十日間の関係 第4話 2日目と3日目 恋愛しない約束(非定型恋愛 前半17話)前半連載中
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第4話 2日目と3日目 恋愛しない約束
「……そうですね」
「僕もさ、恋愛はあんまりしたくないんだ。浅井君からは大丈夫な匂いがする」
その表現に、何故だか自然に納得していた。恋愛がしたくない。
言葉にすれば不明瞭になるものの、樺島の言いたいことはなんとなくわかった。近すぎず遠すぎず、人肌を感じる無関心。ちょうどよい心の距離感。樺島の距離感こそがそれを表現していたから。人というものはどうやら、近すぎると2つのシャボン玉がくっつくようにその関係性が曖昧になりやすいものらしい。そして樺島の付き合い方はその距離感が結構厳密で、それを踏み越えない関係を求めている。
こんな条件を持ちだされたのは初めてだ。
けど俺にはその意図は何故だかよくわかった。そしてこれが堅持されるなら、俺は別にいい。家賃も安くなるし、この人は俺にとって珍しく居心地の悪くない人だった。それに……誰かと住むということは、俺にも意味がある。ちょうど一緒に過ごしていた彼女と別れてしばらくたったころで、人づきあいを断る理由を作るのがとても面倒だったから。誰かと同居していれば、家にまで押しかけてくることはないだろう。
「いいですよ。では恋愛無しということで」
わざわざ樺島から言い出したことだからきっと、守られるだろう。そんな条件、これまでだって守られたことはない。けれど何故だか、なんとかなる気がしていた。それに駄目なら引っ越せばいいだけだ。
「本当に?」
そう呟いて、樺島は目をぱちくりさせる。
流石に、即答するとは思っていなかったらしい。
「よかった。じゃあいつでも引っ越してきて。僕はだいたい家にいるからさ」
その場で鍵を渡された。
後日改めてその空いたという部屋を見に行けば、面積としては今住んでいる8畳ワンルームより少し狭い6畳程度のフローリングで、荷物はすっかり片付けられていた。キッチンが別だから、むしろ広い。リビングとキッチン、バス・トイレは共用だけれど、ルームシェアや寮とでも考えればさほど違和感はない。
共用部分の使い方について樺島から説明を受ける。
自分の物はきちんと管理することや賞味期限が切れた食材は廃棄することなど、違和感を覚えるものはなかった。むしろその手慣れた説明に、いつも誰かと住んでいたという樺島の言は本当で、プライベートが近寄りすぎないようにうまく線引されているのだろうと感じた。
俺も恋愛に巻き込まれたくない。本当に。
一緒に住むようになって2年ほどたち、お互い尊重しながら暮らしていた気はする。朝食と夕食はたいてい樺島が作ったものを食べる。樺島は料理が好きらしい。でも。あんなふうにハグされることなんてこれまではなかった。
そうすると、この変質はやはり海に入った影響なのか。それともスランプの影響かもしれない。
これまで一緒に住んでいた間も樺島の短いスランプは時折あった。その時はいつもよりリビングが散らかっていたり口数が少なかったりした。そんな時は時折夕食は作れないと言われる。俺もなるべく話しかけずにただの同居人としてそっとしていた。そんな距離感だ。
ここ数日、というか先週くらいから樺島はそんな状態に陥っていたのは知っていた。絵が上手く描けないらしい。
いつもより深刻なのか、俺が家に帰ったと同時に部屋に閉じこもり、出社する時も出てこないことが続いた。夕食はたいてい冷蔵庫に作ってもらった分があったから、温めて食べた。寝る時以外はいつもリビングにいて、俺といる時は一緒にテレビを見たりしている。樺島がウロウロしていないリビングは、何故か酷く空々しく感じた。
そんなわけでここ5日ほど、同じ家に住んでいるのにほとんど姿を見ていなかった。だから、少し心配していた。昔、樺島がスランプの時に酔って自殺未遂をしたと聞いたことがあるからだ。
だから昨日はとても心配して。
樺島はひょっとしたらそんな時に備えて、つまり自殺を止めてもらうために同居人を住まわせているのかもしれない。なんとなくそう思った。自殺未遂をしたのは酔っ払って一人の家に帰った時だと聞いたから。
思えば見ている限り、樺島が家にいる時に酒を飲むことはほぼ無い。
結局その日は気も漫ろで、あまり仕事に身が入らなかった。
