🌿Vol.239 マルチタスクをやめたら、今に戻れた——集中力は「今ここ」にしか生まれない
気づいてしまった。
マルチタスクに慣れすぎていた、と。
食べながらスマホを見る。歩きながら考えごとをする。話を聞きながら次のことを考える——
つねに次のことを考える習慣になっていた。
でも実は、ずっと「今ここ」にいなかっただけだった。
マルチタスクとは、注意の分散だ
脳科学的に言えば、人間は本当の意味での「同時処理」ができない。
マルチタスクとは、複数のことに素早く注意を切り替えているだけだ。
切り替えのたびに、エネルギーが消耗する。集中が途切れる。どれも中途半端になる。
「集中力が足りない」と感じていたのは——
集中する対象が、常に複数あったからだ。
それが悪いわけではない。
今の私は丁寧にに暮らしたいという意思がある。
先ずは、集中力を高めたい。
今に集中していなかった
マルチタスクの本質は、「今ここにいないこと」だ。
食事中に明日のことを考えている。歩きながら昨日の会話を反芻している。誰かと話しながら別のことを考えている。
からだは「今」にあるのに、こころは別の時間にいる。
アーユルヴェーダで言えば、これはヴァータの過剰な状態だ。風が四方八方に吹き散らかしている。プラーナが分散して、どこにも深く届かない。
「丁寧」の語源と重なった
先日、「丁寧」という言葉の語源を知った。
古代中国の戦場で、銅鑼が鳴ったとき——兵士は全神経をひとつのことに集中させた。
それが「丁寧」の原点だった。
マルチタスクをやめることは、銅鑼の音に耳をすませることだ。
今この瞬間に、全神経を向ける。それだけのことが、これほど難しいとは。
Simply Beingとつながった
Simply Being——ただ在るだけでいい。
それは「何もしない」ではない。
今ここにあることと、完全に共にいること。
お茶を飲むとき、お茶だけと共にいる。歩くとき、足の裏の感触と共にいる。誰かと話すとき、その人の言葉と共にいる。
マルチタスクをやめることが、Simply Beingの実践だった。
今日からの実践
難しいことは何もいらない。
食事中はスマホを置く。
それだけでいい。
食べることだけに集中する。食材の味を感じる。温かさを感じる。からだが喜んでいるのを感じる。
アグニが活性化し、消化が深まり、オージャスが生まれる——それはからだが「今ここ」にいるときにしか起きない。
ひとつのことに集中する。
今この瞬間に、銅鑼を鳴らす。
🌿締めのひとこと
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。コメントやフォローで、ぜひあなたの『暮らしのテーマ』も教えてください。ゆるやかに、光と風のように——。
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