折り目⑥|そばにいるだけ【3章後編】|#創作大賞2026 #恋愛小説部門
はじめに
この物語は、いくつかの章でできている。
どの章から読み始めても、構わない。
ただし、この『折り目』のすべての章を読んだとき、最初に選んだ場所の意味が変わるかもしれない。
窓際の席で、コーヒーが冷めていく。
気づかないうちに、何かが変わっている。
これは、そんな小さな“折り目”の話。
https://note.com/tokei_0410/n/n7b4b6195db0e
*言いかけたこと*
展望デッキに出ると、風が来た。
栞は思わず首をすくめた。上着の前を合わせた。
澪は平気な顔で手すりに近づいた。慣れているのだろう、と思った。滑走路が見えた。遠くに飛行機が並んでいた。誘導路をゆっくり動いているものもあった。空は夕方から夜に変わりかけていた。雲が低く、オレンジと灰色が混ざっていた。「広いな」と栞は言った。声が風に持っていかれそうだった。「毎日ここ見てる」と澪が言った。「でも飽きない」飛行機が一機、離陸していった。エンジンの音が腹に
響いた。栞はその音が引いていくのを聞きながら、今日だけで何機が飛んだのだろうと思った。知らない誰かの終わりと、誰かの始まりが混ざり合う。涼介もこの場所で毎日働いている。
「涼介、元気?」
と栞が聞いた。
「元気だよ。忙しそうだけど」
「朱莉と、戻りそう?」
澪はしばらく滑走路を見ていた。
「戻ると思う。ゆっくりだけど」
「よかった」
「栞はどう思う。朱莉のこと」
栞は手すりに肘をついた。風が髪を横に流した。
「心配してる。ずっと。でも、朱莉は強いから」
「強い?」
「うん。朱莉って、最後は自分で立つでしょ」
澪は少し間を置いた。
「そうかな」
「そうじゃない?」
また飛行機が一機、動き始めた。誘導路を進んで、滑走路に入っていく。エンジン音が少しずつ大きくなった。
澪が口を開いた。
「頼られてるんじゃなくて——」
飛行機が離陸した。
エンジンの音が膨らんで、二人の間を埋めた。風が強く吹いた。栞の上着がばたついた。
「え?」
音が引いていった。静かになった。澪は滑走路を見たまま、少し間を置いた。
「んー、なんでもない」
栞は澪を見た。澪の横顔は、何かを考えているようだった。でも続けなかった。栞はまた滑走路の方を向いた。
「飛行機って、見てるだけでどこか遠くへ連れて行ってくれそうな気がするね」
小さく言った。聞こえているかどうか、わからないくらいの声だった。澪は何も言わなかった。
二人でしばらく、滑走路を見ていた。飛行機が一機また動き始めた。遠くのターミナルの灯りが、夜の色に変わっていた。
「寒くなってきた」
と澪が言った。
「寒い」
と栞が返した。
「帰ろうか」
「帰ろう」
二人で展望デッキを後にした。栞は袋を持ち直した。中にはいもようかんと、澪が買ったミルクチーズブッセとメープルマニアが入っていた。
*そばにいるだけ*
電車に乗って、二人で並んで座った。車内は混んでいた。向かいの席に子ども連れがいた。子どもが窓の外を指差して何か言っていた。母親が笑いながら答えていた。
「さっきの」
と栞が言った。
「うん、聞こえてたよ。全部じゃないけど」
澪は前を向いたまま、少し間を置いた。
「そっか」
「朱莉のこと、心配してるんでしょ」
「してる」
「私もだよ」
電車が駅に着いた。子ども連れが降りた。車内が少し静かになった。
「でも」
と栞が続けた。
「朱莉は自分で決めるんだろうし。うちらは、ただの背景で」
澪はしばらく黙っていた。乗客が増えた。電車は動いていた。
栞は袋を膝の上に置いた。いもようかんが入っているから、形を崩さないように持った。
「それ、あげるの」
と澪が聞いた。
「朱莉に」
「私が買ったのも朱莉に」
「朱莉、喜ぶかな」
「いいんじゃない」
栞は少し笑った。澪も笑った。電車の窓から、夜の街が流れていった。
『次の作品』
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