民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-04🏫イジメとネトウヨの棲息地04👹⛩[自己愛とムカつきと暴力]
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-04🏫イジメとネトウヨの棲息地04👹⛩[自己愛とムカつきと暴力]
表向きの🇯🇵社会では、なかなか見かけないが、ネット上では暗躍して、
まともな日本人🇯🇵を嬉々として集団で迫害したり、虐殺に追いやったりする
ネトウヨと言う「鬼畜👹が実在」しています。薄々気づいてる人も多いですが、残念ながらこれは、ファシスト👹やナチズム🇩🇪との闘いであり、放置すると、
犠牲💀や被害が広がる一方で、もはや避けては通れない🇯🇵社会問題に
なりつつあります。しかし、ネトウヨはあれだけ大勢居ながら、奴らの生態は
資料や研究もなく、全く分かっていません。このシリーズでは「イジメ」
を介して、その発生や生態を読み解いて解明していこうと思います。
内藤朝雄氏📕の「いじめの構造」はやや難解なので、独自の解説を加えながら、
その「イジメの構造と鬼畜👹の実態を明らかに」していきます。

自己愛(NPD)とムカつきと暴力
第2章2節1項 「みんなむかついていた」
よく思春期のガキがイキってる「むかつき」とは何なのか?
当時、彼らは何に対しても「むかつく」「むかつく」と言っていた。
たとえばある少年は、朝起きて親とけんかしてむかつく。
学校に行って男子と女子が仲良くしているのを見てむかつく。
廊下を歩いていて理科室のにおいがしてむかつく。
「廊下が気にくわねえ」。といった具合である。
また別の少年は、自分たち以外の者が「調子に乗っている」とむかつくと言う。
「調子に乗る」とは、たとえば授業中にうるさいとか、
女といちゃいちゃするとかいったことである。
中学時代の彼らはむかつくと誰かれかまわず殴る。気がおさまるまで殴る。
あばれたらすっきりする。
彼らは当時をふりかえって言う。
「みんなむかついていた。みんなあばれていたよ」
「どうしようもなかったよ」
「楽しかったな」「狂気だよね」。
「軍団」活動のピークと、彼らが「むかつく、むかつく」
と言っていたピークとはだいたい一致している。
福岡の高校生カップル殺害もムカつきか?
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)は、感情のコントロールが未熟であり、
「自分は特別であると言う自己陶酔感」が得られないと、「八つ当たりする傾向」
が見られる。特に中学生くらいの場合、未成年であり、学校🏫や親に
支配されており、「思い通りにならない」ことが多いと思われる。
「完璧でありたい」のに「自己不完全感が高く」理想と現実のギャップに
戸惑い苦しむため、「ムカつく」「ムカつく」と連呼してるだけであろう。
なので、”自分たちより身分の低い”と考えてる
「普通の男子と女子が仲良くしていて幸せそう」だと、特性より
共感能力が低く、嫉妬心が非常に強く「他者の幸福を喜べない」心理から、
「調子に乗っている」と解釈するのであろう。
ドズル・ザビが目の前で幸せそうにしていても、「ムカつかない」
であろうことは想像に難くない。
詳細は不明だが、先日起きた「北九州中学生2人殺傷事件」で
たまたま居た男女中学生2人が刺殺された事件も、
ネトウヨに「調子に乗っている」と解釈&逆恨みされて、襲われた可能性もある。



【暴力は”力の誇示”】
少年たちは仲間内で悪いことをしたことを自慢しあう。すごいと思われると嬉しい。暴力は「力の誇示」であり、その「力」を仲間同士でほめあう。
たとえばある少年は別の少年のことを、
「強い・危ない・かっこいいと三拍子そろった」といった風に褒める。
彼らは学校を制覇し、他校のどこにも負けないと誇る。
それに対して筆者が「甲子園大会で優勝したようなものだな」と言うと、
じつに嬉しそうな表情をする。ある少年は「かっこわるいやつは弱い」という。
強いと後輩から「神様みたいに」崇められ、女子からもてるから気持ちがいい。
ある少年は、当時学校の便所に放火したことを自慢する。
別の少年は、校長室に乱入し「何でクラス替えしねえにゃ、こらっ」
とヤクザの日まねをしながら椅子を蹴り、おびえた校長が逃げたことを自慢する。
別の少年は、シャベルを持って暴走族を待ち伏せし、殴りつけていたことを自慢
する。
少年たちは仲間内で悪いことをしたことを自慢しあう。
暴力は「力の誇示」であり、その「力」を仲間同士でほめあう。
このような犯罪自慢グループが「悪事のエコーチェンバー」として、
「イジメの共犯グループ」「村八分の加害グループ」などとして
地元に残り続け、「悪事や犯罪の隠蔽ネットワーク」と機能
し続けていることが伺える。



