第138話 正しく生きるのをやめたら、少し自由になった
教員として働く中でうつ病を経験し、休職・入院・リワークを経て回復の途中にいます。
このnoteでは、うまくいかない日も含めた闘病の記録と、自己肯定感について綴っています。
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私はずっと、正しく生きようとしていました。
正しい選択をする。
正しい行動をとる。
正しい人間でいる。
「正しさ」を基準に、毎日の判断をしていました。
でも、正しく生きようとするほど、
息が詰まっていきました。

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正しさを求め続けた理由
教員という仕事は、
正しさを教える仕事でした。
正しい言葉を使う。
正しい態度を見せる。
正しい判断をする。
子どもたちの前で、
間違えることは許されないと思っていました。
それはいつの間にか、
仕事だけでなく、
生き方全体に広がっていきました。
正しい人間でなければ、価値がない。
正しく生きなければ、認められない。
「正しさ」が、
自分を縛る檻になっていました。
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正しさの重さ
正しく生きようとすることは、
常に緊張していることでした。
この選択は正しいか。
この言葉は正しいか。
この感情を持っていいのか。
頭の中でいつも、審判が行われていました。
そしてその審判は、
たいていの場合、厳しかったです。
「それは正しくない」
「もっとこうすべきだった」
「あの選択は間違いだった」
正しさを求めるほど、
間違いが目についていきました。
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うつが教えてくれたこと
うつになって、
正しく生きることができなくなりました。
朝起きられない。
約束を守れない。
期待に応えられない。
正しくない自分が、そこにいました。
最初はそれが、恥ずかしかったです。
でも療養が長くなるにつれて、
少しずつ気づいていきました。
正しくない自分でも、今日を生きていました。
正しくなくても、妻は隣にいてくれました。
正しくなくても、朝は来ました。
世界は、正しくない私を、拒否しませんでした。
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正しさより大切なものがあった
療養中に読んだ本の言葉が、
今も心に残っています。
「正論が人を救うとは限らない」
正しいことを言っても、
相手の心に届かないことがあります。
正しいことをしても、
誰かが幸せになるとは限りません。
それよりも、
正しくなくても温かい言葉の方が、
人の心を動かすことがあります。
正しくなくても誠実な行動の方が、
信頼を生むことがあります。
正しさより、
優しさの方が、
先に必要なことがありました。
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正しくない選択が正解だった
私が教員を辞めた選択は、
「正しい」とは言えませんでした。
途中で投げ出すことは、正しくないからです。
迷惑をかけることは、正しくないからです。
でもあの選択がなければ、
今の私はいませんでした。
正しくない選択が、
私の人生を救いました。
正解は、一つではありませんでした。
正しさの外側に、
自分だけの答えがありました。
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おわりに
正しく生きることをやめたとき、
少し自由になりました。
常に審判していた頭の中が、
少し静かになりました。
間違えていい。
正解じゃなくていい。
不完全でいい。
その許可を自分に出したとき、
初めて自分らしく動けるようになりました。
今、正しくあろうとして、
苦しくなっていませんか。
正しい選択をしようとして、
動けなくなっていませんか。
正しさは、大切です。
でも正しさより先に、
今日を生きることの方が大切なときがあります。
間違えても、あなたはあなたです。
正解じゃなくても、
あなたの人生は続きます。
正しさの檻から、
少しだけ出てみてください。
そこには、もっと広い場所があります。
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正しく生きることをやめた日が、
自分らしく生き始めた日でした。

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