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ボローニャ来ても心は錦 2026



6/19(金) DAY0

 6/19のお昼ごろに羽田発の便でした。今回は初のイタリア御本尊ITA(いつの間にAlitalia航空は潰れていたのか……その後継の国営会社ということらしい)でローマ経由でボローニャに。ローマまでが14時間、1時間ちょいのトランジットでボローニャまでもう1時間。遠いよ! 羽田の待合で国立映画アーカイブの玉田さんが同じ便だと知り、少し心強い。彼は今回の映画祭の中の伊藤大輔特集のフィルム貸し出しなどをされてたようで、上映前の前説もやる。サイレント作品では我らが活動弁士、片岡一郎さんや鳴り物の人たちも上京ならぬ上ボロ。片岡さんは昨日、出発されたらしい。

痛車ならぬITA飛行機
機内食の時点で、すでにチーズ味に飽き始める……
さすがイタリアの航空機! フェリーニが3本入ってます。しかしなぜこの3本?という気はする。『青春群像』、何度観ても泣けますわい。
ローマ空港。まあデカい。
もう夜の9時くらいだけど、まだ日が出てる
玉田さんと一服です

 ローマからボローニャの短い時間に、隣に座っていたブラジルから乗ってきたという黒人の女性と少しお話。彼女は今フェラーラに住んでるんだけど、お母さんに会いにブラジルに行ってたと。聞けばサルバドールご出身ということで「バイーア! 30年以上前に妻と行きました。カエターノ・ヴェローゾが大好きで」と言うと「マリア・ベターニャ、ジルベルト・ジル……」といろいろ返ってくる。でも今はK-POPが流行ってるらしいです、ブラジルも。

 ボローニャBLQ空港からはマルコーニ・エクスプレスというモノレールが中央駅まで出てて、それに乗ろうと思ってたんだけど、もう夜の11時近くで、ホームに上るエスカレーターの入口にロープが張られてる。今日はもう終わったのか。仕方がないのでタクシーに乗って今回の宿のある、そして映画祭の夜のメイン会場であるマッジョーレ広場まで。20分くらい乗って26ユーロくらい。広場に着いたら、まだ今日の映画の最後の部分をやってました、ロベルト・ロッセリーニ『ロベレ將軍』(1959)、主演はヴィットリオ・デ・シーカであります。映画祭は明日からだけど、広場での上映はその前から始まってるし、9日間の映画祭の会期が終わってもこの広場での上映だけは8月半ばまで続いていく。

 先に到着していた、今回、部屋をシェアする業界仲間T氏と落ち合って宿に。本当にこのスクリーンの真裏の細い通り、Pescarie Vecchie(古い魚屋通り?)に入って10mも行かないような近くのアパートで嬉しい。家を出てからもうまる1日、さすがに疲れ切って寝ます。

6/20(土) DAY1

 毎回そうなんですが、疲れてるのに時差ボケもあって早くに目が覚める。6時起床。とりあえずシャワーを浴びてリフレッシュ。まずは映画祭本部まで行って映画祭のパスを受け取らねば。だけど最初の上映と開会式は、やはりこの宿のすぐ近く、地下にある100年前の劇場を美しくリノベーションしたチネマ・モデルニッシモなのでトンボ返りしなくちゃいけない。でも、2年ぶりのボローニャですからね。そりゃ楽しいですよ。同居人T氏と近くのバルに行って(ここは2018年に最初に僕がこの映画祭に来た夜に飛び込んで、とりあえずビールを一杯所望したお店)、Vorrei un cappuccino e un cornetto con crema.(カプチーノとクリーム入りのクロワッサンをお願いします。)と洒落込みます。1年半前から週一でイタリア語習ってるんですが、ちょこちょこ使っていかないと。でもまだ現在形しか喋れないんですけどね。

 そのまま二人で散歩。この映画祭で使うチネマ・アルレッキーノの場所をT氏に示しつつ、この映画祭主催のチネテカ・ディ・ボローニャのライブラリーに行ってパスと図録とトートバッグを受け取る。今回チケット代の安い(50ユーロ)ジャーナリスト枠で申請し、それは見事に通ったんだけど、確かそれだと図録とトートバッグは別売りだったような気がしたんだけど(通常料金120ユーロだと込み込み)、ちゃんとそれも付けてくれて、あら嬉しやな。

今回のキービジュアルは特集上映のあるハリウッド往年の女優バーバラ・スタンウィック。パスの図柄はやはり特集上映のある、1920年代パリでセンセーションを巻き起こし、ジャン・コクトーやヘミングウェイなど文化人たちを魅了したシンガー&ダンサー、ジョセフィン・ベイカー。生誕120年!)

 モデルニッシモに戻って、まずは米アカデミー・フィルム・アーカイブが今回の映画祭で上映される作品関連のものを集めた35mmの予告編集70分。
四十挺の拳銃、エルマー・ガントリー、ボッカチオ70、アリスの恋、若者のすべて、ベニスに死す、地獄に堕ちた勇者ども、プラン9・フロム・アウタースペース、ハスラー2、ネットワーク、シザーハンズ、ワイルド・アット・ハート、肉体の悪魔などなど……一番「なんだ、これは?」と笑いを誘っていたのは、黒人男性と白人女性のカップルがロマンティックな歌を歌い続けるPV風のPUTNEY SWOPE(1969)でロバート・ダウニー・シニア監督作。

 それに続いて開会式。なにしろ第40回記念! と言ってもこの映画祭を率いてきたジャン・ルカ・ファリネッリやその仲間たちによるもので、「ご来賓を賜りまして……」みたいなつまらない話などはない。

 第一回は1987年だった(僕がレーザーディスクの会社に入って社会人になった年だ)。ジャン・ルカの話。「最初はヴェネツィア映画祭の一環の企画として行われました。しかしそれは12月19日(土)、クリスマス休暇まであと5日。誰も映画館に行ってヘンなものを見たいとは思わない時期です。まさに自殺行為でした。この映画祭には、ある種の自殺願望が潜んでいたのは明らかです。1983年に始まった私たちの映画館、リュミエール劇場で、その頃、プログラム・マガジンを1ヶ月半ごとに発行していたんですが、それに映画祭の情報を印刷するのに間に合わなくて、コピーを配布することにしました。そこに書かれたマニフェストを読み上げます。

マニフェスト(宣言)。イタリアではポスターのことも「マニフェスト」っていいますね(文字中心のものだけ?)。僕的には「マニフェスト」と言われるとロキシー・ミュージックのアルバムを思い出してしまうわけですが。

『コミック映画、失われた映画、忘れ去られようとしているドキュメンタリー、消滅の危機に瀕している廃墟、失われようとしている映画。漫画! 光のない映画週間! 救うべき映画! 映画のゴミ! 開かれた映画。再発見された映画。不可能なもの、目に見えないもの、忘れ去られたもの、そして再発見されたもの。何よりも、ボローニャ映画アーカイブの貴重な作品が、イタリア、エミリア・ロマーニャ州の芸術文化自然遺産研究所との協力により再訪され、午後3時から午前3時までの連続上映という物語の中で、映画ファン、好奇心旺盛で情熱的な人々に提供されます』」

 開会式に来ていたローマで働いている(映画関係ではない)ひできさんと再会し(彼とは一昨年のこの映画祭で『シェルブールの雨傘』の上映の時にたまたま知り合って、その後、彼が日本に帰ってきた時にも会って友だちになった。お互い、次のプログラムまでそんなに時間がないので(とにかく映画をいっぱい観ようとすると、食事を摂る時間がなくなるのが映画祭参加の常)、道すがらのバルに駆け込み、エスプレッソでピッツェッタ(ピザの小さい版)など流し込み、僕はチネマ・ジョリーで今年の1本目。

AMMA ARIYAN
(1986/インド) 監督:ジョン・アブラハム

 1986年の映画ながら白黒(予算のせいだろう)。現存する2本しかないプリントの一つからインドのフィルム・アーカイブ、フィルム・ヘリテージ・ファウンデーション(FHF)が修復。タイトルは「母への報告」という意味だそうで、インドの南端ケーララを舞台にしたバリバリの社会派と言いますか、一人の若者が相乗りバスというか自動車で大学に戻ろうとする途中で、自分の友人らしき男の遺体に出会い、その死を彼の母親に伝えなければならないと、かつての仲間たちを訪ねてはその報告の旅に一人ずつ加えていく(最後には20人くらいに膨れ上がる)というロードムービー。その一人ひとりと亡くなった男のエピソードがそれぞれ振り返られる中に、当時のインドの、ケーララ州の官憲の暴力や貧困、カーストの問題などが炙り出されていく。スチルを見れば判るようにバリバリの「左」映画。中に出てくるキャラクターのセリフに「酒は飲まねばならぬもの、マルクス社会主義は俺の血に流れる哲学だ」と笑うシーンもあった。これを作っていたオデッサ・フィルム・コレクティヴという集団は映画の製作、上映を通じて人々を社会教育していこうという、いわゆる娯楽メインのインド映画のイメージとは真逆のアプローチをやっていた人たちのよう。一人ずつ集まっていく仲間たちの姿がまるでパゾリーニ『奇跡の丘』のキリストの使徒たちのようで(あと、最近観たジャファール・パナヒの『シンプル・アクシデント』も少し思い出した)、最後の行き先、亡くなった友人の母もキリスト教教会で働くシスターである。いやー、一発目からすごいの食らったなー、という感じ。亡くなった友人がタブラやムリダンガムの奏者だったという設定なのだが、劇中ではインド伝統音楽っぽいものも使われれば、レゲエやジョン・レノンの「スターティング・オーバー」などもかかる。壁にはプリンスの『パープル・レイン』のポスターなども貼られている。自分にとっては明らかにカラーの時代の記憶が白黒の中に描かれるギャップも何がガツンと来ましたね。

前説をするFHFのシヴェンドラ・シン・ドゥンガルプール氏

アリーチェ・ロルヴァケルとの対話

 監督や俳優などゲストのトーク・セッションもいくつか。今日は大好きなアリーチェ・ロルヴァケル。彼女はこの映画祭を主催するチネテカ・ディ・ボローニャの理事の一人でもある。今日は過去作のフッテージを見せながらのお話でした。今年はAI連動のレコーダー持参してまして、以下はこのトークの要約でございます。自分自身も英語の同時通訳では全然聞き取れてなかったり、リアルタイムで理解が追いつかないので、こういうAI利用は有益かなと。とりあえず概要部分だけ。トークの全文はこちらに出しました。

概要
アリーチェ・ロルヴァケル監督が、自身の映画的ビジョン、領域を守ることの重要性、そして文化的記憶について語ります。『夏をゆく人々』、『墓泥棒と失われた女神』、『幸福なラザロ』といった作品のシーン分析を通して、農地に対するエネルギー植民地主義の脅威、新たな開発モデルの必要性、そして現代社会の絶え間ない生産への執着とは対照的な「ケアと保護」の革命的な価値といったテーマを取り上げます。最後に、知識人ゴフレード・フォフィについて語ります。

 そう言えばこの日の翌日にヴィスコンティの『ベリッシマ』を観たんだけど(実は初見……💦)、『墓泥棒』でアリーチェの姉アルバが演じた、盗掘品の闇売買をやっている首領スパルタコの名前は『ベリッシマ』のアンナ・マニャーニが演じた主人公の夫役の名前だったんだね。アリーチェはジェルソミーナとかタンクレディとか、過去の超名作イタリア映画のキャラの名前を拝借するのを自分のルールにしているところがあって、それも「ケアと保護」に重きを置く考え方に繋がってるんでしょう。

