行きすぎた成果主義は企業のガバナンスを崩壊させる──プルデンシャル生命事件から学ぶ
プルデンシャル生命保険が、営業社員に月35万円程度の「最低報酬」を設ける方針を固めたという。
不正の温床とされた完全歩合制、いわゆるフルコミッションを事実上撤廃し、新規契約で厚く払っていた報酬を減らして、契約を長く継続させた場合の報酬を増やす方向に舵を切るらしい。あの「青天井の報酬」を看板に営業のエリート集団を自負してきた会社が、月35万円の保証という、日本のごく普通の会社員のような数字を持ち出してきた。やっと経営方針の間違いを認めたわけだ。
経緯を簡単におさらいしておくと、2024年に元社員らの詐欺事件が相次いで表面化し、2025年4月に金融庁が報告徴求命令を発出、全顧客調査を経て2026年1月、社員・元社員100人超が約500人の顧客から計約31億円をだまし取るなどしていたことが公表され、経営トップが引責辞任した。
「社員しか買えない株がある」「絶対に利益が出る」──そういう架空の投資話で、保険の担い手が顧客の信頼を換金していたわけだが、話はそこで終わらず、今年7月24日にはグループのジブラルタ生命を含めて新たに顧客125人・約7.9億円の被害が認定され、総額は約39億円に膨らんだ。
審査が済んだ申告はまだ半分ほどだというから、この数字はさらに伸びるだろう。
これは「一部の不心得者の犯罪」ではない。私も最初の報道のときは、悪い奴がいたものだ、と考えたが、100人を超える社員が同じ手口に走ったと聞いた時点で、考えを改めた。それは個人の資質の話ではなく、制度の話である。制度が人を追い込んだのだ。
ガバナンス強化のパラドックス
昨今の企業はガバナンス強化に余念がない。
会計制度、内部統制、働き方改革、ハラスメント研修、コンプライアンス教育と、その細目は年々増えていく。ところが不思議なことに、これらの取り組みは業務そのものにはあまり関与しない。
稟議の階層を増やし、チェックリストを増やし、e-ラーニングの受講履歴を管理する。要するに、業務の周辺にある事務的な手続きばかりが厳格化されていく。
一方で、人事の成果主義は野放しに近い。
むしろ「厳しい評価こそガバナンスだ」という顔をして強化されてきた。
ここに深刻なアンビバレンツがある。
「不正をするな、ルールを守れ」と書類を積み上げる同じ会社が、「数字を上げなければ生活が成り立たない」報酬設計を維持している。人間はどちらに従うか。生活のかかった方に決まっている。
プルデンシャルの営業社員は、コンプライアンス研修を何度受けたところで、来月の収入がゼロになるかもしれない恐怖の前では、研修資料の一行など軽かったはずである。ガバナンスの本丸は稟議書の様式ではなく報酬設計なのに、そこだけが聖域として手つかずだった。
社員にコミッションという矛盾
そもそも、雇用している人間にコミッション制度を適用すること自体に無理がある、と私は思う。
コミッションというのは本来、独立した外部業者との取引方法である。
成果物に対して対価を払い、契約に応じてお互いにリスクを負う。対等な事業者間の契約だから成立する話であって、これを正社員や契約社員、アルバイトあるいは実態として指揮命令下にある業務委託者に適用すると、会社は雇用者としての保護責任を放棄しながら労働者としての従属だけを求める、いいとこ取りの歪な関係が生まれる。
近年のフリーランス保護の法整備や労働者性をめぐる議論を見ても、この手の中途半端な成果報酬は法的にも危うい領域に入りつつある。「うちは実力主義だから」という言葉は格好いいが、その実態が「生活の保障はしないが忠誠は求める」であるなら、それは実力主義ではなくただの責任転嫁だろう。
成果主義は公平ではない
そして強く思うことがある。成果主義の最大の売り文句は「公平さ」だが、これが実は成立しない。100%公平な評価は、360度評価だろうが多面評価だろうが、どんな仕組みを持ってきても実現できない。評価とは最終的に人間が人間を見る行為であり、そこには必ず主観が入るからだ。
私は40年にわたる会社員生活の中で、人事制度改革というものを笑っちゃうほど何度も経験した。
新制度が導入されるたびに「また新しい制度か」とため息をつき、年々増える評価シートと面談記録と目標設定の事務手続きに、ほとほと嫌気が差した。皮肉なことに、働き方改革の名の下に導入された制度が、手間と時間を食って「働き方」そのものに支障をきたすのである(笑)。
査定する側にも長くいたことがある。だから断言できるのだが、どれほど精緻に数値化しても、最終的な評点の少なくとも半分は会社の思惑と上司たちの主観が占める。
肝心の成果評定にしたところで、その成果が本人の力なのか、市場環境なのか、前任者の遺産なのか、チームの手柄なのか、完全に切り分けることなど誰にもできない。つまり成果主義とは、主観的な評価に客観の衣を着せる技術なのだ。あれは会社の「やってる感」に全員で付き合う儀式である──評価する側もされる側も、心のどこかでそう思いながら。
しかも副作用がある。社員は必ず制度にアジャストするノウハウを編み出す。評価される仕事だけをやり、評価されない仕事──地味な改善、長期の仕込み、業務外の助け合い──を捨てる。
また本来伸ばすべき企業発展に貢献する専門性は育たず、組織の成長速度はかえって落ちる。プルデンシャルで起きたことは、その最も醜悪な形だったにすぎない。新規契約に報酬が偏れば、社員は新規契約に最適化する。契約が取れなければ、取れたように見せる何かに最適化する。制度は正直に、設計された通りの人間を作るのである。
誠実さは、安心の土台の上にしか育たない
念のため言っておくと、私は成果を無視しろと言っているのではない。
頑張った人間が報われる仕組みは必要だし、年功だけの組織が停滞して腐っていくのも、これまた嫌というほど見てきた。
成果主義そのものが悪なのではなく、成果だけを求めるのが悪なのだ。
例えば明日の生活が保証されていない人間に顧客本位を説くのは、溺れている人間に泳法の美しさを説くようなものである。
だから順序はこうなる。
まず社員の生活を守る。
その上で成果には賞与や昇進で報い、評価の主観性は主観性として認めた上で、評価者が自分の主観に責任を持つ。
そして数字の背後にある仕事の質を、時間をかけて見る。
書けば三行だが、これをやるには経営者が「短期の数字が落ちる」恐怖に耐えなければならず、たいていの会社はそこで挫けて、また新しい評価シートを作る方に逃げるのだが。
ガバナンスとは監視カメラや諜報員を増やすことではなく、人が不正に追い込まれない設計を作ることであり、その設計の中でこそ、個人の側にも、収入のためだけではない専門性の蓄積や仕事の満足、ささやかな自己実現の余地が生まれる。
会社の成長と個人の幸福は、本来そこで初めて両立する。
プルデンシャルの最低保証35万円は、少なくともフルコミッションよりはまともな設計である。ただし報道によれば、営業経費は依然として自己負担のまま(!)で、社員への説明会では撮影禁止、資料の配布も無しという。
正直呆れてものが言えない。
制度を変えても、人を信じない会社の体質はまだ変わっていない。
ガバナンスの再建は、ここからである。
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