一番尊敬する人から、話を托された
以前、「「私は病気のエリート」あの人はそう言った」というエッセイを書いた。
私が一番尊敬する、20歳以上年上の先輩についての話だ。
難病という過酷な運命を「病気のエリート」と言ってのけて、長年取り組んできた航跡史の編纂をやり遂げようとしている。
その気丈さと品格に感銘を受けて書いた一本だった。
そのエッセイを読んでくれた先輩から、手紙が届いた。
実はその少し前、別のエッセイがきっかけで、先輩が若い頃の話をしてくれていた。
「ラスボスが、泣きそうになった夜」という、夜のお店でのエピソードを綴ったエッセイだ。
内容に直接の関連はないかもしれないが、あの話を読んで、若い頃の記憶が蘇ったのだろうと思っている。
先輩が話してくれたのは、船乗りとして世界の海を渡り歩いていた若い頃の恋愛の話だった。
二人の女性との紆余曲折の交際、そして最終的に結婚することになる女性との出会い。
まるで小説のような話だった。
今回届いた手紙には、その続きが綴られていた。
そしてこう書かれていた。
「貴兄のエッセーの素材にでもなれば幸せです。私の終活の一部にします。」
読んで、しばらく動けなかった。
私のエッセイを読んでくれたことで、50数年間胸の中にしまっていた甘酸っぱい思い出を話してくれた。
そしてその話を、形にすることを託してくれた。
エッセイを書くことの意味を、改めて考えた。
自らの創作欲求を解き放ちたいという思いで、思いついた事を思いついたまま綴ろうと決めて始めたnoteでの創作活動だった。
書いたから届いた。
届いたから記憶が開いた。
開いた記憶が新たな物語になった。
始めた当初は、そんな魂の循環のような事が起こるなど、想像すらしていなかった。
あらためて、始めてよかったと心から思う。
今回、尊敬する大先輩から託されたバトン。
その重みに応える事が、物書きの端くれとしての自分に課せられた使命のように思う。
先輩がご存命のうちに、必ず形にしたい。
その一心で、さっそく書かせてもらう事にした次第である。
託された話の中身は、次回の記事で書かせていただきたい。
