民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-13🏫イジメとネトウヨの棲息地13👹⛩[学校🏫と地元に生き残る👹群畜大日本帝国⛩①]
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-13🏫イジメとネトウヨの棲息地13👹⛩[学校🏫と地元に生き残る👹群畜大日本帝国⛩①]
表向きの🇯🇵社会では、なかなか見かけないが、ネット上では暗躍して、
まともな日本人🇯🇵を嬉々として集団で迫害したり、虐殺に追いやったりする
ネトウヨと言う「鬼畜👹が実在」しています。薄々気づいてる人も多いですが、残念ながらこれは、ファシスト👹やナチズム🇩🇪との闘いであり、放置すると、
犠牲💀や被害が広がる一方で、もはや避けては通れない🇯🇵社会問題に
なりつつあります。しかし、ネトウヨはあれだけ大勢居ながら、奴らの生態は
資料や研究もなく、全く分かっていません。このシリーズでは「イジメ」
を介して、その発生や生態を読み解いて解明していこうと思います。
内藤朝雄氏📕の「いじめの構造」はやや難解なので、独自の解説を加えながら、
その「イジメの構造と鬼畜👹の実態を明らかに」していきます。

第7章 中間集団全体主義
新しいタイプの全体主義の概念「中間集団全体主義」を導入して、
イジメの構造と戦後日本のファシスト支配体制を見ていく。
第7章1節 全体主義とは
【新しいタイプの全体主義の概念「中間集団全体主義」】
本書では、学校のいじめを「モデル現象」として分析し、そこから人間が人間にとって怪物👹になる心理-社会的な秩序化のメカニズムを論じてきた。
本書の最後に、その論の展開のひとつとして、新しいタイプの全体主義の概念
について考えたい。それは「中間集団全体主義👹」という概念である。
全体主義(totalitarianism)という概念は時代の要請とともに姿を変えながら、
実践的に用いられてきた。
【「全体主義の核心」は、「個に対する全体の、人間存在の深部にまでいたる圧倒的優位」】
「全体主義の核心」は、「個に対する全体の、人間存在の深部にまでいたる圧倒的優位」である。そのうえで、その優位を成立させる制度・政策的な道具立て
(例えば、一党独裁や秘密警察やしつこいイベント動員など)が問題になる。
このナチズムの兆候は、日本のカルト団体に多いかもしれない。
特に、統一協会🏺や創価学会🍘、日本会議⛩、神社本庁⛩、伝統仏教など、
独裁的なヒエラルキーの中央集権的な組織で、内部にスパイネットワークが
張り巡らされており、「折伏」や「F活」などと言い、強引でしつこい宗教勧誘や
投票依頼をするなどは、その傾向が強いと思われる。
また、末端組織員の話を聞かなくなり、崩壊しつつある現状も表していると思われる。
また、日本全体で見れば、安倍政権時に完成したと思われる中央集権的で強権的なシステムで、公安や内調といった「秘密警察👮♂️」が国民を敵視して、
大量監視などをして、弾圧し始めたのもその傾向重なっている。
詳しくは以下のnoteを参照のこと。