【軍団という集団ナルシシズム=万能感】
「軍団」の少年たちは、「友だち」がいちばん大事と口をそろえて言う。
彼らは「友だち」のかっこよさや強さを嬉しそうにうに褒めたたえる。
だが話をよく聞いてみると、ある時仲が良かった「友だち」が、
次にはボロクソに言われている。
【頭のおかしい友情関係?】
実は、すぐ裏切る”脆い絆”の人間関係である。
たとえばある少年Aは少年Bと特別仲がいいと語っていたし、
実際にそのようであった。
しばらくたってBが「つきあいが悪い」ということで仲間内の悪口の標的に
なると、AはBをぼろくそに言う。
たとえば、Aは自分たちのメンバーの名前を挙げながら、
「こん中、かっこわるいのいないっす」と言った。
その直後に誰かが「B以外」と言うと、
Aが「B以外みんなかっこいいっす」とことばを続け、まわりがうなずく。
また、ケンカがいちばん強いことからリーダー格と目されていた少年Cも、
「つきあいが悪い」ということで悪口の標的になったことがある。
「つきあいが悪い」ということで仲間内の悪口の標的になって
「仲間はずれにされる」パターンは、👹群生秩序の特徴であり、
「男女共通」である。女性版の「つき合いが悪い」ことで
「親子一緒に仲間はずれにされる」パターンはこのnoteの
最後の「ママ友」のところを参照。

【他人の話ばかりで悪口ばかり】
これも、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の特性で、大した努力もせずに、
「特別になろう」として、「人間関係を操作」したり、「他人を支配し、騙して他人をコントロールする術」ばかりに関心があり、「自分の内面やスキルを磨いていない」ため、「話す内容がなく」「”いつも他の人たちの噂話”」をすることでしか
弱い自己を保てないのである。
なので、「悪い噂話やデマが大好き」で、他人のゴシップに食いついて
「尾ひれをつけてデマをバラ撒く事に長け」て「他人をコントロールしようと
する」のである。
彼らが集まるときは”いつも他の人たちの話”をする。
話題としては、先輩の話と、その場にいない仲間の悪口が多い。
つきあいが悪いものは悪口の標的にされる。
少年たちは、これまでの人間関係の経緯をすべて記憶しているが、
このことを”感情的には切り離していた”。
「けっこう不安定な人間関係だね」という筆者に対して、
小年たちは「みんな、仲いいですよ」と答えた。
ある少年はあらゆることにむかつくと言いながら、仲間について次のように語る。
「ひとりていたらむかつく。ひとりでいると胸がもやもやしてくる。
仲間といると、ひとりのむかつきがおさまる」。

【軍団に属することで全能感=集団ナルシシズムを感じる】
筆者は別の少年と二人で話した。
彼は仲間から「強い・危ない・かっこいいと三拍子そろった」
と褒めちぎられていた少年である。
「軍団」と縁が切れたら自分はどなると思うか?と尋ねると、
彼は「弱くなる」と答えた。
①両親が死んだら、
②(結婚するつもりの)彼女にふられたら、
③学校を退学になったら、
弱くなると思うか?という質問に対して、
彼は「思わない」と答えた。
仲間といて何が与えられるのかという質間に対して、
彼は「仲間といると何でもできるっていうか」
「自分を守るっていうか」と答えた。

