50代、「私なんて」が口癖だった私が、それを手放すまで
何かが上手くいっても、素直に喜べなかった。
褒められても、心のどこかで「私なんて」と思ってしまう。
そんな癖が、ずっと抜けなかった。
①「私なんて」が口癖になった理由
最初は、謙遜のつもりだった。
誰かに何か言われるたびに、「私なんてまだまだです」と返していた。
そう言っておけば、その場がまるく収まる気がしていた。
でも、いつのまにかそれは口癖ではなく、本気でそう思う言葉に変わっていた。
(内心)謙遜のつもりが、いつから本音になったんだろう。
②褒められても、素直に受け取れなかった
そもそも、上司に褒められたことは一度もなかった。
経験年数があるんだから、できて当たり前。
こなせて当たり前。
そう思っている園長だった。
だからだろうか。
現場の人が「頑張ってるね」と言ってくれても、
「いえいえ、そんな」と、反射的に打ち消していた。
素直に「ありがとうございます」と言えばいいだけなのに、それができなかった。
褒め言葉を受け取ることが、なぜかとても怖かった。
③その裏にあったもの
現場の人に「頑張ってるね」と言われると、数秒後には、別のエンジンが動き出す。
「もっと頑張らなきゃ」という使命感が、勝手に降ってくる。
頭の中では、いつも警告サイレンが鳴っているみたいだった。
(内心)なんで私がここまでしなくちゃいけないの?園長、気づいてよ!
そう思っても、次には──
その場がうまく収まるなら、自分が我慢すればいい。
そう思って、いつも自分から動いていた。
でも冷静になって振り返ると、気づいた。
誰かがそう仕向けたわけじゃない。
これは、私が自分で作った環境だった。
(内心)いい人でいるの、もう疲れた。
後々しんどくならないように、その場をすっと通り過ぎる力が、私にはなかったんだと思う。
だからといって、後悔しているわけじゃない。
今の私だから、こう言える。
「保育園が求める自分にならなくていい。わたしは私だから。」
④小さく変えてみたこと
打ち消す代わりに、何も言わずに、ただ小さくうなずいてみることにした。
最初は、なんだか落ち着かなかった。
言葉を返さないことが、逆に不自然な気がして。
園長が気づいてくれないなら、せめてこの態度で、先生たちには気づいてほしかったのかもしれない。
それでも、続けているうちに少しずつ、素直に受け取れる自分に慣れていった。
⑤「私なんて」を手放したら見えたもの
「私なんて」と言わなくなってから、気づいたことがある。
皆さんは、有給を思うように使えていますか?
自分の有給なのに、思うように使えない環境だった。
今まではずっと、誰かに譲ることでやり過ごしてきた。
でもある日、初めて自分のために有給を使った。
「私の権利の有給を、私が使った。」
たったそれだけのことが、私が一番したかったことだったんだと気づいた。
自分を下げなくても、ちゃんとその場にいられる。
誰かと比べなくても、私は私のままでいい。
そんな当たり前のことに、50代になってやっと気づいた。
⑥今の私
「私なんて」ではなく、「これでいい」と思えるようになった。
自分を後回しにしなくても、ちゃんとやっていける。
そう思えることが、今の私にとって一番の心地よさなのかもしれない。
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