この全体の圧倒的優位は、個の存在様式(ありかた)に対する余儀ない浸透性(貫通性)の深さによって示される。
ファシズム🇮🇹、ナチズム🇩🇪、スターリニズム🇷🇺、戦中の天皇教日本国家主義🇯🇵などの「国家全体主義」と「単なる独裁」とを分ける「メルクマール」は、
「ひとりひとりの人間存在を変更する集合的イベントへの動員が、
日常生活を日常生活を襲い尽くす度合い」である。
あるいは「国家によって無理強いされる、距離を許さぬ”根がらみに生きる”様式のきめ細かさである」。
【独裁国家と全体主義の違い】
ここで注意したいのは、全体主義は単なる独裁とは異なる、ということだ。
独裁国家なら、現在でも世界にあふれている。
このような国では、非公式の暴力組織や秘密警察👮♂️があり、政権に逆らう者は
投獄されたり殺されたりする。だがそれだけであれば、多くの人々は政治に
関心を持とうとせず、人生のそれ以外の面に喜びを見出そうとするだろう。
「お上に逆らいさえしなければよい」のである。
かつての南米諸国のように国家が独裁者に支配されていても、人々が日常生活
のなかで「国家的共通善」への献身に動員される傾向が少ない場合は、独裁国家
であっても全体主義社会ではない。
つまり、全体主義は単なる外形的な服従にとどまらず、
人間存在の根底からの、全人的なコミットを人々に無理強いする。
さて、理論的には全体主義の「全体」に何を代入してもよい。
従来の全体主義概念は、ナチズム🇩🇪とスターリニズム🇷🇺の衝撃に応じて
生まれたといういきさつから、「全体」の位置に「国家が代入」されている。
ナチズム🇩🇪や天皇教国家主義🇯🇵といった「右翼全体主義」にしても、
旧ソ連🇷🇺や北朝鮮🇰🇵といった「左翼全体主義」にしても、
全体主義はまずもって「国家の全体主義」であり、「国家の悪」として
問題にされた。
これを「国家全体主義」と呼ぼう。
【日本会議⛩や神社本庁⛩、自壺党🏺の安倍派や改憲勢力の考え方そのもの】
「国家全体主義」はこの基本価値と、それを人々に押しつける独裁的な統治機構
から成っている。
「国家全体主義」によれば、個人は、個を超えたより上の集合的生命である
国家の側から、自己が何者であるかを知らされるようなやり方で生かされ、
国家に献身する限りにおいて個人の生は生きるに値するものになる。
「国家全体主義」はこの基本価値と、それを人々に押しつける独裁的な
統治機構から成っている。天皇教国家主義🇯🇵もスターリニズム🇷🇺も
ナチズム🇩🇪も、国家とか共産主義とかゲルマン民族共同体といった
「国家の共通善」に献身する行として、人々の日常生活を細かく野蛮なイベント
に埋め込んていった。
因みに、この国家全体主義を、統一協会🏺や日本会議⛩に
変えたものがカルトである。
【統一協会🏺の場合】
「統一協会🏺」によれば、個人は、個を超えたより上の集合的生命である
「統一協会🏺」の側から、自己が何者であるかを知らされるような
やり方で生かされ、「統一協会🏺」に献身する限りにおいて
信者の生は生きるに値するものになる。
なので、ズタボロになるまで高額献金💰し、統一協会🏺に献身している限り、
信者の生は生きるに値するものになり、働けなくなり献金もできなくなり、
教団に献身もできなくなれば、生きるに値しなくなるので「捨てられる」。
そして、要らなくなった1世は、宗教2世が世話をする。
【日本会議⛩の場合】
「日本会議⛩」によれば、個人は、個を超えたより上の集合的生命である
「日本会議⛩」の側から、自己が何者であるかを知らされるような
やり方で生かされ、「日本会議⛩」に献身する限りにおいて
信者の生は生きるに値するものになる。
なので、憲法改正や大日本帝国復活など理想的な国家になるまで献身している
限り信者や政治家の生は生きるに値するものになり、多少裏金作りや性欲などの
悪事を働いても見逃すが、落選したり働けず理想国家の完成に貢献も
できなくなれば、生きるに値しなくなるので「捨てられる」。
【会社🏢の場合】
「会社🏢」によれば、個人は、個を超えたより上の集合的生命である
「会社🏢」の側から、自己が何者であるかを知らされるような
やり方で生かされ、「会社🏢」に献身する限りにおいて
社員の生は生きるに値するものになる。
なので、ズタボロになるまで滅私奉公し、悪事を働いてでも会社の利益に
貢献している限り、社員の生は生きるに値するものになり、
働けず会社の利益に貢献できなくなれば、
生きるに値しなくなるので「捨てられる」。
そして、信者たちに、求める心構えとして
「国家の共通善」=通俗道徳あるいは道徳
を強制することで、国家や会社にボロボロになるまで
献身奴隷に洗脳🧠していくのである。
第7章2節 中間集団としての隣組制度
このような国家悪としての全体主義に対して「防波堤になるのが中間集団」
だと言われてきた。自治や共同といった概念は、「戦前の国体や皇室」と同様、
「無条件に肯定されがち」だった。われわれは団結し、自治の空間を築きあげ、
それを砦として全体主義あるいは国家悪と戦わねばならない、というわけだ。
これは、社会・思想系の書に親しむ者なら一度は耳にしたセリフである。
だがこの「紋切り型は疑わしい」。
しばし、日本社会では、真実を追求されることを拒み、敢えてミスリード
させたり、混乱するようブラフを意図的に流すことが起こり得る。
「防波堤になるのが中間集団」と言う説だが、この説は正しくはなく、
誤って、あるいは故意に流された嘘の可能性があり、この「紋切り型は疑わしい」
【イメージが間違ってる】
ナチス・ドイツ🇩🇪や天皇教日本帝国🇯🇵や「社会主義国家群」は、
一見中間集団を破壊し、巨大な国家と「砂粒」のような個人との
二極構造のもとで強大な支配を行ったかのように
イメージされがちであるが、実際には違う。
【全体主義社会では「中間集団が個人に対して過度な自治と参加を要求する」】
これらの全体主義社会では、「中間集団が個人に対して過度な自治と参加を
要求する」。そして「個人に対して徹底的な締めつけ」を行う。
例えば、かつての天皇教国家主義🇯🇵を考える場合、
次の二つの側面の両方を視野に入れなければならない。
これは非常に的確な指摘であり、実際に「個人に対して徹底的な締め付け」を
行ったのは、「隣組」「町内会」「家族」「親戚」と言った「中間集団」が
個人の思想や言動を相互監視させ、密告させ、拷問したり、
「徹底的な締め付けを行った」のである。
【「共同性あるいは共通善」=通俗道徳】
①全体主義国家による人々への圧制的支配の側面。
②自治と共同を煽り立てる制度・政策的な環境条件のもとで、
民衆が、「われわれ」の「共同性あるいは共通善」から離れているように思われる
(あるいはそういうものとしてターゲットにされた)隣人を吊るし上げ、
酷い場合には血祭りにあげる側面。
この辺で、日本人特有の隣近所の相互監視が形成されたと思われる。
「共同性」で「同じでない、異物を排除」する正当性を与える。
「共通善」で「心構えや内面や態度」と言った「通俗道徳」で表されるものから
「外れる異物を排除」する正当性を与える。
そして、正当性を自由に好き勝手に行使することで全能感(=自己陶酔感)を得て、
ドンドン暴力や虐待、弾圧をエスカレートしていく仕組みである。
これを現代に復活させたのが、経営コンサルの小山氏の
「部下の生殺与奪の権」を与えるであろう。


