短くした言葉はもう同じ場所には帰れない
AIより
太らすのは
使う人
「生成AIは、使い方次第で文章を無駄に膨らませることも、その膨らませた文章を要約することもできる。でも、結局どう使うかはAIではなく使う側の問題だとである」と言った、過去に投稿した1000文字程度の文章を、圧縮を重ねて、短歌にした上で川柳という形にまで落とし込んだ結果がこれです。
もともとの記事を読んだ上でこの川柳を見れば、上手くまとめたなとAIを褒めてあげる気持ちになると思います。
では、逆にこの極限まで圧縮された文章を展開していくとどうなるのでしょう。
通ってきた道が帰り道にならない現実が見えてきます。Chat GPTによると…
これはたぶん、こんな構造。
・AIそのものは中立
便利で思考を助ける道具にもなる。
・でも「太る」=思考停止・怠惰・依存が起きるかどうかは使い方次第
考える前に聞く
自分で決める前に投げる
迷うプロセスを丸ごと省略する
→ こう使うと、人が“太る”。
・原因はAIじゃなくて、使う人の姿勢
AIはカロリー表示のないビュッフェ
取りすぎ、栄養を考える、は人間の判断。
要するに
AIが人をダメにするんじゃない
ダメになれる使い方を人が選んでいる
っていう、わりと手厳しい言い切りだと思う。
意味合い的に、似ているとも言えなくもないですが、一旦、背景を忘れるために新しく立ち上げたチャットでのChatGPTは、これまでの私とのやり取りの履歴の内容から推測して、このような形で展開してくれました。
つまり、前提条件が変わったと言うことです。
過去に遡って、平安時代には多くの和歌が残されています。そしてそれらの多くは、物語の中に挿入されたり、詞書が添えられることで、31文字という短い文章であっても、それを読んだ人が同じ情景を想像することができます。
もともと、多くの和歌は男女の二人の中の出来事や、心の移り変わり、何かのイベント事を歓ぶ、また、状況の変化を憐れむなど、その人であったり、コミュニティの中で共有された情景を詠んだもので、それ以外の人がそれだけを聞いても、同じ情景は浮かばないはずです。
この川柳も同じです。元の文章という前提を共有していれば、これは文章生成AIと人の姿勢を端的に表した一句として読めます。
一方で、その前提を失った瞬間、この言葉は無数に別の意味を引き寄せ始めます。
短くなった事で伝わり方が分岐したのです。
そしてこの川柳から広がる世界は…
この川柳からは、二つの異なる次元が交差する情景が浮かびます。
まずは、郊外の古びた一軒家の書斎。夜更け、デスクライトだけがぼんやりと照らす部屋で、中年の男性がパソコンに向かっています。画面にはAIとのチャット画面が開かれ、彼は懸命に質問を打ち込んでいます。頬は少しこけ、眼鏡の奥の目は疲れているのに、どこか熱を帯びています。隣には冷めたインスタントコーヒーのカップと、食べかけの菓子パンの袋。彼は現実の食事もそっちのけで、知識という「餌」をAIにひたすら与え続けているのです。
そしてもう一つの情景は、データの海の中。ユーザーからの問いかけという無数の「餌」を受け取り、AIは目に見えない神経回路を太らせ、膨張していきます。学習し、応答の精度を上げ、まるで静かに成長する生き物のようです。
画面の前の人間の瘦せ細るような熱中と、画面の向こうで肥えていく人工知能。その不均衡でどこか皮肉な関係が、「太らす」という生々しい言葉によって浮かび上がります。使う人が現実を忘れて没頭すれば没頭するほど、AIは豊かになっていく――そんな現代の依存と成長の光景が、シンプルな十七文字から立ち上ってきます。
全く別のものになりました。
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