見出し画像

梅の木のあるバス停  -essay-

ひさしぶりに祖母の家に遊びにいった。
「おばあちゃん、桜餅あるよ」
テレビ画面に釘付けの後ろ姿が訪れるたびに小さくなる。

祖父が他界してから祖母はみるみる認知が危うくなっていた。
好きだったオシャレも読書もめっきり億劫になり、気丈さをなくしてしまったようだ。外出もリハビリなどの最低限。ひとり暮らしで話し相手も少なく、日中はテレビをつけっぱなしだった。

「お茶淹れようね」
わたしの声は通販番組の大ボリュームな司会者にかき消されてしまう。補聴器も更新したほうがいいのだろうか。反応がない。
親族が老いてゆくのを直視するのは予想以上につらいことだった。その痛みとともに、人の自然の摂理として受けとめているつもりだった。でも、簡単じゃない。

湯を沸かしにキッチンに立つと、床にいくつもの段ボールが積んである。見ると、12個入りの『フカヒレ姿煮』の缶が未開封のまま放置してあった。奥の箱は『蟹缶』『鮑の甘辛煮』とつづいている。大量のケース売りのようだ。嫌な予感がした。まさか、テレビ通販で買っていないだろうか。

『春だねスペシャル!今なら、真珠のネックレスを買うと〇〇もつけちゃいます!』
蝶ネクタイをした男が喋っている。呆けたように画面を見る祖母の背中を目に、もしかしたら通販で購入して手つかずな商品がまだあるのではないか? わたしは隣の和室を覗くことにした。

和室の床の間には仏壇が祀られ、白菊とお線香が混じった青い匂いを放っていた。祖父の遺影と目が合った。
押し入れをそっと開けると、埃をかぶったミシンの横に小花柄の布がかかった凹凸が見えた。その布を取ると予想通り、真新しい段ボールが出現する。

大きな段ボールは健康器具だった。『座りながら楽々ステップ運動』とある。パンフレットを手に取ると、白髪の老夫婦が笑顔でステッパーを踏んでいる写真が表紙の、どう見ても上下に動く板がバネ式になっただけの粗末な商品だ。小さく印字された〈定価11万円〉にめまいがする。
 
押入れまでは業者が運んでくれたのだろうか。ああ、おばあちゃん。使いもしないモノをどうして? 行き場のない憤りに胸がつまった。

奥にあった小さな箱は美容クリームのセットだった。紫色の丸い瓶の化粧品はフタに透明テープが貼られたままだ。チェックするとクーリングオフ期限はとうに過ぎている。

祖母がなにを買うのかは自由だ。けれど、高齢者が通販番組の持つ独特な雰囲気に飲みこまれ、高額商品をいくつも注文してしまうケースはよく聞く。居間のテレビはまだ喋り続けている。まるでこの商品を今すぐ手に入れないとあなたの人生は大変なことになる、とでも言いたげに。流暢に。

祖母には黙っていた。買い物が悪いわけでも、通販業者が騙したわけでもない。返品しようと思えば出来る仕様になっているし、それをしなかったのは購入者なのだ。けれどわたしは、同じような現状が日本中のそこかしこにあるのだろうと思うとひどく複雑な気持ちになった。

「おばあちゃん、今日は天気もいいしスーパーに行こうか」
和室を出たわたしは、精一杯の明るい声をかけ気晴らしに祖母を連れ出した。

スーパーまでふたりで歩いた。祖母はお気に入りの薄紫色のカーディガンをはおり、痛む膝をかばいながら杖をついてゆっくり歩いた。
風にのって甘酸っぱい香りがした。信号を渡り角の空き地を通ると梅の花が満開を迎えている。

急に立ち止まった祖母が「ここでよく待ってたねえ」とつぶやいた。
梅を見ているようで、その焦点は別次元をさまよっていた。
誰を待ってたの? 訊くと「おじいちゃん」と応える。

その声はぼんやりと昔を懐かしむものではなく、強いリアリティを持ってその場に輪郭をつくっていた。まるで今、祖父を待ちわびているような祖母のうるんだ表情に圧倒されてしまう。

「あなたがちっちゃいころね。砂場で遊んでいるときに、おじいちゃんがバス停から降りてこの角を通るの。だから、おばあちゃん、ずっとここで待ってたんよ」

ドキリとした。バス停などなかったからだ。
ここで遊んだのは確かだけれど、今も昔も砂場はない。鉄棒が1つとベンチがあるだけの雑風景な公園だった。
どこかと勘違いをしているのか? そう思いたかった。梅の木だけが場違いなほど鮮やかだ。彼女はつづけた。

それでね、おじいちゃんね、今夜は遅くなるって教えてくれないんよ。だから私、おじいちゃんがバスを降りるまでずっとここで待っているしかないんよ。夕飯作って待っててもなあ、冷めちゃうしなあ。
ごめんねえ。お腹すいたよねえ。私が悪いの。ごめんなさいね。ごめんなさいね。ごめんなさい……。

謝りながらとめどなく話す祖母は、濃いピンク色の梅の花の下で大粒の涙を流していた。わたしには見えないそれらが彼女にはたしかに存在し、疑う余地などなのだろう。
わたしはポケットからハンカチを取り出し、白内障のゼリーみたいな瞳を揺らす彼女に渡した。

帰宅後、キッチンに積まれた段ボールを開け『フカヒレ姿煮』でスープを作り、ふたりで食べた。
おじいちゃんの好物だったと祖母から聞かされたのはそのときだった。
ああ、そうだったんだ……。勝手に無用なものと決めつけてしまったわたしの後悔が、波のように昇ってきた。
ごめんね。おばあちゃんの大切な思い出だったんだね。今度はわたしが謝る番だった。
「じゃあ、今度来たときに蟹玉つくろうよ」
わたしが指差した蟹缶の段ボールに彼女は子どもみたいにコクリ頷いた。


朧げになる認知をどうにかつなぎとめ、だんだんとわたしの知る人ではなくなってゆく祖母を、ぜんぶそのまま受け止めてあげたい、ただそれだけを想う。

どうしたらその人らしく最後まで生きられるのか──その問いに対峙しつづけることが、わたしたちが唯一できることなのだろう。

次に祖母の家を訪ねたら、紫の瓶を開けて手にたっぷりとクリームを塗ってあげよう。そして、ふたりでまたスーパーまで歩こう。
そうだ、あのステッパーは運動不足の母に使ってもらおう。
そしてみんなで桜を見に行こう。春だ。


【あとがき】数年前、枝垂れ桜を見たいという祖母を奈良県の『又兵衛桜』まで連れていった。朝霧に浮かぶ樹齢300年の老木の妖艶さは鳥肌ものだった。プリントして渡すと祖母は家の玄関に飾ってくれた。あの日の記憶はいまも息づいている。

撮影地:奈良県 宇陀市又兵衛桜(本郷の瀧桜)  2018年

エッセイと短い物語を書いています。


いいなと思ったら応援しよう!

冬至ハク  応援ありがとうございます✨ ZINE制作や創作活動に使わせていただきます✨