テニス上達メモ577.なぜ映像分析は、テニスを下手にすることがあるのか
テニスロボットが進化した。
大谷翔平のフォームは脚の高さが変わったから好調だという。
でもその映像――
・何百球のうちの何球?
・カメラ角度は同じ?
・切り取られた「任意の2枚」では?
映像分析が進むほど、私たちは「見えているもの」を疑う必要が出てくる。
▶テニスロボットがグランドスラムに出る未来
近年、フィジカルAIは目覚ましい進化を遂げています。
「テニスロボット」も、その流れのひとつと言えるでしょう。
実際にロボットがプレーする映像を見ると、そのうちグランドスラムに「ロボットカテゴリー」が新設されてもおかしくない――。
そんな未来まで想像してしまいます。
▶ライジングで処理されていない違和感
こんな記事がありました。
ロボット同士がテニスボールを打ち合う時代が、すぐそこまで来ているかのように感じられます。
ただし、映像を注意深く見ていくと、少なくとも、フィーダー(球出しする人)から出されたボールを、ロボットがそのまま打ち返しているようには見えません。
『ベースメソッド』を紐解けば、一目瞭然。
球出しの軌道から考えれば、本来ならロボットは「ライジング」で処理する場面になるはずです。
ところが映像では、打つ直前のカットが省かれ、結果として「落ち際」を打っているように見える場面が多い。
その後、ライジング処理しているシーンもありますが、それが球出しを返球したかどうかは、映像だけでは判断できません。
ともすれば、ロボットのスイングに合わせて、手出しで何度もラケットにボールを当てにいった可能性も否定できない。
こうした映像を続けて見せられると、「どのボールも安定してヒットしている」印象を受けがちです。
しかし実際には、何十球、何百球と撮り直した中から、成功したごく一部だけが編集されている――。
いい悪いではなく、それが、映像制作としてはごく一般的な手法です。
もし、球出しのボールをロボットが直接打ち返すプレーに成功していたならば、そのノーカット映像を見せるだろうと穿つのは、私の性格がよっぽどひねくれているからでしょうか?
▶その変化は、フォームか。それとも視点か
あるテレビ番組は、大谷翔平のピッチングについて、昨シーズンの好調の要因として、左脚の高さが以前より高くなったフォームの違いを挙げていました。
実際、過去と現在の映像を並べ、左脚の最高地点を比較してみると、今のほうが高く見える――。
ただ、ここでひとつ、立ち止まって考えてみたい点があります。
映すカメラの高さや角度が、ほんのわずかに違うだけで、見え方は想像以上に変わってしまうはずです。
テニスの弾道のようなものですよね。
打ち出し角がわずか数度違うだけで、ボールの着弾地点は、簡単に数メートル単位で変わってしまいます。
映像もまた同様で、カメラの高さや向く角度がほんのわずか違うだけで、
同じ動作でも、画面上では別のフォームに見えてしまうことがあります。
私たちは今、「フォームの変化」を見ているのでしょうか?
それとも、「視点の違い」を見せられているのでしょうか?
