曲目「kurayamisaka yori ai wo komete」の爆音から歌だけが残るラスト、そこから二曲目「metro」のギターストロークで一気にスピードを上げる感覚。
フィードバックを残したままドラムがミドルのビートを叩き上げる三曲目「sunday driver」の導入部分。
曲間の繋ぎ方に工夫が為されていて、気づいたら最後の「あなたが生まれた日に」まで、ひたすら気持ちよく聴いてしまう。
歌詞についても全体の流れを刺激する言葉が歌われていて、また改めて最初から聴きたくなる。
そんな作品に仕上がっています。

シューゲイザーってなに?


ところで、このアルバムが発表された直後から、Xで議論が巻き起こっていました。

「kurayamisakaはシューゲイザーか?」

「シューゲイザー」というのはバンドミュージックの一つのサブジャンル。
『kurayamisaka yori ai wo komete』を「シューゲイザー」と紹介するポストに対して、「いや、kuryamisakaはシューゲイザーじゃないだろ」という反論があった。
それに対して色々な反応があり、さらに多くの意見が集まってきた。
そのような状況になっています。

では、そもそも「シューゲイザー」とは何なのか?


実をいうと、私は少し前に「シューゲイザーの定義」について考えていました。
rockin' on9月号のシューゲイザー特集に参加したときです。
シューゲイザーを代表するバンドMy Bloody Valentineの来日公演が決まったことに合わせて、シューゲイザーの過去から現在までを振り返る特集が組まれました。


ちょうど最近考えていたテーマでもあるので、「シューゲイザーかどうか」が議論になるなら、一度立ち止まって「シューゲイザー」について整理する文章を書いてもいいなと思いました。

シューゲイザーとは何かを、その歴史から定義してみたい。
同時に、その定義の変化も語っていきたい。
その中で「kurayamisakaはシューゲイザーかどうか」の答えが見えてきます。

先に結論を言ってしまうと、「かつての定義だったら誤りだが、今の使われ方なら間違いじゃない」というのが私の回答です。

ジャンルなんてどうでもいい?

こういう話題になると、必ず出てくる意見に「ジャンルなんかどうでもいい」というのがあります。
「kurayamisakaがシューゲイザーかどうか」なんてどっちでもいいじゃないか、そんな頭でっかちの議論は音楽とは関係ない。
そのような意見です。

たしかに、音楽を聴く時に、いちいちジャンルを気にする必要はありません。
ですが、音楽について考えたり、音楽について言葉にするのも音楽という文化の一部だと私は思っています。
具体的かつ即物的に考えてみれば、作曲したり演奏したりする時だって、音楽家は言葉を使って音楽を説明しなければいけない。
たとえばバンドの楽曲制作において「シューゲイザーっぽいサウンドにしたいんだよね」と作曲者がギタリストに言うとき、シューゲイザーが何かの共通認識がないと、意図は伝わりません。
ジャンルについて考えて言葉にすることは、決して音楽と無関係ではない。


特に、ジャンルレスが当たり前となったポップ・ミュージック(ここでは録音と複製を前提としているすべての商業音楽を指します)の現状において、ジャンルにおける歴史と定義を明らかにすることは、一つの大事な仕事です。
全部混ざっていったら、全部が同じ顔に近づいていく(実際今、そのような状況になっている)。
明確なジャンル性が共有されていた方が、ミックスする時にダイナミズムが生まれて、楽しくなるのではないでしょうか。
(アートフォームのジャンルに関する僕の考え方は以下のnoteに書いているので、よろしければこちらも併読してください)


今回は少しマニアックになりますが、シューゲイザーというジャンルの歴史を追いかけ、kurayamisakaから見える「今の美学」について、確かめていきたいと思います。

著者プロフィール:伏見瞬
批評家・音楽系YouTuber。東京生まれ。
音楽・映画・文学など、表現文化全般に関する執筆を様々なメディアでおこなう。2017~18年「第三期ゲンロン批評再生塾」で東浩紀審査賞を受賞。2018年から旅行誌を擬態する批評誌『LOCUST』編集長。2022年からトークイベント「歌舞伎町のフランクフルト学派」を批評家・西村紗知とともに主宰。
著書に『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(2021年、イースト・プレス)。2023年末からはYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」を運営(2025年8月時点でチャンネル登録者数約6万人)

ネオサイケとインディ


先ほど述べたrockin'onのシューゲイザー特集に、いくつかのアルバムレビューを寄稿しました。
その一つ、Pale Saintsの『The Comfort of Madness』という作品評
のなかで、私はシューゲイザーの定義を行っています。
「ネオサイケとインディの中間形態」というものです。



ジャンルの定義に、さらに二つのジャンル名が入っています。この二つについて説明しなくてはいけませんね。
ネオサイケとインディとは何か。どう違うのか。

「ネオサイケ」は「ネオ・サイケデリック」の略称です。
ロンドンでパンクロックが盛り上がった1970年代後半、既存のロック産業とスタイルに対するアンチテーゼであった英国のパンクは、今までのロックやポップスになかったスタイルを次々と生み出していきます。
時にはレゲエやダブと結びつき、時にはファンクやソウルを取り入れ、時には電子音楽を導入し、時には思い切り実験的に振り切れる。パンクの後に様々に拡がっていった音楽の総体を、一般に「ポストパンク」と呼びます。