 劇場を後にするアリーチェと一瞬すれ違って、4年ぶりに一言挨拶と握手。

L'AGE D'OR
(2026/フランス=イタリア 監督:ベレンジェ・トゥアン)

 なんでこの映画祭で2026年の新作が? 大戦前後の女性の一代記なのだが(フィクション)、この映画の肝はその当時の記録映像をふんだんにドラマの中に取り入れて、ある意味、時代時代の貴重な映像を見せるための「団子の串」としてドラマを構築している映画。であれば、この映画祭で採り上げられるのも納得だろう。だからキャラクターは現代の俳優たちが演じているわけだが、VFXを使って『フォレスト・ガンプ』よろしく、過去の記録映像の中に彼女ら、彼らが溶け込んでいたりもする。そのアイデアは面白いとは思うし、これを作るのは大変な労力だったと思うのだが、いかんせんホンモノの記録映像をどのように使えるか、ということが逆にドラマを縛ってしまったし、そこにLGBTQ+的な視点も盛り込もうとしている欲張りな(演じる俳優たちの顔立ちもとても現代的だ)。その姿勢に反して、なんかいかにも男性監督の目線で全体が進行するのが安っぽく、映画としてのグルーヴが生まれてこない。観客の中にもだんだん飽き飽きしたムードが蔓延してきて席を立つ人もちらほら。この映画祭ではどんな映画でもエンドクレジットが始まる瞬間に拍手が起こるのが常なのだけど、この映画では起こらなかった……少し経って監督名が出た時におざなりの拍手はあったけど、それは上映前に監督の前説があり、客席に彼がいるのをみんな知っているからである。

サンライズ
(1927/アメリカ) 監督:F. W. ムルナウ

 さていよいよ初日のクライマックス、マッジョーレ広場でムルなう。今年出来た最新の4K修復版を、この映画祭ではおなじみの作曲者・指揮者ティモシー・ブロックによる新曲、御当地ボローニャのテアトロ・コムナーレのオーケストラの演奏付きで。実はこれも初見です。農村で幸せに暮らしていた夫婦の夫が、悪い女とデキてしまい、ついにはその女から「奥さん、湖に沈めちゃいましょうよ」とそそのかされて、妻をピクニックに連れて行くふりをしてボートから落とそうと試みるも「やっぱりオレには出来ない!」となる。妻は恐怖で逃げ出し、電車に乗り込んで都会まで出てしまうんだけど、それを追っかけてきた夫は「すまなかった」ということで彼女を都会のいろんな楽しみに連れ出す。妻も妻で、さっきまでも殺そうとしてた夫に、意外と早く順応し笑、そこからは大都会での歓楽シーンが続く。あー、楽しかった、ということでまたボートで帰ろうとするも、大嵐がやってきて妻が湖に放り出されてしまう……。

 ドイツからアメリカに渡ったムルナウの第一作ということですが、まあ、とにかく映像が外連味タップリで飽きさせない。パートとして一番長い、都会の歓楽シーンが圧巻で、多重露光もあれば、今から99年前の時点でオプチカル合成もワンカットやっている。副題の「二人の人間の歌」とあるように、夫婦というものに起こる波風をいささか大げさに、ドラマチックに描いて、怖がらせるところは怖がらせ、笑わせるところは笑わせ、泣かせるところは泣かして、最後には気持ちよく日の出を迎えます。スコアはあまりにも劇の起伏に寄り添ってやや説明的に過ぎる気もしたけど、まあサイレント映画だからそれも仕方がない。劇中の効果音を楽器にやらせるところ、ダンスホールの喧騒をオケのメンバーが声を出して演出するところなどもあってサービス満点、お客さん大満足。ラストはスタンディングオベーションの嵐でした(まあ、もう帰ろうってんで立ち上がってるわけでもありますが笑)。いやー、良かった。しかし1日目からけっこう疲れた……とにかくボローニャ、暑すぎる!  ホントは初日サービスということでかもう1本、12時からモデルニッシモでエド・ウッドの『プラン9・フロム・アウタースペース』があったんだけど(みんなで「バッカでー!」って笑おうという感じでしょう)、さすがにもうダメだ。帰って寝ます。

6/21(日) DAY2

ベリッシマ
(1951/イタリア) 監督:ルキノ・ヴィスコンティ

ヴィスコンティ、若い。

 今年はルキノ・ヴィスコンティの生誕120年、没後50年の周年ということで、この映画祭でも特集が組まれたが、大々的というわけでもなく、割とひっそり目だったかな。どの上映にも批評家のカテリーナ・ダミーコ・デ・カルヴァリョ氏の解説が頭に付くのだが、名前からお察しのとおり、この人はヴィスコンティのほとんどの作品や、ロッセリーニ、デ・シーカ、アントニオーニ監督作等、数多くのイタリア映画の名作のシナリオを書いたスーゾ・チェッキ・ダミーコの娘さんで、今はヴィスコンティ研究の第一人者、という感じになっている。

右の白髪の人がカテリーナさん。

 そして上映前にはもう一人、ウェス・アンダーソンによるイントロダクションもビデオであった。『ベリッシマ』が大好きだそうで、録画なので、そこに娘がいるとも知らず、「脚本も素晴らしい。スーゾ・チェッチ・ダミーコ? チェッキ?」などと苦笑していた。

ウェスはこの4月にもここに来て『ベリッシマ』の前説をやっていた模様。

 ウェスも言ってたけど、これはヴィスコンティの全キャリアの中にあって唯一のコメディと言える作品で、映画の子役募集の告知をラジオで聞いた母親(アンナ・マニャーニが演じる)が自分のまだ幼い娘をスターにしようと躍起になり、段階的なオーディションのたびに奮闘、子供はそれがイヤで泣きだすし、妻の野望をよくは思っていない夫との仲は悪くなるし、彼女の野心につけ込む&この人妻にちょっとホの字みたいな映画界のゴロツキが現れるなど、さまざまな人間ドラマが巧みに展開していく、まあ「傑作」と言うほかない逸品である(って、この日、初めて観たのにエラそうですが)。元々、これまたネオレアリズモ期に数多くの傑作を残した脚本家チェーザレ・ザヴァッティーニの原案で、ヴィスコンティ自身がやりたい企画ではなかったようだが、実はヴィスコンティはこの前の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1943)のヒロインにマニャーニを使おうとしたところ、彼女が妊娠していたのでそれが果たせず、それもあってこの仕事を引き受けたということのようだ。まあ、とにかく、マニャーニの肝っ玉母さんぶりがド迫力で、笑わせてくれる。映画界の内幕ものということで当時のチネチッタ撮影所の様子も出てくるし、子役のオーディションをする映画監督は、ムッソリーニ時代からイタリア映画界で活躍し、そのチネチッタ設立にも尽力したアレッサンドロ・ブラゼッティが本人役で出ている。

 『ベリッシマ』の前に、この2年後に撮られた短編で、やはりザヴァッティーニ脚本、ヴィスコンティ監督の短編『Anna - Episode di Siamo donne』(1953)も上映された。これはマニャーニ自身が体験したネタを元にしたやはりコメディで、彼女が本人役。彼女が一緒にタクシーに載せたダックスフントが「子犬か否か」という解釈で運転手と揉めるという話で(「子犬」だったら無料でいいが、そうでなければ追加料金を取られる)、挙句の果ては運転手と二人、警察署に乗り込んで判断を仰ぐ大騒ぎになり(警察官たちは大女優マニャーニがやってきたので、みんな浮き足だったりする)、そうやってさんざん遠回りすることになったので、結局その子犬の追加料金よりも、トータルでかかった運賃の方がはるかに高くなるという展開である。ここでもマニャーニの姐御!という風情がとにかく気持ちよく、笑わせる。『ベリッシマ』もしかり、「ヴィスコンティ、こういう感じのお笑いも撮れるんじゃん!」という発見が嬉しい2本立てだった。

ŠINEL’(外套)
(1926/ソ連) 監督:グレゴリー・コジンツェフ&レオニード・トラウベルク

左がアカーキィ。

 サイレント、ピアノ演奏付き(ちょっとピアノが頑張りすぎてうるさかった)。裏で市川崑『黒い十人の女』なんかもやってるのになんでこれを選んだかっていうと、原作がゴーゴリの『外套』、そうロシアのアニメーション作家ユーリー・ノルシュテインが取り掛かってもう40年、未だに出来上がっていないあの『外套』をこんな時代にもう実写映画化してたんだなあ、という興味、その一点です。

 そもそも僕がこの映画祭に初めて来た2018年のキッカケの一つが、この映画祭には昔の映画(30年以上前のものという縛りがある)のDVDやBlu-rayに対して賞を出すDVD AWARDという催しがあって、それに自分が修復してリリースしたノルシュテイン作品集のBlu-rayをエントリーして予選通過したから、ということがありました(受賞はなりませんでしたが)。その前にこの映画祭のことはあちこちから聞いていて、一度行ってみたいなあ、と思っていたので、その予選通過を契機に、当時勤めていた会社の出張みたいな形で行かせてもらった次第(その後はずっと自腹で来てます……)。

 ところが、このサイレント映画、観始めても「?」の連続。たしかに舞台はサンクトペテルブルク(レニングラード)のようだけど、『外套』ってこんな話だったっけなー? 女性キャラなんか出てきたっけ……公文書を達者に書くアカーキィ・アカーキエヴィッチは出てくるし、顔立ちや出で立ちもノルシュテインのアニメのキャラによく似た感じだけど、なんか違う……と思って何十分か経った後、ようやくアカーキィのボロい外套の話にフォーカスしてきまして、「さっきまでのはなんだったんだ? 映画化のための創作か?」と訝しんでおったのですが、日本に帰ってきていろいろ説明を読んでようやく合点が行きました。これ、同じゴーゴリの『ネフスキイ大通り』って小説(読んでない)と『外套』を一つに合わせた脚色だったんだ。

 冒頭の、この映画の修復を担当した米ジョージ・イーストマン博物館の人の話がそこそこ長かったせいか、このまま最後まで観てたら、歩いて20分くらいの場所である次のプログラムに間に合わん!ということで、外套を新調してアカーキィが得意になってるところで離脱。この後、彼は外套を追い剥ぎに奪われて失意のどん底のまま死亡、幽霊となってサンクトペテルブルクの夜空を徘徊することになるのですが……。

 正直、『外套』じゃない部分に呆気に取られていて、内容をよく覚えていないけど、これは後にエイゼンシュテインの『イワン雷帝』(1944-46)などを撮ることになる撮影監督アンドレイ・モスクヴィンという人の初期の仕事として重要だということで、言われてみれば風景や室内などの雰囲気はあったかな(これ書いてるのがもう10日くらい経ったあとなので、よく憶えてなくてスミマセン!)。あとロシアのモノクロ・サイレント映画の中では一番最初に染色された(Tinted)映画だということで、ナイトレートのネガから、EYE映画博物館、MoMA(ニューヨーク近代美術館)、オーストリア映画博物館の共同作業による修復でも、その染色のところの再現に力が入ったと説明がありました。

忠次旅日記
(1927/日本) 監督:伊藤大輔

忠次は定吉と名を変えて造り酒屋・澤田屋の番頭として働いている。定吉の素性がお尋ね者とも知らず、澤田屋の娘お粂は惚れてしまうのだが、やがてこの恋が仇に……。

 モデルニッシモ劇場を出て、サラ・マストロヤンニ(マストロヤンニ部屋)のあるチネ・リュミエールまで普通に歩けば20分。だけどそれじゃ間に合わないので競歩のように早足で。本当は『血煙高田の馬場』(その上映は明日だ!)の阪妻みたいに走りたいけれど、なにしろ暑いんだよ、ボローニャは! 毎日最高気温37℃。言っとくけど天気予報の言ってる温度は百葉箱の中の温度だからね。体感はとっくに40℃ですよ。ボローニャの街は建物の下がポルティコって呼ばれるアーチ型のアーケードみたいになってるんだけど、雨除けにもなれば日除けにもなる。きっと昔からこの土地の夏はよく晴れて暑かったんだろうねえ。これなかったら死んじゃうよ。

ポルティコ。映画祭期間中は柱のポスターもそれ仕様で、ここではヴァルダさん。

 席のオンライン予約は事前にしていたんだけど(これも受付開始から割と早くいっぱいになる争奪戦)、開映10分前までに受付(期間中通用するパスに印刷された固有のQRコードをボランティアさんがピッとやってくれる)を済ませないとその予約は反故にされ、滑り込みを狙う客が並ぶLAST MINUTEの列の人たちが、空いてる席の数だけ入れられていくというシステム。息を切らせて入口に着いた時には案の定、もうLAST MINUTEの列に並べと言われ、汗を拭きながらなんとか入れました。

 で、スクリーン右手には我らが活動弁士・片岡一郎さん。左手にはピアニストのガブリエル・ティボドーさん。僕は有料衛星放送WOWOWプラス(チャンネル名はその前はシネフィルWOWOW、その前はIMAGICA TV、さらにその前はシネフィル・イマジカ)の会社員時代に番宣番組のナレーションを片岡さんにお願いしていた時期もあったし(最近はスシローのCMなどもやれれてますね)、彼がサイレント映画の活弁をやる時にはよく観に行ってるので、ここボローニャ映画祭への出演は我がことのように嬉しい。もともと海外映画祭からの招聘はよくあった方なんですが、コロナ騒ぎが空けてから、いよいよ国内でも海外でも上り調子のご活躍でございますよ。

これは自分は観に行けなかった前日の『長恨』『斬人斬馬剣』の時のお写真 by ローマのひできさん。この日は鳴り物の堅田喜三代さん、薩摩琵琶の川嶋信子さんとのトリオ。

 この『忠次旅日記』、『信州血笑篇』の一部と『御用篇』の大部分を合わせたもので107分、頭に修復のデモンストレーションが少し付いた35mm版(今話題の現・国立映画アーカイブ=旧・東京国立近代美術館フィルムセンターでデジタル修復した上で35mmフィルムにしたものです)、なかなかの長丁場。親子愛、人情、恋愛、切った張ったと色々詰め込んでありますが、後半は忠次がもう寝たきりになっちゃってけっこう渋い、哀しい展開。しかし片岡師匠の熱演と(女性キャラや子供キャラの声色なんかのところで周囲の非日本人の方々が分かりやすくウケてましたね)ティボドーさんの抑制の効いた、しかし勘所を掴まえたピアノの伴奏が素晴らしく、満員のマストロヤンニ部屋が集中を切らせることなく映画に呑まれておりました。最後はもちろん大拍手&大拍手!

終わった後、劇場前のパゾリーニ小広場で片岡師匠、私、ひできさんで記念撮影
小脇に抱える台本のこの厚さ!

どろ沼
(1953/イギリス) 監督:ロバート・ハマー

 原題THE LONG MEMORY。すみません、だいぶ寝てました……。日本とボローニャの時差は7時間で、夕方の6時ごろになるとまあ、だいぶ眠くなってきます。一昨年に来た時は後半戦に入ると夕方の映画を一本犠牲にして、昼寝ならぬ夕方寝を挟んでなんとかしのぐ、ということもしてましたが、今年はどうなりますやら。

 映画は冤罪で12年間刑務所に入っていた男が犯行現場であった廃船に戻ってきて、そこから真相を暴くために過去の関係者を順番に辿っていく、という感じなんですが、英語の映画だとイタリア語字幕しか出ないんで、貧弱なリスニング力ですとだんだん話が分からなくなりスヤスヤと……。一応、ノワールってカテゴリーなんだろうけど、演出的にはなんかこうピリッとしない印象でしたが、それが英国流ということなのか。まあノワールってどこの国のも、なんだか話はよく分からねーなー!というものが多いですが。で、帰ってきたら、なんとこの映画アマプラ見放題に上がってました(そもそも邦題が付いてる日本公開ものだという認識もなかった)。ボローニャでかかった修復版に比べるとだいぶ画質は良くないですが、もう一回、内容確認するために観ようかなあ。

 で、この後はLAのレーベル、アルベロスの俊成さん、パートナーのデューイさん、そして国立映画アーカイブの玉田さんと晩ご飯を食べにレストランへ。夜になっても暑い! そしてイタリアのレストラン、量多い! ビールとワインでいい感じに会話を楽しみ、ホロ良い加減になったところで、マッジョーレ広場でやってる『ワイルド・アット・ハート』を少し眺めて(昨日の『サンライズ』より人がいっぱいだった!)、スクリーン裏の我が家へと……まだ2日目か! 先は長いぞ……。

新しい4K修復版。11月にクライテリオンからUHD出ます

6/22(月) DAY3

Case Study:ケン・ラッセル『肉体の悪魔』の修復について

 朝の9時半からチネテカ本部の集会場DAMSLabへ。この映画祭では映画の上映だけでなく、新しく修復された映画について、そのメイキング、裏話を関係者が「ケース・スタディ」として開陳してくれる。自分も数はそう多くないながら、過去の映画作品の修復をディレクションする立場になることがあるので、こうした講義は修復の「今」を知るのにとてもありがたいし、世界中の現場で同じようなことに取り組んでいる(そして自分よりも遥かに専門的に関わっている)人たちの生の姿を見るのは励みになるのだ。で、会場に入るなり、映画修復とそのリリースにかけては今や世界の頂点に君臨する米のレーベル、クライテリオンのチームに遭遇。

初めて紹介された左の女性のお名前を失念……そしてレーベル草創期からのメンバーのフミコ・タカギさん、技術監督のリー・クラインさん。

 リーさん(自分とほぼ同い年のはず)はもうかれこれ10年前になるだろうか、黒澤明の『夢』、伊丹十三の『タンポポ』のカラーグレーディングの確認に日本のIMAGICAに来ていた時(ネガからのスキャニングは日本、グレーディングはアメリカ、その確認はまた日本で、というステップを踏んでいた)に雑誌の取材の立ち会いで初めてお会いして、その晩にちょっと食事して、確かその翌年の来日時にも焼き鳥屋で飲んだ。なにしろありとあらゆる映画監督、撮影監督とスタジオで肩を並べて、夥しい数の名作、旧作のリマスターに立ち会って来た人だから、面白い話がいくらでも出てきて、こちらは飽きることがない。そんな会話の中で「ボローニャにこういう映画祭があってさ、君なんか来るときっと楽しいと思うよ」って言ってくれたことがあって、「へー、そりゃいつか行ってみたいもんだなー」と思っていた。それで実際に自分がこの映画祭に来るようになると、彼は毎年必ず参加していて、何かしらトーク・セッションの司会のようなことをしている、言わばこの映画祭の「顔」の一人なのだった。今回もこの日の夜にデヴィッド・リンチやジョン・カサヴェテスとの仕事で知られる撮影監督フレデリック・エルムスとのトークが組まれている。「今晩聞きに行くよ」と伝えると「今日のはスゴイよ〜!」と自信たっぷりの返し。

 実は自分がこれから4K修復に取り掛かる映画が一本あるので、「出来た暁にはクライテリオンからも4K UHDのリリースお願いします!」と言うとタカギさんは「アメリカじゃもう購買者の75%がUHDになっていて」とおっしゃって、それに比べて日本は……とうなだれるばかりです。

左がワーナー・ブラザース・ディスカバリーのポストプロダクション・クリエイティブ・サービス担当上級副社長のダフネ・デンツ、真ん中がワーナー・ブラザースの新レーベルClockworkマーケティング&クリエイティブ担当副社長スペンサー・コランテス。右は司会のおじさんなんだけど「自分は代役でここにいるんだ」と名も名乗らず。独特の間合いを持った人で、みんな少々困っていた笑。

 さて『肉体の悪魔』(1971)である(ティーザー予告)。

 以下、登壇者の発言からまとめていきます。今回のディレクターズ・カットの4K修復版は、ワーナーが新しく作ったレーベルClockwork(もちろん同社の作品『時計じかけのオレンジ』から取ったものだろう。日本には「クロックワークス」っていう配給会社があるからちょっと紛らわしいね)の第一弾作品となる。そのClockworkは年間4〜6本のクラシック映画の再公開と、低予算の新規プロジェクト制作を専門とするレーベルとのこと。レーベルの理念は「ポスト・ニュー・ハリウッド」(いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」のことを「ニュー・ハリウッド」と言う)。

 今回修復されたディレクターズ・カットの元になるものは2002年から2003年にかけて作られた。ケン・ラッセルと仲良くなった映画評論家のマーク・カーモードは『肉体の悪魔』(初公開時は111分)のスチルに、映画本編にはないシーンがあることに気が付き、その素材の発掘に執念を燃やすが、当初ラッセルは「そんなものはないから止めとけ」と言っていたという。ところが本当に失われていたシーンのフィルムが見つかり、カーモード、ラッセル、そして本作のオリジナルの編集者であるマイケル・ブラッドセルが協力して、単にシーンを足したとかいうことでなく、フレーム単位まで細かく再編集を行った。この映画は、ラッセル自身が自分の唯一の「政治的映画」とみなしており、この再編集によって作品本来のメッセージとビジョンが回復されたはず、と感じていた。ところがこの114分版は2004年にロンドンのNFT=ナショナル・フィルム・シアター(現在のBFIサウス・バンク)で一回だけ上映されたきり、日の目を見ていなかった(ちなみにネット上で噂されている「117分バージョン」というものは存在しないと明言された)。

 修復にあたっては、オリジナル・カメラ・ネガティヴ(OCN)の状態はとても良く(そもそもワーナーの保管庫はちゃんとしてるので、と自慢も挟む)、加えてインターネガやRGB分解されたマスター(ワーナーはそんなものまで作っているのか?)も使ったという。ディレクターズ・カットのシークエンス通りに構成するのに一ヶ月かかったが、それは懸念していたより短い時間で済んだと。ただカラー・グレーディングに関しては、参考となるべきプリントがすべて褪色していたため(とても黄色くなったものもあった)、アテにできず、カラリストのアンドレア・クレバックはある種の調査的側面と、本能的、感情的な探求の中で作業せざるを得なかった。色域はP3で行われ、当然のことながら過去にテレシネされたRec.709版に比べ、ディテールの鮮明化、肌のトーンの補正、白の純度の向上、豊かな色彩表現が実現されている。

 出来上がったものを、この映画の大ファンであると公言しているギレルモ・デル・トロに確認してもらったところ、特にこの映画における「白」の表現に感銘を受け(それは後日、プリントで観た僕も感心しました)、手直しの注文も一切つけず、今回の修復を「錬金術だ」と称賛してくれたそう。

 今回の修復版は10月から全米で公開され、その後、全世界にも回る予定。

Case Study:ワーナーの3D作品のレストレーション

さっきのセッションから連続登壇の左=ワーナー・ブラザース・ディスカバリーのポストプロダクション・クリエイティブ・サービス担当上級副社長のダフネ・デンツ、真ん中=同じくワーナー・ブラザース・ディスカバリーのセールス・プランニングおよびライブラリー・マネジメント担当上級副社長ロビン・マクラーレン、右=マーティン・スコセッシ率いるフィルム・ファウンデーションのエグゼクティヴ・ディレクター、マーガレット・ボディ。

 間髪入れず、もう1セッション。今年のこの映画祭ではワーナーやパラマウントが1950年代に製作した3D映画の修復版の上映がいくつかあった。

底抜けふんだりけったり(Money From Home ) 1953
巨大の国のバッグス(Lumber Jack-Rabbit) 1953
Popeye, the Ace of Space 1953
謎のモルグ街(Phantom of The Rue Morgue) 1954
賞金を追う男(The Bounty Hunter) 1954
 
といったあたり。バッグス・バニーやポパイのようなセル画の短編アニメも3Dで作られていたことを僕は知らなかった。それでこれらの修復に関与した女性たちによるトーク。3D映画の修復は普通の映画に比べて大変なようで、右目用、左目用それぞれの映像が違和感なく再現されなくてはいけないし、当時の公開時には不具合を起こしていたであろう視差のズレを修正したりすることもあるとのこと。しかし近年のソフトウェアや映像編集システムの進化がそれらの修復作業をより楽にしてくれているという話。具体的にはMistika、Baselight、Nukeといったブランドの名前が挙げられた。以前に『肉の蝋人形』(1953)や『ダイヤルMを廻せ!』といった3D作品の修復が行われ、それらの経験が今に生きているが、それらの作品も今のシステムを使えばもっと良い修復版が作れると思う、とも言っていた。

 この日の夜遅く、ポパイ、『賞金を追う男』、そして後日『謎のモルグ街』を観ましたが(何気に自分は3D映画が好きなんですね)、修復のせいか、今の3Dシステムに変換したためか(ここでの上映は眼鏡のシャッターが電気で切り替わるXpanD方式で、眼鏡が重い上に、眼鏡オン眼鏡なのでちょっと苦労しました)、割と落ち着いた、目に優しい3D感でしたね。昔の3D映画ってもっとこれみよがしに飛び出す演出が多かった気がするんだけど。『空飛ぶ十字剣』(1977)とか。ただ最近のはどうか知らないけど、昔の3D映画の常で、映画の内容があんまり面白くないんだよね笑。ポパイのSFもかなりイマイチだったな〜。もっともセル・アニメで3Dっていうのがなかなか珍しい上に、ちゃんと3Dになってたんで驚きましたが。ちょっと専門的になりますが、マルチレイヤーの効果を密着マルチでやってるような感じでした(右目用と左目用で、中景、後景絵の位置をずらして撮影したりしてたんじゃないかと)。

CARLOTTA ヴァンサンさんとミーティング

 この日は、映画は今言った3Dのポパイと『賞金を追う男』を夜遅くに観ただけなんだけど、いろいろと他の出来事が多いんです。LAのレーベルArbelosの俊成さんが、このボローニャでフランスで配給やパッケージの発売をやってるカルロッタ・フィルムズの親分ヴァンサン・パウル=ボンクール氏と会うというので、あ、じゃあもし良かったら同席させてください、とお願いしていました。お二人ともほぼ毎年来てるんですよね。ひょんなことから自分が関わることになった押井守監督の初実写作品『紅い眼鏡』(1987)の4K修復版、完成後に日本以外での展開をこの俊成さんにお任せすることになりまして(それはArbelosではなく、それとは別に彼が作った新会社Small Sensations!=略称スモセンから)、おかげさまで全米の映画館でかかったり、アジアやヨーロッパの映画祭でも順次上映されているのですが(同時期に同じ押井監督の『天使のたまご』の4Kが出来たことも追い風になったと思います)、この秋以降、フランスでの一般劇場公開をこのカルロッタにお願いすることが決まってまして、一言ご挨拶が出来ればと思った次第。

 カルロッタは1998年の創設で、以来世界中の名画を劇場配給したり、デジタル修復したり、Blu-rayで発売したりしている。日本映画でも、日本じゃいまだに出てない(『浮雲』だけBlu-rayが出てるけど、そのほかは……情けない!)東宝の成瀬巳喜男監督作5本や、田中絹代監督作のBlu-rayボックスを出したりしている(田中絹代のは最近、米クライテリオンからも出たが、映画会社が新東宝、日活、大映、東宝、松竹にまたがっており、日本ではとてもボックス化なんか出来そうにない)。まあ要するにフランスの「目利き」である。

 「一番最初に手掛けた作品はなんだったの?」と俊成さんが聞くと、なんとヒッチコックの『北北西に進路を取れ』の劇場公開だったというから驚きだ。「あの頃は僕らみたいな新参者でも、ハリウッド・メジャーの古い作品を扱えたんだよ。まだデジタル修復とかそういう機運もなかったし」。たしかに、今じゃなかなか考えられないことですね。

 とにかくパッショネイトな人で、フランス訛りの英語で喋る喋る。元々そんなに喋らないし、かなりのインチキ英語しか喋れない僕などは、俊成さんとヴァンサンさんの喋りの合間に、時々合いの手を入れるのが精一杯だ。

 いろいろお土産をもらってしまったが、まずはこの7/15からフランスの劇場で公開するジャック・タチ6作品の4K修復版のプレスキットというかセールス用のパンフ(オールカラー 48p!)とバッジ。今回の再公開のデザインは、このたちが表紙のと、各作品それぞれのポスターがあって、とてもいいと思ってる。この日は「各作品のポスターはデータだけ」と言っていたんだけど、結局、紙にも刷ったようで通販もやっている。

 バッジの下の冊子は、今回彼がこの映画祭に持ってきたフィリピンのリノ・ブロッカ監督のTNIMANG KA NGUNIT KULANG(Weighed, but Found Wanting)(1974)という作品(後日観たが、超社会派の力強い作品。レビューはまたその時に)の4K修復版のガイドブックで、英語とフランス語の2か国語表記。明日の上映に来る全員に配るためにそれだけの量を箱で送ってきたそうで「メチャ重いんだよ!」と笑ってる。なんだろう、自分の手掛けた作品を知ってもらおうという、その熱量とフィジカルな努力にまったく頭が下がる。やっぱり「モノを伝える」って行為はこうでなくちゃいけねえよ! そして出たばかりの台湾映画『殺夫』(コワいタイトル……1984)と、インドのヌーヴェルヴァーグという括りのボックス(アラヴィンダン監督作ほか)。「フランス語字幕しかないけどいいか?」イイです。イイです。そもそもリージョンBだけど、それも大丈夫。リージョンフリーのプレーヤー持ってますから!

 話してる最中も、次のミーティングの相手であろう人から声がかかったりして、ヴァンサンさん大忙し。こうやって世界中の旧作に関わってる人たちが顔を突き合わせて、ちょっとした打ち合わせをするのも映画祭の慣わしのようでございます。もちろん今はメールでも、ZOOMでも打ち合わせは出来るし、それはそれでいいことなんだけど、やっぱり一目会って言葉をかわす、お互いの物腰に触れる、ってのがあるとないとじゃ全然違うと思います。

 そのまま俊成さんと「昼飯行きますかー」ということになり、ちょっと歩いて市場の建物の中にあるレストランに。パートナーのデューイさんも合流(僕はなかなか彼女の名前が覚えられなくて、名前を聞く度に「ヒューイ、デューイ、ルーイ」と繰り返すのだった。ダグラス・トランブルの映画『サイレント・ランニング』(1972)に出てくる3体のロボットの名前である。

よく分からずに頼んだベジタブルなもの。パンを固めてガスパチョをかけたようなものでした。
お値段は大体こんな感じ。何を頼んでも10ユーロはする。

Archivio Renato Zangheri - ARZ見学


 昨日に続いて片岡一座の活弁を観るつもりだったんだけど、よく考えると、それを見ていたら、この日の夕方に予約していたチネテカの新しい施設の見学ツアーに間に合わないことが判り、泣く泣く断念。そのツアー、郊外に新設されたチネテカ・ディ・ボローニャの新本部ということになるんだけど、まだいろんなものの移設の最中らしい。今、市の中央部にある施設は元はタバコ工場だった場所なんだけど(それも2018年に初めて来た時、ツアーに参加して見学させてもらった)、今度の施設は1990年にイタリアでワールドカップが行われた時に作られ、そのまま打ち捨てられていた駐車場を改装したものらしい。あ、因みに、僕はまったくスポーツに関心がないんだけど、イタリアはここのところ3大会連続でワールドカップには出場出来てない。もし出場してたら今頃この地はどんなことになっていたやらとヒヤヒヤする。

 見学ツアーと言っても市街から専用バスが出るわけでなし、自力で現地まで辿り着け&現地解散というなかなかの塩対応である。まず、その郊外まで行くバスがどこの停留所から出るのかということから調べないといけない。たまたま乗り込んだら、同じく映画祭のパスを首からぶら下げている白人女性がいて「あら一緒ね〜」となり、聞けば英国のBFI(British Film Institute)の人だという。「もう、オレ、あなたに着いていきますから!」という感じで、どんどん郊外に出ていく車窓を眺めつつ、どうもここらしい、というところで降りる。

「映画と写真のアーカイヴ」と書いてある通り、映画関係の保存だけではなく、写真(映画のスチルだけではなく、一般的な写真も含む)の保存も担う。
「アルキヴィオ・レナート・ザンゲリ」略して「ARZ」というのがこの新施設の名前。レナート・ザンゲリというのはかつてのボローニャ市長の名前で、市議会と地域住民の発案で誕生したチネテカ・ディ・ボローニャが1992年に誕生した時は文化担当評議員だった。

 少し歩いて、おー、たしかに駐車場みたいなグッゲンハイム美術館みたいな建物が見えてきましたよ。だいぶ早めに着いちゃったのでとりあえず入っても良さそうなところをウロウロ。

『フェリーニのカサノバ』に出てくる頭(の多分レプリカ?)
表から見える部分には敢えて有名作のフィルム缶を並べてる?
『リトル・ブッダ』とか『山猫』のタイトルが見えます。
古い映写機の展示もたくさん

 集合時間の17時になったところで、案内役のエレナ・コレーラさんが登場。このツアー、映画祭の始まる前から始まって数日間、毎日朝夕2回ずつ行われて、予約制だったのだが、どうやら1回の定員が30人だった模様(遅れてきた人たちが後から後からやってくる)。「英語を喋る人?」と挙手を求められると自分を含めて10人くらいで、あとはイタリアの人。ツアーの案内も基本的にイタリア語で、その後に英語で要点をチャチャッと、という感じ。そもそも外国からこの映画祭に来て、映画を観る時間を惜しんでわざわざ郊外のアーカイヴ施設を見学したいなんていうのは、同じ業界というか似たような仕事をしてる人である可能性が高いわけで、英語の説明も「アナタたち、アタシが言わなくても分かってるんでしょ」って感じで、けっこうおざなり笑。

案内役のコレーラさん。
赤い扉の奥が映画フィルム倉庫。ここはその前の通路部分。
黒いのはDCP(デジタル・シネマ・パッケージ)のHDDケース。もうDCPも保存対象。因みにこちらの説明では1本の映画のDCPのデータ量は120GB前後。ここからは僕の説明だが、1本の映画の4Kのデータは1TBとか、HDRだと2TBとかにもなる。DCPも圧縮されているのである。
DCPの向かいの棚にあるのは……
昔の写真のガラス乾板である。写真のコレクションは300万点に及ぶという。
ヴィネガー・シンドロームの説明など。
写真のコレクション。実のところ、まだ資料の移設は全然初期段階で、これは見学者に見せるために並べてるだけ、という感じ。
映画関係では、パゾリーニ、レオーネ、ベルトルッチ作品等でスチル・カメラマンを務めたアンジェロ・ノーヴィのコレクションが充実している。この人がノーヴィ。
ベルトルッチ
『1900年』かな?
パゾリーニの後ろ姿
フェリーニ『アマルコルド』ですね
元が駐車場なので螺旋状のスロープで上り下りが出来る
修復ラボ、リマジネ・リトロヴァータ部分はまだ場所があるだけで中は空っぽ
駐車場跡なので映画に登場した車が展示してあるというシャレ。これはディノ・リージ監督の『追い越し野郎』(原題はIL SORPASSO 1962年)でヴィットリオ・ガスマンが乗っていたランチア・アウレリア B24S。ホンモノだそうです)
『ラスト・エンペラー』の車
『ローマの休日』のスクーター

THE SOUL OF THE IMAGE

 1時間の見学ツアーが終わって、バスで再び市街に戻り、そこからモデルニッシモ劇場まで、また早足。朝会ったクライテリオンのリー・クラインがホストを務める、撮影監督フレデリック・エルムズのトークである。こちらは書き起こしのページを別に作ったのでそちらをご参照ください。

 その後はいったん宿に戻ったんだっけな? もう全然思い出せない……。

賞金を追う男
(1954/アメリカ) 監督:アンドレ・ド・トス

映画はカラーです。

 朝に説明のあった修復3D映画の1本。先付けでポパイのアニメもありました。さすがにこの日はもう疲れてまして、寝たり起きたりの繰り返し。話もよく分かってないけど、まあ西部劇なんで、イイ者と悪者が闘うという枠組みは定石どおり。ただ主演の西部劇役者ランドルフ・スコットが「こんなんでいいのかね?」と思うくらいオッサン臭くて魅力に欠けるんだなあ。調べたら前世紀の生まれで映画公開時には56歳。ウワ、俺の方がジジイだった……。3D効果はまあそこそこ奥行きを意識した構図もあったし、土煙なんかはいい効果出してたけど(3Dって霧とか煙が効くんだよね)、あからさまなのは、鉄砲で穴の空いた樽から水がジャーッと出てくるところとか、弾の当たった悪漢の帽子が画面に向かってピューッと飛んでくるところとか(客席失笑)。さあ、帰って寝よう!

6/23(火) DAY4

希望の星
(1930/アメリカ) 監督:フランク・キャプラ

これが出世作となったバーバラ・スタンウィック

 今年の映画祭のメイン・ビジュアルになっているバーバラ・スタンウィック主演作特集ですが、自分的には4日目にして初スタンウィック。監督がキャプラだし、35mm上映だし、ということで朝の9時からアルレッキーノ劇場へ。

今日も暑くなりそうだ

 お話は、金持ちの御曹司の画家ジェリーが暮らしぶりは派手ながら貧しいパーティーガールのケイ(スタンウィック)と出会い、自分のモデルとして採用。ペントハウスのアトリエで絵を描いてるうちに恋が芽生えるわけですが、ジェリーの両親は卑しい身分の嫁なんて罷りなりません!と猛反対、ケイは船の上から飛び降りてしまう……(最後はハッピーエンドです)、って感じで、元はブロードウェイのお芝居の翻案だそうです。あ、原題はLadies of Leisureで、なんで邦題が『希望の星』になったんだか、内容を観た後も首を傾げますな。スタンウィック、ホントにこれしか観てないのでなんともですが、あと、初日にやった予告編集の中にはいっぱい出てたんで、そこから察するに、太い低めの声のせいもあってか、男に媚びないアイデンティティのしっかりした女性の役が多いのかな? ある意味、今っぽいキャラ造形というか。なんだけど、この映画はまあ、まだ1930年ということもあってか、やや全体の運びがモッサリしていて、エンディングも「え、ここで終わりか」というアッサリ加減でしたね。モッサリ&アッサリ。

今年のポスター

 今年のいくつかある特集の一つに、インドのベンガルで活躍した、今年生誕100年を迎えたリトウィク・ガタク(リッティク・ゴトク表記も)という監督の特集があり、本編はまだ1本も観ていないのだが(結局、映画祭を通じて1本しか観れなかった)、そのガタクについてのドキュメンタリーを作った人たちのトークがあるというのでそれを聞きに行く。

ドキュメンタリーを監督したサンギータ・センさん(めちゃくちゃ熱い語りだった)とアダム・ドートリーさん。

 僕は名前を聞いたことがある、という程度だったんだけど、過去、東京FILMEXなどで特集上映などもやっていたよう。同じベンガル出身のサタジット・レイなどに比べると知名度は低かったのだが(なかなか作品が評価されず、アル中にもなって50歳で亡くなっている)、近年になってむしろ再評価の機運が高まっているということだ。ボローニャの後、英国のBFIでも大規模な回顧上映があるとのこと。ガタクについては作品のところでまた。

 夕方の『革命前夜』まで間があるので、同室の仲間T氏と昼食に。彼が初日に宿にチェックインした時に、鍵を渡しに来てくれた女性に「ここらへんで地元の人が行く美味しいお店はどこ?」と尋ねて、いくつかメモしていたようで、その中から一つ、ちょっと裏道に入ったようなところにあるこじんまりとしたトラットリアに。まずはハウスワインの白をメッツォ・リトロ(500ml)。

僕の食べたチキンのトマトソース煮。シンプルで美味い。
T氏のカツレツ。

 「カツレツといったらミラノじゃないの?」とT氏に言ったのだが、ボローニャはボローニャで名物のようだ。しかしカツの上にやはりハムとチーズである。ボローニャはこれなしには済まされないのであろうか。フロアを仕切るマダムがクールかつ親切でとてもいい感じ。パンのおかわりなどをいただくのに、習ったイタリア語をチョコチョコ使って悦に入る。Posso avereナントカで、英語のCan I haveナントカである。

革命前夜
(1964/イタリア) 監督:ベルナルド・ベルトルッチ

 さてベルトルッチの『革命前夜』、今年出来たばかりの4K修復版。本当はヴェンダースが前説をやるはずだったが、まだ着いてないということで(翌日からも自作を含めいくつか前説を演る予定があり、それには間に合ったようだが、結局、僕は一度も彼の姿を見なかった。まあ、過去、東京で2回会ってるんで!と自慢)。

 そのヴェンダースの代わりなのか、元々一緒に登壇する予定があったのか、壇上にはなんと今回の4K化の監修もした、当時、撮影監督アルド・スカヴァルダの下でカメラを担当していたレナート・ベルタ(後にシュミット、ゴダール、レネ、ロメール等の撮影監督……右端)と編集のロベルト・ペルピニャーニ(右から二番目)。いや、ヴェンダースには悪いけど、こっちの方がよっぽど貴重でしょ! お話は、あの頃はみんな若くてヌーヴェルヴァーグに影響を受けてとか、この映画でヴィットリオ・ストラーロがカメラ・アシスタントとして初めて付いたとか、ベルトルッチの編集センスは直感的とか、そんなことが語られました。

 映画そのものはホントにもう当時のベルトルッチの自画像なんだろうなーという青臭さ(実は初見)、ヌーヴェルヴァーグ、中でももちろんゴダールかぶれのすごさ(セリフの中にも出てくるし)は見ていて恥ずかしくなるほど笑。しかし結局、ブルジョワ育ちには革命は無理、っていうオチでしたかね?(ちゃんと理解してないかも) 修復はかなりキレイでしたね。

 夕方にイスラエルのアモス・ギタイ登壇のコマを一個予約してたんだけど、ちょっと疲れが出てきたので一人、スーパーで買物をして宿に戻り、怪しげなおじやなど作って夕食。

普通のお米かと思ってRisoと書かれた袋を買ったのに、中には豆とかもミックスされてたヘンなものでした。野菜はさすがに立派&美味しい。
IHコンロを使ったことがないので火加減がよー分からんのです。
ここに泊まった人が残していった調味料群。コショーはいくつもある。僕はひまわり油(炒める用)と醤油を買い足しました。
地元、エミリア・ロマーニャ州のスパークリング・ビオ・ワイン。味は忘れた……まあ美味いに決まっとる。
見た目イタリアっぽいかもだけど、醤油味。やはりそういう味が欲しくなる。

トリコロール/赤の愛
(1994/フランス=ポーランド=スイス合作)
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ

 腹を満たしてワインも飲んで夜の10時から映画を観始めるとどうなるか……まあウトウトですよ、グースカですよ、そりゃあね。だけど主演のイレーヌ・ジャコブさんが来るってんで一目拝んでおこうかと。場所も宿の目の前、モデルニッシモだし。

素敵な感じのジャコブさん

 そもそもあたしゃ『トリコロール』三部作をまったく観てなくて、というかキェシロフスキは『デカローグ』全10話しか観てなくて。なので、ウトウトしながらのこの『赤の愛』もなんだか分かるような分からんようなだったのですが、年取ったトランティニャンがいつものように良いですね。ジャコブと彼氏とのウダウダした関係は「あー、やっぱ『デカローグ』と同じ人だなー」と思いました。まあ、これは他の二作と合わせて観てナンボのようですね。いつか観るかしら。うーん、どうだろう。

6/24(水) DAY5

血のバケツ
(1959/アメリカ) 監督:ロジャー・コーマン

 朝の9時からモデルニッシモでロジャー・コーマン笑。今年は何本かコーマンの新しい修復版が出ていたのだが、けっきょく観たのはこれ1本。ビートニクの集まるバーのフロアで働いていて、みんなにバカにされてるアマチュア彫刻家がある日、誤って殺してしまった猫の回りに石膏を塗りたくって作品に仕上げ、バーに持っていくと突然「こりゃすごい!」と大人気に(なんでだよ!)。それで「すぐに次のを作れ、高く売れるから」ってんで取り掛かろうとするも、才能がないので何かを殺さないと新作が作れない……とまあ、そんな話です。コーマン、何しろ3日で1本作っちゃうような人だから(この映画も66分しかない)、話の構築とかこれくらい雑なんだけど、それでもちゃんと印象を残すから大したもんだ。

SWING HIGH, SWING LOW
(1937/アメリカ) 監督:ミッチェル・ライゼン

 こちらも今年の特集監督の一人、パラマウントで数々のスクリューボール・コメディを撮っていたミッチェル・ライゼンの1本。トランペッターとショーガールを主人公にした、ショービズ界のメロドラマでした。もっともこの映画は最初こそ軽いコメディタッチだったけど、だんだんドロドロ、暗い感じになってきて(三角関係とかアルコール中毒とか……)、あんまりいい気持ちの映画じゃなかったな。他のライゼン作品も観ていた同宿人のT氏によれば、もっといい作品があるとのこと。35mmプリントでの上映でした。

 お昼はT氏と、チネテカ本部のすぐそばにあるジャパニーズ・レストラン「サガミ」へ。名古屋発祥のチェーンだそうで、イタリアの他の都市にもある模様。もうボローニャに10年以上住まわれている東京出身の日本人女性が働いておられて、少しお話。仕事してるとなかなか映画祭やってると知ってても行けないと。ラーメンと餃子の定食をいただきました。まずまずのお味。

120年前の映画特集

 ここのところ、この映画祭は、開催年に対して100年前のフィルムの特集のコマがあり(モノクロ、サイレントのものが多かったわけですが)、映画の歴史もだんだん増えてまいりまして(今、誕生から130年くらいですよね)、午後のサラ・マストロヤンニでは120年前の災害を記録したフィルム(ほとんと5分前後の短いもの)を中心に、ピアノ伴奏付きで。サンフランシスコ大地震とか、そういうヤツ。でも、あんまりよく覚えてない……だいぶ寝てたかな。

街にもジョセフィン・ベイカー

 午後のお次は同じサラ・マストロヤンニで、これまた今年の特集の柱の一つ、ジョセフィン・ベイカー特集の一つ。

LA SIRÈNE DES TROPIQUES
(1927/フランス) 監督:アンリ・エティエヴァン

 ジョセフィン・ベイカーはアメリカの黒人女性ダンサーで、1925年からフランスの舞台に立ち始め、上半身裸でワイルドなダンスを踊るさまは「黒いヴィーナス」として一大センセーションを巻き起こし、その時パリにいたコクトーやピカソ、ヘミングウェイやフィツジェラルドなどを虜にしたアイコンです。ここらへんの話は今年出版された村井康司さんの新書『世界史はジャズで踊る』の中にも出てきますし(さまざまなスタイルが生まれたジャズのこれまでの流れを世界史の中に位置づける、とても読みやすくて良い本です)、もっとここらへんをクロースアップで知りたければ別の著者の『パリの空の下ジャズは流れる』という本もあります。そういう文献で名前は知っていたけれど、じゃあそれが実際にどんな人なのか、ということは知らなかった。それを目のあたりにできる。映画というのは本当にありがたいものです。彼女が出てくるいくつかの短いニュース・フッテージの後、長編(97分)のサイレント映画、訳すと『熱帯の妖女』とでもなりましょうか。こちらもピアノの伴奏付きで、35mm、1秒20コマのプリントです。お話は上司の策略で西インド諸島に送られてきた白人男性アンドレに、現地の女性パピトゥー(これがベイカー)が恋してしまい、やがて彼を追ってフランスに、というもので、まあはっきり言って黒人、というよりも土人差別と言った方がいいような内容。気がよく、純朴で、野性的で、セクシーな未開の女性。ベイカー、よくこんなものに文句も言わずに出たなあ、と思いますが、そもそも舞台でもそのイメージで売り出されていたし、これが初めての映画だし、ショウビズの世界に巻かれて否応無し、という感じだったのでしょう。セリフ(と言ってもサイレントなのでインタータイトルだけど)も、いかにも土人の片言、みたいなニュアンスになってたし。しかしそれを言ったらここから40年近く経ってるのに『モスラ対ゴジラ』(1964)のインファント島に出てくる現地民たちの「ドリンキン! ドリンキン!」はどうなんだ、とも思いますが。ベイカーは自伝でこの時のことをこう書いてます。

私は脚本を読まずに『熱帯の人魚』を撮影しました。誰も気にかけず、私のために英語に翻訳してくれるほど思いやりのある人はいませんでした。わざわざ翻訳する必要はないでしょう? それに、この有名な脚本は撮影中にまとめられたものなのですから……。それで、私は『熱帯の人魚』でパピトゥーを演じました。フランクール通りのネイサン・スタジオ、モガドール劇場、エピネーの黒人村の真ん中、フォンテーヌブロー、そしてハーグで……。この映画では、あらゆる色の幽霊を見ましたし、あらゆる色の幽霊も私を見ました……。彼らはエピネーのエクレール・スタジオを黒人村に変えました……。隣では『レカミエ夫人』を撮影していました。控えめに言っても、私たちは奇妙な隣人でした。黒人とサン・キュロットはスタジオの片隅で酒を酌み交わす仲間になりました。ルイ・オーベール映画会社の経営者であるバール氏はこう言いました。「ほら、ニジェール川は彼らが言うほどセーヌ川から遠くないんだ……」そして私は彼らが処刑を行っている間、チャールストンを踊りました……私は映画撮影の訓練を全く受けていませんでした。ここで言う「フォリー・デュ・ジュール(フォリー・ベルジェール)」のように、「花のように」何も知らずに映画界に落ちました。実際には、このように静かに押し出されました。そして、「マドモワゼル、あなたは一人でやっていってください」と言われました。私は、いわゆる「売れる名前」を持っていました。それは常に良い救命胴衣です。どの監督も私に基礎を教えようとはせず、私を助けよう、私が知らないこと、撮影を始める前に知っておくべきことを教えようとはしませんでした。それで私は泳ぎました……つまり、泳げなかった、泳ぎ方を知らなかったということです。もし今日、私が撮影した作品のことで映画裁判にかけられたとしたら、間違いなく有罪判決を受けるでしょう。それだけでなく、何よりもまず、無責任だと非難されるでしょう。まあ、経験には時に高い代償が伴うものです。今はそれがよく分かります。自分の名前だけで踊ったり、歌ったり、パフォーマンスをしたり、撮影したりするのは、もう二度としたくない。

CRÍTICO
(2008/ブラジル) 監督:クレベール・メンドンサ・フィリョ

 世界中の映画祭で賞を取りまくっている新作『シークレット・エージェント』の日本公開が待ち遠しいクレベール・メンドンサ・フィリョ監督、ボローニャに降臨! 僕は彼(ともう一人の共同監督作)の『バクラウ 地図から消された村』(2019)が大好きで、シュハスコ・ウエスタン、あるいはフェジョアーダ・ウエスタンとでも言いたくなるようなバイオレンスの作りにものすごい衝撃を受けて、その前の『アクエリアス』(2016)も観たらやっぱり良くて。ゴリゴリに社会派の内容を娯楽サスペンスに落とし込む手際が上手いというか面白いというか。実は帰りの飛行機で『シークレット・エージェント』が機内上映に入っていたので、小さい画面を食い入るように観ました。3時間くらいある大作なんだけど、これも凄かった。早く映画館で、日本語字幕付きで観たい。

 さて、今日の上映は彼が批評家時代(批評家をやってたこともこの日、初めて知りました)に、相手の許可を得て撮影していた映画人のインタビュー映像をコラージュして「批評」とは何か、ということを問うドキュメンタリー。8年間に103回のインタビューを行い、そのうちの79回のフッテージが使われている。上映に先立って、映画祭のドン、ジャン・ルカが聞き手になってのトークがあったので、以下はその要約。

 厳格な検閲が行われていた独裁政権下のブラジルで育ったクレベールは、主にアメリカ映画に触れていたが、当初から彼が惹かれたのは、『スター・ウォーズ』のような超大作ではなく、ジョン・カーペンターの『要塞警察』のような、小規模で低予算の映画だった。それらは、自分たちでも実現可能だと思えるプロジェクトのように感じられたからだ。
 10代の頃、彼はそれまで馴染みのなかったヨーロッパ映画やブラジル映画に出会う。1980年代に映画好きの家族と共にイギリスで過ごした時期には、BBCで放送された1970年代のオーストラリア映画など、幅広い作品に触れる機会があり、それが彼に深い影響を与えた。こうした型にはまらない映画体験が、彼の流麗かつ重層的なスタイルを形作る一因となった。

 身近に通える映画学校がなかったため、彼はジャーナリズムを学び、批評家としてキャリアをスタートさせる。映画を観て週に5、6本のレビューを書くことで対価を得ながら、映画を深く分析できるこの仕事を、彼は自身の研鑽の根幹として愛していた。彼は決して「批評家止まり」であることに不満を抱くことはなく、むしろその仕事に喜びと充実感を感じていた。
 クレベールにとって「映画を作る」こととは単なる監督業にとどまらず、批評や映画祭の運営、その他の活動をも包含するもの。批評活動を映画界への能動的な参加と捉えるこうした包括的なアプローチこそが、彼のキャリアを形成した。

 批評家として活動する傍ら、撮った短編映画が成功を収め始める。監督と批評家という二つの立場で映画祭に参加し、かつて自分がレビューを書いた映画作家たちと対面するという「気まずい」状況に直面したことがきっかけとなり、彼は初の長編映画に専念するためにレビューの執筆を止める決断をした。映画『Critico』は、この転換期を記録した作品である。

 「イル・チネマ・リトロヴァート(Il Cinema Ritrovato)」映画祭で『Critico』が上映されることには大きな意義がある。本作は、その内容だけでなく、撮影当時を証言する低解像度のフォーマット(VHSやMiniDV)もまた、時代の記録としての価値を持っている。インタビューを受けた人々の多くはすでに故人となっており、本作はアーカイブとしての価値に加え、社会的な記録としての重要性を帯びている。

 記憶や声に対する関心は、インタビューを録音するオーラル・ヒストリー(口述歴史)の研究者であった母親の影響によるもの。テープレコーダーが身近にある環境で育ったことが、彼を魅了した。録音された声への情熱は彼の作品制作の核心にあり(→『シークレット・エージェント』でもそのことが分かる)、長く残る記録として構想された『Critico』においても重要な要素となっている。

 批評は単なる「良し悪しの判断」にとどまるべきではない。優れた批評家は、映画を歴史的・文化的な文脈の中に位置づけ、その作品が世界や社会について何を語っているのかを理解しようと努める。オスカー・ワイルドが言ったように、あらゆる批評はある種の自伝でもある。批評家は自身の文章の中に、必然的に自分自身を投影してしまうものだから。

 批評の未来への「危機」が取り沙汰されることもあるが、クレーベルの姿勢は楽観的。個人の心に響く映画や音楽、芸術が存在する限り、批評の居場所はなくならないと考えている。優れた着想や考え方が色あせることはない。彼は自身の近作に対する批評を分析し、それらに共通する点がある一方で、独自の洞察に満ちた批評も数多くあることに注目している。

最新作『シークレット・エージェント』、早く公開してくれー!

アクメッド王子の冒険
(1926/ドイツ) 監督:ロッテ・ライニガー

 今日のラスト、チネテカ本部の庭、ピアツェッタ・パゾリーニにて、影絵アニメのパイオニア、ロッテ・ライニガーの『アクメッド王子の冒険』ほか、100年前、1926年のアニメーション作品をいろんなミュージシャンたちの生演奏付きで。日本の国立映画アーカイブから貸与された大藤信郎の『煙り草物語』とか、ライニガーの師匠に当たるヴァルター・ルットマンの『DER AUFSTIEG(上昇)』とか、音楽も若い人がテクノっぽいサウンドを出したりして、なかなか面白いマリアージュを見せておりました。

 このピアツェッタ(小広場)・パゾリーニでの上映、毎年恒例ですが、何が凄いって、昔のアークライト映写機、カーボン=炭素棒を燃やしてその明かりで上映してるんです。映写技師も毎年同じ人。燃えるカーボンから煙がバンバン出てね。だけど画面はめちゃくちゃ明るいです。こういう映写スタイルでも映画の歴史を知ろう、体験しようという試み。

これが映写機と映写技師さん。

 今日はけっこう頑張ったな〜。自販機でコーラを買ってフタを開けたら大噴射! 手をベトベトにしながら残った半分を飲みつつ、宿に戻ります。

6/25(木) DAY6

TINIMBANG KA NGUNIT KULANG
(1974/フィリピン) 監督:リノ・ブロッカ

 今日は午後から電車に乗ってトスカーナ州のルッカに行く。夜にデヴィッド・バーンのコンサートがあるからだ。なので映画は午前中しか観られない。当初は9時からまたロジャー・コーマンの『アッシャー家の惨劇』(1960)、11時からフリッツ・ラングの『熱い夜の疼き』(1952/ヴェンダースの前説付き)を予約していたのだが、昨日の夜になって、月曜に会った仏カルロッタのヴァンサンさんから「ウチの修復したリノ・ブロッカ、観てくれた? 明日9時からもあるから」と連絡が入り「9時かー、明日の夜はルッカに行くんですよ」「夜じゃないよ、朝の9時!」というやりとりがあり、おお、だったら観れるじゃん!とこっちに鞍替え。これがなかなかズシリとくる重い内容で、今回の映画祭では一、二を争うインパクトを与えられた作品と言えるかもしれない。

主人公のジュニア。

 物語は、監督自身が育った田舎のヌエバ・エシハという町が舞台。その町の往来を徘徊している精神を病んだ女性クアラ、町外れに一人で暮らすハンセン病の若者ベルト、その彼らを遠巻きに見守る主人公の少年ジュニア、ここらへんが物語の中心となる。実はジュニアの女たらしの父親はかつてクアラを孕ませて非合法に堕胎させた過去がある。社会から阻害されたクアラとベルトはやがてカップルになり子供を授かるが、その子供はかつてクアラが世話になっていた修道女たちの集団に取り上げられてしまう……。70年代のフィリピン社会の有様をいろんな角度から見つめる骨太な、しかし分かりやすいドラマで、フィリピンを代表するリノ・ブロッカ監督のマイルストーンと言えるような位置づけのようだ。いかにもアジアな、色の濃く乗った修復版も良い出来で、フランスではもちろんカルロッタからパッケージが発売されるだろうが、修復クレジットにはクライテリオンも入っていたので、いずれ英語字幕版もアメリカで出るだろう。

デヴィッド・バーンを見にルッカへ

 さあルッカに向かうぞい。ラングを観ていたT氏と合流してボローニャ中央駅へ。ここは新宿駅と同じくらい?いっぱいプラットフォームがあって、うっかり間違えると大変なことになる。ちなみにイタリアの駅には改札はない。電車の中で検札があったりなかったり、という感じだ。

ONCE IN A LIFETIMEの、頭をノックするアクションのつもり
ボローニャ〜ルッカ間の直通はないので、プラート中央駅で乗り換え
ルッカ駅から城門を目指す
周囲4kmの城壁に囲まれた町
壁の高さがお分かりでしょう
本日の開場、ナポレオーネ広場手前。左に日替わりでやってくるアーティストのスケジュールが。
いきなり目の前にライヴ会場。今は誰でも入れる状態。LEDパネルのテスト中。
会場近くのレコ屋もバーン仕様
町の象徴たる教会は壁面工事中
ライヴは9時半から。目当てのレストランが7時に開くので、その前に別の店で一服。
夏草や……って感じでございます
いざ、地元の名店ダ・ジュリオへ
 ルッカにもルパン参上
イワシ、メチャ旨
前菜盛り合わせもメチャ旨
さあ行くぜ。こんな町中にステージの屋根が見えます
バーン待ちのみなさん
入るのがギリになっちゃってグッズとか一切確認せず! あったのかな?
さあ、ステージが月面になりましたよ

 詳細に触れないライヴのレポートはこちらに書きましたので、ご参照くださいませ! いやー、良かった良かった。ここまで来た甲斐がありました。

6/26(金) DAY7

ボローニャに戻る

 9時台の電車でボローニャに戻るので、早めに起きてシャワーを浴び、備え付けのマキネッタでエスプレッソを。ここの宿もIHコンロ。昨日のバーンの会場だったナポレオーネ広場からすぐのロケーションだったのだが、部屋がめちゃくちゃ広くて一泊一人1万ちょっと。ありがたかった。もっといたいくらいだ。ちなみにボローニャの宿もほぼ一人1日1万くらい。

 少し時間があるので周囲を散策しながら駅に向かう。T氏はこの後バスに乗って海の方まで行き、今夜はニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのライヴを見るということで、まだ寝ている。

オリーヴオイル、ワイン、食べ物のフェアをやってるけどまだ開店前
昨日の会場で後日、マーカス・ミラー率いるマイルス・トリビュート公演が。実はそれに日頃仲良くしてもらってるオノ セイゲンさんが行って、クライマックスで大雨が振り、マイルスが降りてきた、という騒ぎになったとか。
内側から見る城門
城門内の柱
城壁下の草刈りをなさってます
ルッカ駅
のんびりしたホームです

 今日の乗換駅は昨日の中継点だったプラート中央駅でなく、そこを通り過ぎてフィレンツェである。映画好きなら『ハンニバル』の舞台?(実は観てない) 33年前に行ったけど、今回は素通り。

そのフィレンツェ駅ですが、自分が次に乗る電車がどこのホームに来るかの発表が到着の直前なので、掲示板を見続けて、出た瞬間にそこに向かって走る。一番上の電車なんて「80分遅れ」のサインが出てる。そういうディレイがあれば、そりゃああらかじめホームを決めておくわけにもいかないんだろうな。
ここからはItaloという新幹線的な車両。ヴェネツィア行きですね。
モニターには「10分遅れてます」の表示
車内にエスプレッソの自販機があるのがイタリアっぽい。このメニューの2番目のブロックがが気になって、今調べたら「Ginseng」というのは高麗人参のことで、イタリアではコーヒーに高麗人参の粉と砂糖を入れたものが流行ってる時期があったと……いる間、そんなもの店では見なかったけど!

 お昼くらいにボローニャ中央駅にバック。今日も暑い……朝からコーヒーしか飲んでないので腹が減って、思わず駅にあるバーガーキングでシンプルなセットを注文。日本でもハンバーガー屋には年に一回行くか行かないかという感じなのだが。

なんの変哲もない

PAKEEZAH
(1972/インド) 監督:カラム・アムロイ

 さあ映画の世界に戻りましょう。と言っても、昨日のライヴ、小旅行の後でもあるし、連日の疲れが溜まってきて、この日はもう劇場の座席に寝に来てるのか?という状態ではございました。まずはチネマ・ジョリーでウルドゥー語の映画『パキーザー』、「純粋な者」みたいな意味らしいです。物語は18世紀、地方でナワブ(藩王?地方長官?)たちが権勢を誇っていた時代を舞台に、一人のクルティザンヌ(=高級娼婦のインド版だけど、音楽や詩を解する文化的な人たちでもあったという)の人生を描く、「ムスリム・ソーシャル(イスラム教徒の社会生活を描くジャンル)」の映画。

 上映前に初日の『AMMA ARIYAN』の前説でも登場した、インドのフィルム・ヘリテッジ・ファウンデーションの創設者シヴェンドラ・シン・ドゥンガルプール氏(インド映画の修復と言ったら、この人が最重要人物なんです)の説明があり、彼はこの映画を3歳の時に観て以来のお気に入りで、この映画を修復するのが夢だったので、監督の遺族らと協力して取り組んだと。そもそもこの映画の成り立ちは複雑で、1956年に白黒で作り始められたものの、監督が新しい技術が生まれる度に「じゃあ、そっちで」と乗り換えるので、カラーが生まれてはまた一からカラーで撮り直し、シネマスコープが生まれればまた一からシネスコで撮り直しということを繰り返し、1972年の完成までに大変な時間がかかったと。加えて主演のインド映画界の大女優ミーナ・クマールは監督の妻だったのだが、途中で不仲になり別居、それでも最終的にこの映画に出演し、公開年に病死してしまうということがあった。ウトウトしながら観ていた自分の印象でも、この映画にはなんか暗い、重い印象が否めないのは、主人公のあまり幸せとは言えない人生を描くドラマのせいでもあったでしょうが、そうした制作の背景が作品全体に影を落としていたのかもしれません。壮大なセットの中での、インド映画おなじみの踊りのシーンもけっこうあって、一応、これは娯楽映画の範疇だと思うんだけど、単純にそれだけとも言い切れないような。

 修復はオリジナル・ネガがもう失われていたので(インド映画はホント、これが多い。そもそも昔は「保存しよう」という人が少なかったのでしょうし、いても高温多湿だから、世界の中でも一番、保存条件の悪い気候でしょうし)、インターポジから。イーストマン・カラーの色の濃い感じはよく出ていたと思います。

チネテカ本部に移動。毎日来るこの屋台で
ジェラートじゃ。レモンとチョコレート。

TV番組に採り上げられたパゾリーニ関連映像集

 会社員時代にパゾリーニの長編作品をほとんどDVD化した、あるいは他社発売の作品も手伝ったので(自分がまったく制作に関わってないのは『マンマ・ローマ』と『王女メディア』だけだと思うが、どっちも観てはいる)、パゾリーニには思い入れがあり、またそれぞれの作品も好きだ。パゾリーニはボローニャ大学も出てるし、この地とは関係が深い。4年前のこの映画祭の時期には、モデルニッシモ劇場と同じ地下にある美術館で、彼の作品とそれに影響を与えた絵画の関係についての展覧会があって、それも興味深く見た。

パゾリーニのボロ大の学生証
彼が若い頃に描いていた絵
パゾリーニはゲイでもあるけど、マリア・カラスとはホントに仲良かったらしい

 それで今日上映するのは彼が撮影した映画でなく、彼が撮影されたTV番組のインタビューとか対談とかのフッテージである。短いものは1分、長いものは54分のものが全部で9本。出元はフランスとアメリカで、イタリアがないのが彼の生前の母国での立ち位置を示しているような。実は上映作品を全部録音して、以下はそれをAIに書き起こし、要約させたものである。あまり褒められたことではない映画泥棒だが、今日のこれらのフィルムは多分、この先一度も見る機会がないだろうという懸念もあったし、そもそもインタビュー中心の(喋りっぱなしの)映像を英語字幕を追ってみるのは自分程度の英語力では無理な話でもあった。おまけに途中でウトウトもするわけで、まあご容赦いただきたい。


要約
本稿は、ピエル・パオロ・パゾリーニの作品と思想に関する複数のインタビューやプレゼンテーションを統合したものです。INA(フランス国立視聴覚研究所)や米国の財団によるアーカイブ資料の修復について取り上げるとともに、パゾリーニ自身による作品分析を探ります。彼は、イタリア社会の変容(特に大衆文化の台頭による「民衆」の消失)に応じた自身の映画の変遷や、マルクス主義、宗教、ブルジョワジーとの複雑な関係について語ります。また、映画における真の「身体の存在論(オントロジー)」を創造するという野心(特に『生の三部作』において)を詳述しつつ、自身が受けた法的迫害、多大な影響を受けた人物(チャップリン、溝口健二)、そして「現実の言語」としての映画というビジョンについて振り返ります。

登場人物
1. ピエル・パオロ・パゾリーニ:イタリアの詩人、映画作家、知識人。自身の思想的軌跡、映画スタイルの変遷(「国民的大衆的(ナショナル・ポピュラー)」なものから象徴主義へ)、制度(教会や体制)への批判、ブルジョワジーとの関係、そしてローマの「ボルガータ」(労働者階級の居住する郊外地区)に根ざした自身の出自について分析します。「現実の言語」および「身体の存在論」としての映画という概念を擁護しつつ、主要作品(『テオレマ』『デカメロン』『王女メディア』)、影響を受けたもの、直面した法的弾圧について語ります。
 2. オードリー・ビリアン:パゾリーニを特集したINAのアーカイブ映像プログラムを紹介。インタビュー(1967年〜2000年)やミシェル・ランドンによる没後ドキュメンタリー(1976年)を含む、4K修復された映像を紹介します。
3. ロン・メルク:メトロ・フィルム・アーツ財団(Metro Film Arts Foundation)のディレクター。化学的劣化の危機に瀕していたパゾリーニに関するドキュメンタリーの技術的な救済および4K修復の過程を詳述します。
4. アルベルト・モラヴィア:イタリアの作家。パゾリーニの左翼的な「市民的詩作」や、マルクス主義と「デカダン派(デカダンティズモ)」の融合について定義しつつ、ローマのルンペン・プロレタリアート(最下層労働者階級)の姿を記録した小説家・映画作家としての彼の重要性を浮き彫りにする。
5.  チェーザレ・ザヴァッティーニ:ネオレアリズモの脚本家。作家としてのパゾリーニの力と映画作家としての力を比較し、前者の方がより偉大であると評している。
6.  証言者・協力者:関係者や俳優たちが、パゾリーニとの個人的・芸術的な関わりや俳優への演出方法について語り、一部の映画批評家の浅薄さを批判する。
7.  インタビュアー:数名のジャーナリストが対話を進行させ、パゾリーニのテーマ、スタイル、政治的立場、法的なトラブル、私生活について質問を投げかける。