▶「任意の2枚」を見ているわけではない
振り上げる脚の高さは、映し出すカメラの高さや角度だけで決まるものでもありません。
確かに、同一の定点カメラで撮影された映像であれば、カメラ位置や角度が原因で、脚の振り上げ高さが変わって見える、という指摘は当たりません。
しかしそれでもなお、振り上げる脚の高さがつねに一定であると考えるのは不自然です。
というのも、大谷自身が投げ分ける球種、イニングの進行による疲労度、走者の有無や試合状況といった条件によって、投球動作は毎球、自然に微調整されてしかるべきだからです。
そもそも、比べてみてピタッと重なり合うフォームなど、2球と存在しません。
にもかかわらず私たちは、「以前」と「今」の映像の中からあたかも無作為に選ばれた2枚を見せられているかのように感じがちです。
しかし実際には、そうではありません。
番組である以上、違いが最も分かりやすく表れる瞬間――言い換えれば、数多くの映像の中から抽出された、最も「特異」な2枚を見ているのです。
そう、くだんのテニスロボットが安定して打ち返しているように見える数カットを、私たちが見ているのと同じです(関連記事「それは手品師の手口です」)。
▶なぜ「見たとおり」に打つと、ミスが増えるのか
番組批判はいったん脇に置くとして、私たちテニスプレーヤー自身もまた、
「自分目線」と「打点目線」のズレの中でプレーしています(関連記事「打ち下ろせる『気がする』」)。
たとえば実際のストロークが、腰の高さで打たされるとします。
ところがプレー中、目の高さから見た風景イメージを基準に打ち出してしまうと、相対的にネットが低く感じられます。
このギャップが、弾道を不安定にします。
その結果、ネットミスを繰り返したり、あるいは逆に、バックアウトが続いたりする。
——くだんの「打ち出し角度が数度違うだけで結果が激変する」話と同じ構造です。
ローボレーも同じです。
実際にはコートレベルに近い高さからボールを打ち「上げて」処理しているにもかかわらず、自分目線から見る印象では、それほど上げている感覚がない。
この目線のズレが、ミスを生み、私たちを混乱させます(関連記事「弾道のイメージについて何かアドバイス、助言を」)。
▶視覚は、簡単にだまされる

上の図は、ミュラー=リヤー錯視と呼ばれる有名な錯視です。
中央の2本の線は、実際にはまったく同じ長さです。
にもかかわらず、矢印の向きが違うだけで、長さが違って見えてしまいませんか。
私たちは、この錯覚を「知って」います。
それでも、見え方は変わりません。
視覚とは、それほど簡単にだまされるものです。
そして重要なのは、これは特別な状況ではなく、私たちが日常的に使っている「目」そのものの性質だということです。
▶錯覚を解くには、どうすればいいのか?
では、この錯覚を解くには、どうすればいいのでしょうか。
答えは、意外なほど単純です。
「打点目線」から、実際に見てみること。
自分の目で、「体験」することです。
「こんな感じだろう」と頭の中で想像しても、イメージは描き変わりません。
それは、視覚の錯覚が、理解や知識では修正されないからです。
ミュラー=リヤー錯視が示すように、私たちは「同じ長さだ」と知っていても、見え方そのものを変えることはできません。
同じことが、テニスコートでも起きています。
目の高さから見た世界を基準にしたままでは、腰の高さの打点で起きている現実は、いつまで経っても正確には掴めない。
だからこそ、打点の高さから、ネットを見てみる。
コートを見てみる。
球筋を指差して体感してみる。
それはあたかも、ミュラー=リヤー錯視の図から、矢印の斜め線だけを外し、中央の線の「実際の長さ」を、自分の目で確かめるような体験です。
「体験」が、私たちのイメージを描き替えます。
▶「基準」が更新された瞬間、イメージは描き換わる
多くのプレーヤーは、「打点目線」からコートを見た経験がありません。
そのため、プレー中の判断は、目の高さから得られる風景イメージを基準に行われます。
想像によって補正は行われますが、想像は、すでに持っているイメージの延長でしか機能しません。
参照している視点が変わらない限り、イメージ自体が更新されることはないのです。
その状態で、「高く通す」「ネットを気にしない」「余裕を持って振る」といった、言語的指示をいくら加えても、イメージの構造は変わらないままです。
この差が、視覚的な体験として取得されたとき、プレーヤーの内部イメージが更新されます。
それはあたかも、ミュラー=リヤー錯視の図から矢印の斜め線を外し、中央の線の実際の長さを確認するのと同じ体験です。
イメージは、理解や説明によってではなく、視点や基準を伴う体験によって書き換えられるのです。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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テニスゼロ代表
吉田無型(よしだ・むけい)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero