終わる前に、もう一度だけ 第11話|選んだのは誰だった
【タイトル下短文】
選ばせたつもりだった。
けれど、その欄には、誰の名前もなかった。
【本文欄】
終わる前に、もう一度だけ
第11話|選んだのは誰だった
「じゃあ、」
その続きは、一晩経っても出てこなかった。
じゃあ、あの時は。
じゃあ、選んだのは。
どちらも、最後まで続かなかった。
神崎透の右手が、上着のポケットに触れた。
何かを探すような動きだった。
鍵でもない。
端末でもない。
指先が、空の布地を撫でる。
それだけだった。
旧記録保管室の白は、昨日と変わらず、古い紙のような色をしていた。
解析室の白とは違う。
冷たく磨かれた白ではない。
長く閉じられ、黄ばんで、それでも捨てられなかった白。
壁面端末には、昨日の記録がまだ残っていた。
旧処理記録:再開
代理完了判断:実行済み
本人選択確認:未完了
画面は、薄くなりかけていた。
一定時間、誰も触れなかったからだ。
表示が眠りかけた瞬間、白瀬依月の指が操作卓へ伸びた。
軽い入力音。
画面が戻る。
依月は、それ以上のことをしなかった。
「まだ、開いています」
それだけ言った。
続けますか、とは聞かなかった。
閉じますか、とも聞かなかった。
透は、画面を見ていた。
いや、見ているつもりだった。
実際には、文字の周りにある余白だけを見ていた。
本人選択確認:未完了
読める。
意味も分かる。
けれど、その意味が自分の中に入ってくる前に、視線が端へ逃げた。
依月は、透の右手を見ていなかった。
見えていないわけではない。
右手がポケットを探り、指先が空の布地を撫でた。
依月の視線は、透の手元をかすめて、すぐ画面へ戻った。
見すぎない。
その距離だけが、今は残っていた。
操作権限が、透側の端末に移る。
依月は押さない。
何も言わない。
ただ、記録は開いたままだった。
透は、右手を引き抜いた。
左手で端末の縁を押さえる。
右手の人差し指が、画面の前で一度止まった。
押す。
旧処理記録:再開
対象:████
処理関与者:神崎透
代理完了判断:実行済み
本人選択確認:未完了
最初に出たのは、欠けた項目だけだった。
対象の名前は黒く塗られている。
読めない。
読めないはずなのに、透には分かった。
黒塗りの幅。
名前の置かれている位置。
その前後に並んだ項目。
処理関与者:神崎透
透は、対象欄をもう一度見た。
████
文字ではない黒い帯が、ひとり分の名前の長さでそこにあった。
喉の奥が、乾いた。
依月は何も言わない。
画面は次の項目を表示する。
処理関与者:神崎透
代理完了判断:実行済み
本人選択確認:未完了
同じ項目名が、そこにあった。
代理完了判断。
本人選択確認。
透は、その二行の間で視線を止めた。
スクロールしようとした指が、動かなかった。
記録は、透を責めなかった。
ただ、項目を並べていた。
淡々と。
同じ温度で。
画面がさらに開く。
未完ファイル:無題_改3_もうやめ
結末候補:2件
選択状態:未確定
本文入力:0字
入力ログ:スペースキー反復
スペースキー。
透の耳の奥で、小さな音がした。
かた。
かた。
かた。
文字にはならない入力。
空白だけが増える音。
夜だった。
画面の光だけが、部屋の中で浮いていた。
二つの結末が並んでいた。
どちらも選ばれていなかった。
カーソルは、本文欄の先頭で点滅していた。
文字は入らない。
ただ、スペースキーだけが押されていた。
かた。
かた。
それから、声がした。
そうなんだろうね
回想は、そこで途切れた。
画面の中で、記録が同じ言葉を表示していた。
本人応答:そうなんだろうね
応答種別:該当項目なし
句点はなかった。
ただ、そう記録されていた。
透は、その行を読んだ。
もう一度読んだ。
応答種別:該当項目なし
その下に、小さな追加情報がある。
対象者名:朝倉叶
名前は、静かにそこにあった。
透には、表示される前から分かっていた。
警告音も鳴らない。
画面も赤くならない。
ただ、黒塗りだった場所に、名前が戻った。
透は、そこだけを長く見なかった。
見ないようにして、見えていた。
さらに下へ、記録が続く。
代理完了判断:実行済み
本人通知:停止
外部再開要請:遮断
本人再接続権:未設定
透の視線は、そこを通り過ぎかけた。
次の行へ行こうとして、戻る。
もう一度、読む。
最終ログイン試行:代理完了判断後 1分
接続状態:失敗
透は、息の吸い方を一瞬だけ忘れた。
一分。
その数字だけが、画面の白より濃く残った。
透は、次の行へ進みかけた。
戻った。
もう一度読んだ。
最終ログイン試行:代理完了判断後 1分
接続状態:失敗
画面は、何も解釈しなかった。
透の指先が、わずかに沈んだ。
右手の親指だった。
何かを消そうとする形で、後ろへ小さく動いた。
画面は戻らない。
ログは消えない。
叶の一言も消えない。
選択状態も変わらない。
何も表示されなかった。
ただ、右手の指先だけが、消えたはずの一文字を探していた。
透は、その動きを自分で見てしまった。
右手を握る。
遅かった。
依月は、画面を見ていた。
透の手元を見なかった。
それ以上、何も言わなかった。
画面は次の項目を表示した。
本人応答:そうなんだろうね
応答種別:該当項目なし
本人選択確認:未完了
透の中で、あの夜の声がもう一度、形を持ちかけた。
その先を、聞かなかった。
本当にそうなのか。
今、選んだのか。
選べるのか。
聞かなかった。
当時の透は、それを問いとして持っていなかった。
返事があった。
否定されなかった。
それだけで、進める気がした。
画面は、そんなことを記録していない。
記録されているのは、もっと短い行だけだった。
応答種別:該当項目なし
透は、息を吸った。
何も入ってこなかった。
「俺が、」
声が出た。
出てしまった。
そこで止まった。
続きを探すほど、どの言葉も違っていった。
以前なら、言えた。
終わらせたのは、僕だった。
そう思えば、まだ形があった。
けれど今は、その言葉の下に空いた欄が見えていた。
処理関与者:神崎透
それは消えない。
でも、次の欄も埋まらない。
選択者欄:───
透は、そこから目を逸らした。
逸らした先に、閉じるキーがあった。
指が伸びる。
閉じようとしたわけではなかった。
ただ、画面から離れたかった。
透の指が触れる前に、依月の指が閉じるキーの近くへ置かれていた。
押さえつけてはいない。
キーにも触れていない。
ただ、その近くにあった。
透の指が止まる。
依月は画面を見たまま言った。
「まだ、開いています」
同じ声だった。
責める声ではない。
慰める声でもない。
命令でもない。
透は、指を引いた。
画面の下部に、詳細項目が開く。
処理関与者:神崎透
代理完了判断:実行済み
本人応答:そうなんだろうね
応答種別:該当項目なし
本人選択確認:未完了
選択者欄:───
同じ画面の中に、神崎透の名前があった。
処理関与者として。
叶の名前もあった。
対象者として。
けれど、選択者欄には、どちらの名前もなかった。
選択者欄。
そこだけが、空いていた。
依月は何も言わない。
透も、もう何も言わなかった。
ただ、その空欄からは目を逸らさなかった。
画面は静かに、最後の二行を残した。
本人選択確認:未完了
選択者欄:───
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次の話はこちら
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前話はこちら
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終わる前に、もう一度だけ
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