「ネオサイケ」は、「ポストパンク」の中の一形態、と定義して間違いないかと思います。
エコーやディレイなどの空間系のエフェクターを駆使した、冷たい鋭い感触のギターサウンド。リズムパターンとコード進行で繰り返しを多用する、ミニマリスムの傾向。総体として感じさせる、ダークなオーラ。
サイケデリックな陶酔感はあるが、1960年代のサイケとは明らかに違うバンド達。化粧をするバンドもいて、彼らはゴスとも呼ばれたりする。
ドアーズ、ヴェルヴェット・アンダーグランド、デヴィッド・ボウイなどを手本としつつ、そこからはみ出すサウンドを出していたバンド群を、ネオサイケと呼びます。
Echo & the Bunnymen、Joy Division、The Cure、Bauhaus、Siouxsie and the Banshees、The Sound、Sad Lovers & Giantsなどが代表格です。
Cocteau Twinsもここに含まれるかもしれませんが、彼らはシューゲイザーの始祖的存在として後に高い評価を得ます。

いずれにせよ、サウンドの革新とミニマリズム志向が、彼らの中心にはあったわけです。


しかし、少しずつポストパンク全体の勢いが落ちていき、ネオサイケも盛り上がりを欠いていく。
そんな時代に出てきたのが、今では「インディ」と呼ばれているスタイルを持ったバンド達でした。例えばOrange JuiceやThe Smiths。彼らが何故新しかったか。
一言でいうなら、それまで否定的に扱われていた過去のポップスを、自らのサウンドに取り入れたからです。


1950年代のロックンロールやR&B、1960年代のガールズポップやモータウンサウンドを、バンドミュージックとして甦らせる。ただし、パンクの反骨精神は抱えたまま。
インディペンデントの小規模なレーベルに所属しながら、リリックとサウンドに繊細な毒っ気を足していく。それによって、当時売れていたポップミュージシャンとは明確に違う美学を生み出した。
インディペンデントな場所でしか生まれ得なかったポップ・ミュージックが、やがて「インディ」と呼ばれるようになる。ボーカルは囁くように甘く、サウンドは煌びやかかつノイジーに。
英国の音楽誌NMEによるコンピレーション・テープ『C86』は、そうした「インディ」のイメージを決定づける作品として、世に残っています。



インディの時代については、リアルタイムで当時を通過した野田努さんが詳しく書いていますので、参考にしてください。読み物としてとてもおもしろいです。


シューゲイザーの登場


ネオサイケは70年代後半から80年代前半の、既存の音楽を否定する時代のジャンル。インディは、過去のポップスの再評価がされた80年代中期のジャンル。どちらも英国を中心に広がったジャンルですが、生み出された時期が違います。
そして次にやってくるのが、シューゲイザーのバンド達です。

インディの界隈から生み出された特異なバンドに、スコットランド出身のThe Jesus and Mary Chainがいます。
彼らは、モータウンやビーチボーイズを下敷きにしたポップソングを、高音を思い切り強調したファズギターで演奏した。The Crampsなどの先人バンドが試していたノイジーなスタイルを、オーソドックスなポップソングに重ねた。それによって、甘美さと暴力性が共存する音像が生まれた。
彼らのファーストアルバム『Psychocandy』は、未だジャンル分けを簡単に許さない強固な作品として屹立しています。 


そんなThe Jesus and Mary Chainのサウンドに触発されたのが、My Bloody Valentineです。彼らの初期作品は思い切りメリーチェイン譲り。
しかし、そこから彼らは別のサウンドを手に入れます。
1988年に発表したファーストアルバム『Isn't Anything』には、ギターの冷たい感触や、ミニマムながらパンキッシュなリズムワークなど、ネオサイケに近しいサウンドが含まれている。ただし、囁くような歌声や甘いメロディラインは、インディ的に響く。ネオサイケとインディの折衷として、『Isn't Anything』は鳴っている。
以下の二曲を聴き比べると、彼らの変化がよくわかるのではないでしょうか(私はどちらも大好きです!)。




このあたりが、シューゲイザーのフォーマットの始まりです。Pale SaintsやRideなど後続のバンドも、「ネオサイケとインディの折衷」というフォーマットを踏襲しつつ、少し異なったテイストを入れることでシーンから飛び出します。
シューゲイザーのバンドにあまり入れられることはありませんが、個人的にはThe House of Loveも、ネオサイケとインディの折衷という点で「シューゲイザー」に含めていい気がしています。
また、The Jesus and Mary ChainもMy Bloody ValentineもRideもThe House of Loveもアラン・マッギー率いるCreation Recordsからリリースしていた事実は、指摘しておくべきでしょう。