重要なポイント
1.  修復と保存:フランス(INA)と米国の機関が協力し、物理的な劣化の危機に瀕していたパゾリーニ関連の重要な視聴覚アーカイブを救い出し、4Kで公開する。パゾリーニ暗殺の直前に撮影されたミシェル・ランドンによるドキュメンタリー(1976年)は、死後における重要なオマージュとなっている。
2.  映画と社会の変遷:パゾリーニは、自身の作品群に見られる断絶を、イタリアの歴史を反映したものだと説明する。真正な「民衆」から、ブルジョワ的大衆文化によって疎外された「大衆」へと移行したことが、彼に「国民的・大衆的(ナショナル・ポピュラー)」な映画を放棄させ、より象徴主義的、寓話的、そして「消費不可能な」映画(例:『テオレマ』『豚小屋』)へと向かわせた。
3.  政治的・思想的思考:パゾリーニは自らを、イタリア共産党よりも左派に位置する批判的マルクス主義者と位置づけていた。彼は教会を世俗的な権力として糾弾し、権力を貧者への憎悪を捏造するメカニズムとして分析した。また、あらゆる異議申し立てが「システム」に不可避的に取り込まれてしまうことを認めつつも、批判的な姿勢こそが思想の革命的な力を保持するのだと主張した。
4.  現実の言語としての映画:パゾリーニにとって、映画とは「現実を通して現実を」表現するものである。映像は、文学的な言語とは異なり、現実的かつ神秘的な意味を帯びた、慣習によらない記号である。彼は、非職業俳優や実際のロケーションを撮影することで、「身体の存在論」――すなわち、露骨なイデオロギーを排した、生の真正な表現――を創り出そうとした。
 5.  繰り返し現れる主題:初期作品の母胎となったローマの「ボルガータ」(スラム街);無垢(民衆、「純粋な」オイディプス)と知(知識人)との対立;心理的かつ特定の教義に縛られない「宗教性」;母なる存在と愛の重要性;そして悲劇的な暴力(例:『王女メディア』)。
6.  他者や批評家との関係:彼は、過度にイデオロギー的だと見なしたイタリアの批評に対し、アルベルト・モラヴィアの作品の価値を擁護した。また、組織的な法的弾圧(冒涜、わいせつ、検閲をめぐる裁判)に彩られた自身のキャリアを振り返りつつ、生への情熱を肯定し、自殺衝動を一切拒絶する姿勢を示した。

詳細な分析
1.  仕事と社会について
パゾリーニは、自身の初期の映画(『アッカトーネ』など)が、もはや存在しない「労働者階級」の観客を対象としていたと説明しています。消費社会に直面し、彼はより複雑な作品を通じて「理想的な観客」に語りかける道を選びました。その際、資本主義とネオ資本主義の融合に関する真実を隠蔽するために、寓話的表現(『豚小屋』など)を用いました。
『生の三部作』(『デカメロン』『カンタベリー物語』『アラビアン・ナイト』)は、エキゾチシズムが失われた世界において、「人間の真正さの残滓」を追い求める試みを体現しています。
モラヴィアは、パゾリーニの画家的な感性と、多様な文化的題材(バンデッロ、オイディプスなど)に取り組む能力を強調しています。
ザヴァッティーニは、作家としてのパゾリーニと映画作家としてのパゾリーニとの間の「競争」に注目し、前者の方がより優れた表現の質を保持していると指摘しています。
2.  映画的手法について
パゾリーニは、非職業俳優(特にローマの労働者階級の郊外地区「ボルガータ」の出身者)を起用することを正当化しています。彼は彼らに「ありのままの自分でいること」を求め、それによって道徳的かつドキュメンタリー的な真実を達成しようとしました。ブルジョワ階級の役柄については、フランスの俳優(ジャン=ピエール・レオ、ピエール・クレマンティ)を好んで起用しました。これは、イタリアにはそうした役に適した俳優の強力な伝統がないと考えていたためです。
彼は映画と文学を同等の表現形式と見なし、映画を「記号の全体的システム」と捉えていました。彼の師と仰ぐのはチャップリン、そして何よりも溝口健二であり、溝口の美学は、グラムシに触発されたパゾリーニの「国民的・大衆的(ナショナル・ポピュラー)」な志向と合致するものでした。

3.  政治とイデオロギーについて
パゾリーニは、ソ連の修正主義を批判する形のマルクス主義を支持し、議会外の運動に共感を示しました。1968年の出来事の最中に警察について書いた有名な詩は、貧困層同士を対立させる権力構造の分析の一環をなすものです。彼の「宗教性」は特定の教派に属するものではなく心理的なものであり、聖なるものや「原初的場面」の感覚と結びついていますが、同時にキリストの神性は否定しています。
4.  論争と私生活について
パゾリーニは、自身が経験した法的迫害の数々を挙げています。それには、非難され後に無罪となった映画、作品の押収、特別法の適用などが含まれます。彼は自身の生と死をめぐるセンセーショナルな解釈を退け、自殺願望など一切なかったと否定した上で、死を思うことこそが人生に意味を与えるのだと主張しています。仕事と、自ら選んだ孤独こそが、彼の存在の原動力なのです。
5. 修復作業について
オードリー・ビリアン(INA)とロン・メルク(メトロ・フィルム・アーツ・ファンデーション)が、4K修復における技術的な課題について解説します。その作業には、化学的に劣化が進んだネガのデジタル化、フレーム単位での修復、サウンドトラックのクリーニング、そして芸術的意図を尊重しつつ本来の色調を再現するデジタル・カラーグレーディングなどが含まれます。彼らの使命は、パゾリーニのように、現代においてもなお重要な意義を持つ「周縁的な声」を後世に残していくことです。

フランスINAのオードリーさん。アメリカのロンさんはビデオでのプレゼンでした

 いったん宿に戻って10時からの『肉体の悪魔』まで一眠りしようかと思ったんだけど、どうも上手く寝られない。何か食べたと思うけど、それはもう思い出せない。けっこう買い込んでだフルーツだったかな? イタリア、トマトもそうだけど、フルーツの皮は日本のものより厚いですね。りんごなんかはちゃんと剥いたほうが良い。

肉体の悪魔(ディレクターズ・カット)
(1971/イギリス) 監督:ケン・ラッセル

 3日目に修復のケース・スタディを聞いた『肉体の悪魔』。多分、今回の映画祭で一番チケットが取りにくかった映画だと思う。実際、1回目の分は瞬殺で終了していて、僕もやっとこの2回目のを押さえた(後で、いつもは映画祭で使わない劇場を使っての追加上映も決まった)。今日も、キャンセル待ちの「LAST MINUTE」の列には他で見たことのないくらい大勢の人が並んでいる。このディレクターズ・カットの4K修復版のお披露目はすでに5月のカンヌ・クラシックで済んでいたのだが、さすがはボローニャ復元映画祭というべきか、ここではその4K修復版からもう一度35mmフィルムに戻したバージョンのワールド・プレミアである。 

 そんなレアな機会なのに、これもウトウトはしてしまったわけだが、まあ強烈な映画でしたね。画面の圧が強い。なにしろウトウトしてるし、英語の映画なので英語字幕はないしで、話はよく分からかったので、この方のレビューでそういうことだったのか、と理解した次第。そこにも書いてあるけど、これ個性的なセットはデレク・ジャーマンがやってるんですね。センス良い。

 僕はデジタル修復したものをもう一回フィルムに戻すという工程について「意味あるのかな?」と甚だ懐疑的だったんです。フィルムで撮ったものはフィルムで見たい、それは分かる。だけどその間にデジタル修復の工程を経たものをもう一回フィルムに戻して見るのってどうなのよと。例えば、デジタル修復なんかせず、70mmのオリジナルのネガ(ネガは65mmだけど)からポジにプリントして再公開した、クリストファー・ノーランが音頭を取って実施された『2001年宇宙の旅』のリバイバル(京橋の国立映画アーカイブでもやりましたね。あのチケットも取るのはなかなか大変だった)、そういうのは意味があると思うんだ。LPのリイシューに例えるなら、アナログのオリジナルマスターテープからマスタリングして、またLPを作る、今のブルーノート・レーベルの再発なんかはそんな感じ(マスタリング・エンジニアのケヴィン・グレイの仕事が本当に素晴らしい)。一方、デジタル修復した映画をまたフィルムに戻すのって、デジタル・マスタリングした音源を使ってまたアナログでリイシューする、みたいな。まあ、そういうのも別に珍しくなくて、それはそれでいい音のもいっぱいあるんだけど、心のどこかで「なんかなー」という気持ちも否めない。自分が2度、Blu-rayを作ったヴィスコンティの『山猫』でまさにこのことを味わったんだけど、オリジナルのスーパーテクニラマのネガ(35mmを横に走行させて通常の2コマ分を1コマとして使い、さらにシネスコのようにレンズで左右を圧縮した状態でネガに記録)から8K(6Kだったっけ?)でスキャンして4K修復した見事なデジタル修復版があり、それを4KのDCPと、そこから35mmに焼いたプリントを、恵比寿の写真美術館のシアターで配給のクレストさんが同時公開したことがありました(僕はそこで修復についてのトークもやりました)。写真美術館のシアターって割と早くから4K対応してて、なおかつ35mmもかかるということで。両方やるのに最適な場所だったわけです。で、これらを見比べた時に、圧倒的にDCPの方がキレイだったんですよね。35mmの方は「なんか薄汚れただけじゃない?」って印象で。そりゃもう一度フィルムにするためには光化学の工程が増えるわけだから、元のデジタルデータより画質が落ちるのは当たり前なんです。ただそこに、何をしてそう言わしめるかは人によるだろうけど、「フィルムらしさ」が加わるだけ……。

 そんなことを思ってたわけですが、今回のこの『肉体の悪魔』のプリントはなんだかとても良かった。DCPでは観てないから比較は出来ないけど、すごくキレイな、昔、自分が中高生だった時に、新しい映画を初日に観に行った時のようなプリントの清々しさ、透明感みたいなものが漂ってました。特に建物とか、シスターの衣装の白の出具合がとてもキレイだった。単純に元のデジタル修復が素晴らしいのかもしれないし、もしかしたらデジタルデータからフィルムに戻す際のフィルムレコーディングの技術も、『山猫』の修復時代(もう15年以上前だ)から進化しているのかも。映画自体は見ていて「グエーッ!」って内容だけど、何かとてもキレイなものを見たなあ、という満足感がありました。日本ではプリントでの上映までは望めないだろうけど、とりあえずDCPでの再公開はやるべきでしょう。

 というわけで7日目終了。はー、ちかれたちかれた。

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