いつもより早めに家に戻り、リビングに電気がついていることにホッとした。玄関を開ければキッチンから豊かなバターの香りが漂ってくる。
「おかえり、樹」
樹。
「ただいま、先生。調子は?」
「悪くないね」
その言葉を表すように樺島は優しげに微笑み、フライパンの上のチキンが綺麗にひっくり返されてジュウと皮が焦げる香りがする。ローズマリーの香り。いつもの機嫌の良い樺島、に見える。
「ちょうど良く帰ってきてよかった。ご飯にしよう」
「よく帰ってくる時間がわかりましたね。いつもより少し早かったのに」
「……なんとなく?」
そう呟いて軽く首を回す様子も、いつもと同じように思える。
部屋着に着替えてリビングに戻れば、アトリエのキャンバスにバツがついていないことに気づく。一番手前のキャンバスは淡くオレンジ色に塗られ、その中心に人の輪郭が描かれている。そのことにほっとした。スランプを抜けたのかはまだわからないけれど、少しは回復している気がして。
チキンソテーとコンソメスープ、付け合せにほうれん草と人参が皿に並び、樺島は終始にこやかで夕飯は美味く、一緒に映画を見ようといわれたからソファに並んでくだらない恋愛映画を見た。スランプになる前のいつもと同じ。ほっとした。
「樹、今日も一緒に寝ていいかな」
「いい、ですけど」
その問いかけはいつもと違う。俺をまっすぐ見つめる瞳は澄んでいたけれど、よく考えればそれは俺と樺島の距離感じゃない。
「どうしてですか?」
「どうしてって?」
「これまでそんなこと、言われたことなかったし」
そう呟けば、樺島は戸惑うように瞬いた。
「そう、だっけ?」
まるでそんなはずはないとでもいうかのような返答。やはりまだ本調子じゃないんだろうか。何か混乱していたりとか。
「ええ、もともと部屋は別々ですし」
「……そっか。そういえばそうだった。ごめん。でももし嫌でなければ」
「まあ、何もしないなら」
「しない、しないよ、本当に。ただ」
ただ……。そうして樺島は俯く。その様子は何か、違和感がある。どこか不安定だ。嫌かどうかというと、嫌というほどではない。昨日も。違和感はあるけれど何かされたわけではないし。
「それなら別に構わないですけれど」
「それでその、僕が前と違うこととか、変なことしてたら教えてくれるかな」
「……いいですよ」
変なこと。改めて昨日からの行動を思い返す。
全体的に違和感がある。それが何だかはよくわからない。
いつもより距離は近いとは思う。
けど、樺島はもともと、わりと気分屋なところがある。だから時折、突飛な行動をする。そう考えれば、その範疇といえるのかもしれない。いつもより人寂しい、とか。ましてその、あんな冷たい冬の海に入ったんだ。だからそのショックで、誰かに一緒にいてほしいと思っているのかもしれない。物理的に温度が欲しいとか。……俺は自殺をしようとしたことはないけれど、本当にごくたまに、誰かのぬくもりが欲しいときはある。
それとも絵のせいかもしれない。ちらりとリビングを見ても、昨日と配置は変わらない。だから絵を描いていない、描けないままなのかもしれない。
けれど絵のことはきっと、センシティブだから触れないほうがいい気はしていた。そこはきっと樺島の最もプライベートなところだし、そもそも俺には絵はよくわからない。
そうしてその翌日も樺島の腕の中で目覚め、仕事をして帰って海老グラタンを食べた。何も変わらないような、けれどもよく注目していればどこかに感じる違和感。ふとそこにある不確かさ。けれどもそれは、気づかないだけでいつもあったものなのかもしれない。
絵は今日はイーゼルが動いたあとがある。昨日よりはよくなったんだろうか。ひょっとしてスランプは順調に抜けた? わからない。
「明日は休みですけど、病院行きますか?」
「病院? あんまり行きたくないな。それよりどこかにでかけない?」
「どこか?」
「海、とか」
思わずスプーンが止まる。何故。何故また、海。
「何か忘れ物をした気がして」
忘れ物。海に?
けれどきっと、一緒にいかなければ一人で行くだろう。俺と樺島はそんな関係だ。お互いの行動を拘束したりしない。ごくたまにある、呼びかけ。
「まあ、いいですけど、中には入らないでくださいね。海」
一緒にいれば自殺なんかしないだろう、きっと。
「わかってる、寒いし」
「当然です」
いつもの樺島の口調。
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