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折り目②|プリンサンデー【1章】|#創作大賞2026#恋愛小説部門


はじめに

この物語は、いくつかの章でできている。
どの章から読み始めても、構わない。
ただし、この『折り目』のすべての章を読んだとき、最初に選んだ場所の意味が変わるかもしれない。
窓際の席で、コーヒーが冷めていく。
気づかないうちに、何かが変わっている。
これは、そんな小さな“折り目”の話。

折り目①|プロローグ|#創作大賞2026#恋愛小説部門
https://note.com/tokei_0410/n/n7b4b6195db0e

1章 プリンサンデー


 窓際のボックス席に、栞がいた。もう注文を済ませているのが、ガラス越しでも分かった。朱莉は店内に入る前に気づいた。ガラス越しに見える白いカップ、すでに頼んでいる。朱莉は人差し指で窓をトントンと叩いた。栞が顔を上げた。すぐに目が合った。栞は口を動かした。はやくはやく、という形だった。手招きをしている。朱莉は静かに微笑んで、店内に入った。
「もう頼んだの」
「待ってる間暇だから」
向かいに座りながら、朱莉はメニューを手に取った。
「その服かわいいね」
「ありがとう、最近買った」
「何頼もうかな」
栞はメニューを指さした。プリンサンデーだった。朱莉を見て、当然でしょという顔をしている。
「えー」
「これでしょ」
朱莉は笑った。ドリンクバーのコーヒーを取りに立って、戻ってきたところで、店のドアが開いた。澪だった。店内を見回して、二人を見つけた瞬間、顔がほころんだ。小走りで近づいてきて、両手を上げた。朱莉と栞は顔を見合わせて、それぞれ両手で受けた。澪はそのまま栞の隣に滑り込んだ。
息が少し上がっていた。


*3人*

「遅い」
「ごめんごめん、電車乗り間違えた」
朱莉は立ち上がってドリンクバーに向かおうとして、椅子の角に膝をぶつけた。サポーターの上から、鈍い痛みが来た。
「大丈夫?」
栞が言った。
「大丈夫、なんでもない」
朱莉は笑って、ドリンクバーに向かった。コーヒーをカップに注ぎながら、少しだけ息を吐いた。戻ってくると、澪がカルピスを持って席に戻るところだった。栞はカフェラテを両手で包んでいる。他愛のない話が続いた。澪が電車で見た変な広告の話、栞が最近買った部屋の物の話、朱莉が担当したお客さんの話の途中で笑いが起きた。ポテトが来た。
テーブルに置かれた瞬間、澪が真っ先に手を伸ばした。
「あっつ」
と言いながら、やめない。
「揚げたて。えらい」
誰に言うでもなく呟いて、細長い一本をそのまま口に放り込む。ケチャップに手は伸びない。こういうのは何もつけないのが一番だと、彼女の中で決まっている。
「みんなも食べてよ、冷めるから」
そう言いながら自分の手は止まらない。外がカリカリで、中がほわっとしている。この数分だけが勝負だと知っているから。
「そんなに食べられないって」と朱莉が笑う。
「食べられるよ」と澪は言った。
ファミレスのポテトは量が多い。最初にトレーを見たとき、たしかに多いと思った。でも、気がつけば手が動いていた。話しながら、笑いながら、仕事の愚痴をこぼしながら。
皿が空になったのは、会話の途中だった。
「なくなった」
澪が少しだけ残念そうに皿の底を見た。
 午後の光が斜めに入ってきた。ひとしきり笑って、少し間があいたとき、澪が言った。
「で、最近どうなの。ちゃんと」


*ちゃんと*

 栞と朱莉が澪を見た。澪はカルピスのストローを持ったまま、二人を交互に見ていた。栞が先に笑った。昇進の話をした。責任が増えた、でも悪くない、という話だった。澪は頷きながら聞いていた。それから自分の話をした。異動希望を出していること、早朝からの勤務、長時間労働が続いていること、体がついていかない日がある、と。
二人は朱莉を見た。
少し、間があいた。

「ちゃんと、やってるよ」
朱莉は窓の外を見ながら言った。声は明るかった。
でも最後だけ、少し落ちた。
誰も笑わなかった。澪がストローをくるくると回した。栞はカフェラテのカップを両手で持ったまま、朱莉を見ていた。窓の外を、人が通り過ぎた。


*使われてない?*

ガラスに街の色が映り始めている。
「そろそろか」
「ちょっとトイレ」
栞が立った。朱莉と澪が残った。窓の外を電車が通った。
音だけが残った。澪がストローをカップの縁に置いた。
「朱莉ってさ」
朱莉が澪を見た。
「頼られてるんじゃなくて、使われてない?」
店内の音楽が一曲終わった。
「後輩に、朱莉さんなら大丈夫ですよねって言われた」
気づいたら、仕事が一つ増えていた。
朱莉はテーブルに落ちたグラスの水滴を指で拭った。
「断れなかった」
澪はカルピスを一口飲んだ。
「そっか」
栞が戻ってきた。
「何の話?」
朱莉は笑った。
「なんでもない」
澪は何も言わなかった。栞が座った。
カフェラテを一口飲んで、朱莉と澪を交互に見た。


*歪み*

「なんか空気変わった?」
「変わってない」
澪が即答した。朱莉は笑った。栞は少し首を傾けたが、それ以上聞かなかった。
「デザート来るの遅くない?」
「頼んだばっかりでしょ」
「お腹空いた」
澪が笑った。朱莉も笑った。
「うちの院長さー」
「また愚痴?」
「違うって」
窓の外の光が少し傾いていた。プリンサンデーが来た。
栞がスプーンを朱莉に渡しながら、
「やっぱりプリンでしょ!ほら、言ったー」
朱莉は少し口元を緩めた。スプーンでプリンを崩した。
うまく崩せなかった。プリンの表面が、歪んだ。
澪と目が合った。澪は何も言わなかった。
ただ、白濁したカルピスの向こう側で、朱莉の指先をじっと見つめてから、静かに頷いた。
「そろそろか」
澪が言った。朱莉と栞も立ち上がった。
会計を済ませて、店の外に出た。風が来て、三人は少し目を細めた。
「また来ようね」
栞が言った。
「うん」
「うん」
特に次は決めなかった。でも誰も急がなかった。
しばらく三人で立っていた。
「じゃあ」
澪が先に手を振った。小走りで駅の方向に消えていった。朱莉と栞は見送った。
「元気だね」
栞が言った。
「せっかちだけど、優しいんだよ」
朱莉は笑った。栞と少し歩いて、帰る道が分かれるところで別れた。
朱莉は一人になった。
街に光がついてきていた。風が耳を通り過ぎる。
朱莉は歩いた。歩くたびに、膝のサポーターが擦れた。
ポケットの中でスマホが震えた。画面には、涼介の名前が出ていた。朱莉は、一度だけ視線を落として、そのままポケットに戻した。スマートフォンの画面は、まだ光っていた。


『次の作品』


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