ただ、『Isn't Anything』を構成する大きな要素は、ネオサイケとインディだけではない。Sonic YouthやDinasour Jr.など、アメリカのアンダーグランドシーンから出てきたバンドの影響を大きく受けている。それもあって、ギターの響きにジャンクな感触が含まれます。


さらにヒップホップの影響。特に政治的主張を押し出すラップグループとして注目されたPublic Enemyの影響です。
Public Enemyのファーストに収録された「M.P.E」でサンプリングされている波のようなノイズと、太く跳ねるビートのコンビネーションは、ほとんど「Soft As Snow(But Warm Inside)」と一緒に聞こえます。


ネオサイケというルーツ、Jesus And Mary Chainからの多大な影響、USアンダーグラウンドからの刺激、ヒップホップへの傾倒…これらは全て、My Bloody Valentineの中心人物、ケヴィン・シールズがインタビューで認めているものです。
つまり、この時代にとってサウンドの革新を試みたのが、『Isn't Anything』である。新たな音像を提示する意識という点で、My Bloody Valentineは精神性としてのネオサイケを強く抱いていたと言えます。
そのことは、続くセカンドアルバムにして、圧倒的な強度を誇る名盤『Loveless』の異形さが証明しています。


確立、衰退、リバイバル



この頃にはChapter House、The Charlottes、Lushなど、様々なバンドが登場してきます。
swervedriverやAdorableなど、よりUSオルタナに近いバンドも出てくる。

中でも後の影響が大きいのはSlowdiveでしょう。
彼らは楽曲のプロデューサーにブライアン・イーノを迎えたことからもうかがえるように、シューゲイザーのサウンドにアンビエントの要素を加えた。今に続くシューゲイザーのイメージを最も反映しているのはSlowdiveではないかと思います。
演奏が安定して上手い(特にベースとドラム)というのも、他のシューゲイザーのバンドとは違う彼らの武器でした。


シューゲイザーのサウンドに必要なエフェクターは、歪み以上にリヴァーヴやディレイなど空間系のものです。ディストーションが前に出すぎると、むしろアンビエントな透明感を逃がしてしまう。透明な感覚を保ったまま音量を上げることが、ギターの音に求められます。

シューゲイザーは、多くの人が知るように、エフェクターの置いてある足元をずっと見ていることを揶揄して広がった言葉です。
たしかにエフェクターはシューゲイザーにとって重要な要素です。
と同時に、歴史的に考えて重要なのは、やはりネオサイケとインディの特徴を双方持っていることです。
そこに同時代のUSオルタナティブの要素が混ざったものが、シューゲイザーの定義として相応しい。

だから、シューゲイザーというジャンルには時代的な限定があります。
英国でもブリットポップの時代が始まり、シューゲイザーもやがて衰退していきます。My Bloody Valentineも長い潜伏期間に入っていく。
2000年代以降に何度か新しいシューゲイザ・リバイバルが(イギリスよりもアメリカや他の地域で)起こりますが、そこからは「時代のうねりの中で新しい音を探求した」元々の時代的刻印が消えている。
My Bloody ValentineとRideとSlowdive。
このあたりの先人の音をそのまま受け継いだバンドが、シューゲイザーと呼ばれるようになる。時代性は消えて、抽象的なイメージで流通するようになる。サウンドの時代的な必然は無視されて、イメージによってジャンルが語られる。
これはいいとか悪いとかではなく、あらゆるジャンルに共通して起きる必然的な現象です。

そんな中でも、DeerhunterやM83やDIIVなど、別の視点から独特の美学を示したバンドもいます。
ただ、彼らを「シューゲイザーのバンド」と形容することには少し無理があるかもしれません。



そして、コロナ禍以降、何度目かのシューゲイザーリバイバルが起きていると言われています。Tik Tokでもシューゲイザーが人気で、アメリカからquannicやWispやなどのミュージシャンが登場する。韓国からはParannoulのようなアーティストが登場する。
これらのバンドは、ヘヴィロックやハイパーポップからの影響も感じさせ、今までのシューゲイザー・リバイバルとは異なる特徴を持っているところに面白さがあります。


kurayamisakaとシューゲイザーを繋ぐもの


そんななかで、果たしてkurayamisakaはシューゲイザーなのか。

サウンドだけ聴けば、そうでもない。ネオサイケ的な冷たさはないし、ポスト・パンデミック・シューゲイザーのヘヴィロック的な要素も薄い(ゼロではないけど)。
メロディや歌詞は衒いもなくJ-POPしている。
ギターのサウンドはオルタナやエモに近く、バンドの中心人物である清水正太郎も語っているように、Bloodthirsty ButchersやASIAN KUNG-FU GENERATIONの影響が強い。
ブッチャーズやアジカンを「シューゲイザー」だという人は皆無でしょう。


それでは、どうしてkurayamisakaがシューゲイザーだとみなされることになるのか。
この答えは、おそらくとてもシンプルだと思います。

(ここからは自分の過去についても触れている内容になるので、メンバーシップ限定になります!日々新しい記事をアップしているので、よろしければ是非ご加入ください!)


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