【「隣組制度」】
たとえば戦時中には、「地域コミュニティの自治と共同の過酷な強制」
が行われた。生活物資の分配や労働力の提供といった基本的な機能まで、
そのかなりの部分が市場から地域コミュニティに担われるようになった。
これが「隣組制度」だ。

【「公」に献身する強制された時「いままで潜在化していた妬みや悪意が解き放たれた」】
戦時中に近隣関係(コミュニティ)が組織化され、さまざまなイベントとともに
「公」に献身する共同体的様式が強制されたとき、「いままで潜在化していた
妬みや悪意が解き放たれた」。
適度に物象化された市場と法に隔てられて、各自が適度な距離をおきながら
私的な幸福を追求していた頃には、決して起こらなかったようないじめが
頻発した。
平時において、法が機能している時は、
勝手に「他者の私的領域に入り込んだり、権利を侵害することは正当性がない
悪事であり、強制する事が難しい」。
だが、日本政府が「緊急事態条項」を欲しがるように、
戦争や地震などの災害、事件・事故などの緊急時においては、
「法よりもその場の対処が優先される」ため、口実を作れば勝手に
「他者の私的領域に入り込んだり、権利を侵害することや、強制する事が可能になる」ため、徐々にエスカレートして「暴君が誕生」するようになるのであろう。
平時や法治主義が働いている時にはあった「自他の境界線」が失われ

戦争や地震などの災害、事件・事故などの緊急時においては、
「ジャイアン状態」になると言う事である。

さらにエスカレートすると「殺し屋ジャイアン状態」になると言うことである。

第7章3節 死に追いやられた母
たとえば、ある61歳(当時)の女性は、母親が、隣組の防空演習や行事で
いじめられ、死に追いやられた体験を、新聞に投稿している。
【事例18・近所の人たちが狼に】
「父が英字新聞📰を読んでいたり、娘2人がミッション系の私立女学校⛪️
に通っていることが、格好の口実にされたのでしょう。
子供を産んだばかりの母なのに、水を入れたバケツを持ってはしごを登らされ、
町内のおじさんに怒鳴られながら、何度も同度も屋根に水をかけていました。
元々心臓が弱かった母は、その秋、15日間ほど床に伏し、
アッという間に亡くなりました💀。
(中略)防空演習で普通のおじさんが、急に威張り出したり、在郷軍人が突然、
権力を振るいだし、母が理由もなく怒鳴られているのを見て、非常に不愉快
でした。私は昔を思い出させる回覧板が嫌いです。
白い割烹着を見ると身震いがします。
命令口調の濁声(だみごえ)のおじさんは、もっと嫌いです。
ニコニコ愛想いいお店のおじさんを見ても
「いつ、あのころのように変わるか知れない」と、
いまだに心を開くことが出来ません」
(「朝日新聞」1991年12月2日付)
この投稿者は、結局空襲で家を焼かれて、一家離散の憂き目をみた。
彼女の身には、上からは国家の爆弾💣が、
横から隣組の「われわれ」が襲いかかってきた。
「ミッション系の私立女学校」に通っている事に嫉妬した自己愛性パーソナリティ障害(NPD)女性などが、白い割烹着などを着て、愛国者アピールをすると同時に、
それまで「羨ましいと妬んだり嫉妬していたお金持ちのお嬢さんや奥さんを
堂々と叩けるチャンス」と見て、虐待して、殺してしまったことが伺える。
今なら、自分は裏金💰を作りながら「さもしい連中」と叩いて、強者アピール、
愛国者アピールしていたりしてるような感じだと予想できる。


上記事例が示唆するように、全体主義のさまざまな側面のうち、
次の2つの側面を視野に入れる必要がある。
【①国家と②近所が共謀して弾圧・迫害】
①空襲💣やアウシュビッツや特高(特別高等警察👮♂️)のように国家が個人を
直接圧殺する側面。
②「われわれ」が響きあう共生への強制的な献身要求、
そしてこの献身を自己のアイデンティティとして共に生きる「こころ」の強制、
さらに「われわれ」の共生を離れたプライベートな自由や幸福追求への憎悪、
といったものが「草の根的に沸騰する共同体的専制」の側面。
【兵庫県知事選でサイトーに入れた奴らはファシスト予備軍】
戦争💣や革命や民族紛争のさなか、あるいは職場や学校や地域が共同体化される
とき、かなりの人々が、次のように悪ノリ👹し、響きあって生きる。
「パーマネントはやめませう!」
「おまえはこの非常時に女と歩いておったな、国賊め!」
「けしからん、けしからん、けしからん、けしからん、けしからん、
うらやましい、けしからん!」
「御国のために一致団結というので、距離が近くなってはじめてわかった。
俺たちとまともにつき合いもせず距離をおいて、
俺たちより楽しそうに暮らしていた、オマエたちが憎かった。
今がチャンスだ、やってやる。ざまあみろ!」
右の投書の母親は、この「今がチャンスだ、やってやる。ざまあみろ!」
で殺されてしまった💀。
ある程度、精神的にも金銭的にも余裕があって互いに干渉せずに距離感があった時は、発生しなかった侵略が、不況や危機や地震など自然災害で、緊急時となり、
「共同体化」されると、「合法的に他者に自由に干渉できるようになる(ジャイアン化)」するため、「今がチャンスだ、やってやる。ざまあみろ!」と言う
「群生秩序👹」が優勢になるのであろう。
例えば、維新の橋下徹が始めた「公務員叩き」だが、嘘とデマで
弁護士の肩書きで嘘をつかないと思わせ、一方でドンドン悪いイメージを
捏造して煽っていくことで、維新の支持母体である「群生秩序👹」の構成員
に「ノリと<祝祭>を提供して、ドンドンイジメをエスカレートさせ」
それと共に反社維新の勢力拡大に成功していった事が伺える。