【事実より強さや利害が裏切りの判断基準】
あるとき彼が盗んだバイクの件で仲間が警察につかまり、
彼はチクったという疑いをかけられた。
そのときどう感じたか?尋ねると、彼は「むかついた」と答えた。
この件で仲間と縁が切れそうになったときどう感じたか?という問いに対して、
彼は「強い方につくっていうか。そういう疑われたりしても、
強い奴が、そう言えば従うというか」と語った。
彼に円グラフをイメージしてもらい、自分にとっての重要度という点で、
「軍団」の仲間、親、結婚するつもりの彼女、
学校がそれぞれ何パーセントになるかを答えてもらった。
彼は、「軍団」40%、親20%、彼女20%、学校20%と答えた。
恐らく、周りから強いと言われる「軍団」と言う「群れに所属していることでアイデンティティが得られる」のであろう。
これは、恐らく「自民党」や「維新」という「群れに所属していることでアイデンティティが得られる」議員たちと同じなのであろう。
先の兵庫県知事選挙でも亡くなった西播磨県民局長の親友だった「元維新の加古貴一郎氏」がパワハラ知事の斎藤ではなく、稲村氏を応援したり、「元維新の足立康史」など、まともな事を言うと「離党させられたりした」事を考えると、
「群れに所属していることで強くなった気にさせる」のであろう。
同様に、ネトウヨが「日本人であることが誇り」と言うのも、同じように、
「群れに所属していることでアイデンティティが得られる」からであろう。
最も、その所属している日本🇯🇵がボロボロなのが明らかになり、発狂して
荒れている者が多いのも興味深い。
【組織に価値があって個人には価値がない】
次に筆者は、A君、B君、C君、D君・・・・・・と、
「軍団」のひとりひとりの名前を挙げながら、
自分にとってどのぐらいの重要性があるか?を尋ねた。
「ひとりひとりは、別に、何とも思わないです」
「特別仲いいとか、そういうわけでもないです」
という答えであった。
同じように円グラフをイメージしてもらうと、
彼はひとりひとりの重みは「1ぐらい」と答えた。
筆者は、「たとえばA君B君C君とあなたの四人で会うと
仲間の重要性は40だけど、ひとりの個人だと1になるんですね」と尋ねた。
彼は「はい」と答えた。
(筆者のフィールドワークによる)
「強い組織」に価値があり、個人には「全く価値がない」と考えていること
がわかる。集団に属することで、「集団ナルシシズム=万能感」を感じられるが、
仲間はずれにされると、弱く価値がないと知っていることがわかる。
そして、斎藤知事が平気で折田氏などの仲間を平気で切るのは、「悪ノリに
水を差した犯罪者」で「軍団」のひとりひとりの重みは無に等しいからであろう。
第2章2節2項 少年たちの「むかつき」
【ムカつく理由は特にない】
少年たちは、何に対しても「むかつく」と言う。しかし実のところ、当の本人も、
自分が何に「むかついて」いるのかわかっていない。この「むかつき」は、
「おなかがすいた」「歯が痛い」「あいつに嫌なことをされたけど
仕返しをすることができないからくやしい」といったものではない。
また、何をしたら解消するといったものでもない。
親とけんかしても/しなくても、
男子と女子が仲良くしていても/していなくても、
理科室のにおいがしても/しなくても、
彼らは「むかつき」続けるだろう。
実は、加害者側のムカツクには「正当な理由」は何もない。
【精神が未熟でアイデンティティがなくて不安=自分の弱さを直視できない=ムカつく】
この「むかつき」は、何かに対する、輪郭のはっきりした怒りや不満ではない。
そうではなくて、
「存在していること自体がおちつかない」、
「世界ができそこなってしまっている」
ような、漠然とした、いらだち、むかつき、おちつかなさ、である。
こういう、いわば存在論的な不全感に直面したときの、
かけ声が、「むかつく!」なのである。
「軍団」などに所属し「誇大妄想に取り憑かれて特別な存在と感じられる」間は、
「万能感=自己陶酔」が得られてイキっていられるが、
集団から離れて「無能で無力な自分」という「現実と向き合う」と
「存在していること自体がおちつかない」、
「世界ができそこなってしまっている」
ような、漠然とした、いらだち、むかつき、おちつかなさ、
を感じるのであろう。これは大企業から転職した老害おじさん
と同じような心理状態であろうことがわかる。


【頭と心の弱い人】
さて、少年たちは仲間と集まり、暴力によってかたちを与えられる全能感に
よってこの「むかつき」から「守られ」、「何でもできる」気分になる。
この奇妙な気分は、先ほどの存在論的不全感を初期条件として生じる、
その不全感の反転(逆転の感覚)現象である(図4)。

【全能感=群れると自己陶酔感】
つまり、不全感をかかえた者の心理システム(認知情動システム)が誤作動(暴発)
を起こし、突然、世界と自己が力に満ち、「すべて」が救済されるかのような
「無限」の感覚が生成する。
本書では、あらためて、この誤作動の感覚を「全能感」と呼ぶ。
また、この錯覚に駆り立てられて欲望が向かう(ありもしない)「無限」の状態を、
「全能」と呼ぶ
(全能の成立については、指著『いじめの社会理論」(柏書房)も参用されたい)。
菅野完氏の「ネトウヨ批判」である「無能な小権力者」のところに、
同様の指摘があるので、参照されたい。
第2章2節3項 群れと暴力
【軍団から疎遠になると自分が弱くなる=個の弱さ】
この全能感は、軍団の少年たちの場合、仲間を媒介することによって
しか得られない。仲間と疎遠になると自分が「弱くなる」。
このように全能感を生み出す媒体としての仲間の重要性は、
ときとして親や恋人や学校よりも重くなる。
しかし、「軍団」のひとりひとりの重みは無に等しい。
この「全能感を生み出す媒体としての仲間の重要性は、
時として親や恋人や学校よりも重くなる」のが、現実に如実に現れているのが
統一協会🏺の信者や社畜の感覚なのであろう。
宗教2世の子どもよりも「教団や会社を優先してしまい」身内から捨てられる
哀れな人生を送る事になる。

【群れるとお祭り的な全能感】
「群れの暴力は、孤独な暴力では感じることができない、お祭り的な全能感を
もたらす。」神社⛩による祭り→日本会議⛩→カルト化→ファシスト化も同じような流れであろう。
少年たちの集団は、最初は上級生の暴力からの自衛という共通の目標のために
組まれたものであった。しかし、いったんできあがった「軍団」は、
そのきっかけ要因から離れて、前掲の図3のような
心理-社会的なシステムとして作動しはじめた。
彼らの暴力は、仲間関係に位置づけられている。群れの暴力は、孤独な暴力では
感じることができない、お祭り的な全能感をもたらす。

【反共エコーチェンバー】
彼らはただ暴力を振るうだけでなく、それを仲間うちでしきりに喋り、
承認を求め、偉業をほめたたえあう。このように、暴力自体の全能感と、
暴力を中心に群れて響きあう全能感が、ひとつのお祭り感覚に圧縮されている。
このようなお祭り的な全能感を中心にして、少年たちはさらに群れて交わる。
youtuberやインフルエンサーなどが支援者と「お互いに群れて悪ノリ」したり、
独自のエコーチェンバーを形成していることがよくある。
特に「クルド人ヘイト」などは、ビジネス右翼がデマや虚偽情報を次々と流し
始めて扇動を始め、徐々に「その虚偽に飛びついた悪意ある支援者」が
「自分も見た」など証言と共にデマを増幅し、
youtuberが視聴率アップ目当てでワザと「挑発する切り取り動画を作成」して、
ドンドンとなかったモノを「既成事実化」していくテクニックが使われている。


【自壺党🏺安倍派の形成過程】
つまり、以下のようなプロセスが撮り返される。
①暴力の全能感を中心にして群れが形成される。
②この群れのかたちに枠づけられて、次の時点の暴力の全能感が成立する。
③この暴力の全能感を中心にして次の時点の群れが形成される。
さらに、これが繰り返されるほどに、暴力の全能感と群れることの全能感が
折り重なって癒着していく。
このサイクルは、図3のような心理的なモード変換(A→B)の連鎖でもある。
ネトウヨとは、このような「群れの全能感」を増幅して、
増殖して「現実世界に拡大していく集団」だと言うことが伺える。

「ママ友とつき合い悪く」て「子どもがイジメられた」話
「つきあいが悪い」ということで仲間内の悪口の標的になって
「仲間はずれにされる」パターンは、👹群生秩序の特徴であり、
女性の「ママ友の場合も同じ」である。
「ママ友とつき合い悪い」と「子どもまで仲間外れにする加害親子」
のパターンをマンガで見ていきたい。
「子どものイジメ問題」は、実は「子ども同士の問題」ではなく、
「加害児童の親」や「地域の隠蔽ネットワーク」も含めた問題であることを
見ていきたい。

「加害児童の親」や「地域の隠蔽ネットワーク」も含めた問題
なんで娘まで!? ボスママの誘いをドタキャンしたら親子でガン無視されて/ママ友と付き合わなかったらウチの娘がハブられた














菅野完氏が言うところの「頭と心の弱いネトウヨ」が、未熟なままお母さんに
なってボスママを気取るようになってしまい、「大人であるにも関わらず」、
断られて万能感(=自己陶酔)が得られず、怒りの矛先を「子どもにまで
向けてしまう」と言う「未熟で幼稚な心」から起きた「子ども同士のイジメ」
であることがわかる。
一見「子ども同士のイジメ」に見えても良く「元凶の分析」が必要である。
マルティン・ニーメラー牧師の警句🚨


書籍紹介
🏫イジメとネトウヨの棲息地👹⛩シリーズまとめ(INDEX用)
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯シリーズまとめ(INDEX用)
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より