事実よりも、「ノリと<祝祭>」を優先する、反知性の勉強嫌いの
「群生秩序👹」の構成員たちに、「インテリ叩き・知性叩き・左翼叩き」
と言うエンタメを提供して、ドンドン「反知性化」が進み、
「強権化して、独裁になり、弾圧してスムーズに決まる」一方で、
「まともな議論や運営ができなくなっていった」。
そして、辻褄合わせとご都合主義で、まともな計画を立てる事が
できなくなり、破綻しかけているのが、大阪万博であろう。

目標達成や勢力拡大のために「手段を選ばない」維新が、
自らの嘘やデマに押し潰されていく段階に入った。


【群畜化する愛想の良いモラ(NPD)👹】
適度に物象化された市場と法によって、
個人が距離を調節する自由が保証されている市民社会👼では、
彼らもそれなりに善良な人たちだ。
だが市民状態を超えようとする共同体や諸関係のアンサンブルが運命
として降ってくるとき、彼らは一変👹する。
「ニコニコ愛想いいお店のおじさん」が狼🐺に変身する。
「ニコニコ愛想いいお店のおじさんが鬼畜👹になる」現象は、ナチスドイツ🇩🇪でも多く見られた。
ユダヤ人を大量にジェノサイド💀した残虐さで知られる「ナチス親衛隊🇩🇪」であるが、「親衛隊のモットーにも”親衛隊員は家庭では良き夫であり父親でなければならない”と書いてあったから」「外で残虐な人殺し💀をしていても、家に帰って、家族親戚にとってはとても優しくていい人」だったことが成り立つのである。


これは、下記の写真のように「実は、子どもに優しいヒトラー」と言うエピソードと同じである。これは「ナチス🇩🇪が作り上げた『子どもに優しいヒトラー』というイメージ戦略」なのである。「群生秩序👹」の構成員たちに「ヒトラーにも優しい心があった」という主張させて、「認知を混乱させて、ヒトラーを正当化させるため」のプロパガンダ技術の一つだったのである。


これと似たプロパガンダの手口は、先の出直し兵庫知事選でも活用された。
例えば、初期の頃に出てきた
「高校生からの、知事を辞めないでの手紙」や
「100歳のお婆ちゃんが長寿表彰の額と共にお礼にくるストーリー」や
「神戸は死んでたんです!と熱弁したおばちゃん」など、
折田楓氏のPR会社のイメージチェンジ戦略なのか?は謎だが、
「パワハラ自死させた残虐な知事」と言うイメージを、「実は、子どもに優しいヒトラー」のようにイメージロンダリングしようとした事は伺える。
これらの事は、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)である、外では優しい夫や
優しい妻を演じているモラ夫やモラ妻の事を理解すれば一目瞭然である。
第7章4節 文化大革命
ところで👹隣人が狼🐺になる全体主義の過酷さは、わが国の天皇教国家主義🇯🇵と同様に、たとえば、中国の文化大革命🇨🇳にもその典型例をみることができる。
人民による理想の自治と共同を(人民に強制してでも)めざす社会主義圏🇨🇳
(とくに共産主義イデオロギーが十分に形骸化していない時期)では、
あらゆる日常生活は革命の大義に献身するための
「われわれ」に埋め込まれていなければならなかった。
人々の生活は、他人の人間存在がその「われわれ」に埋め込まれているかどうか?を自発的に監視する「隣人=狼🐺」の群れに迫害される不安に満ちていた。
中国の文化大革命🇨🇳では、プライベートな人間関係が、
同時に「われわれ」の密告や告発や吊し上げの可能性に満ちたものになり、
「友だちを信じる」ことができなくなった。
文革🇨🇳を経験した人々は、こんなふうに強いられた共同性を語る。
【事例19・中国の文化大革命】
「だれかが批判されていれば、罪状がでたらめでも、
民衆の声に合わせて、人一倍大きな声で怒鳴った。
(中略)文革🇨🇳を経て、私はズル賢しこくなった」
(「朝日新聞」1995年1月8日)
「中国人🇨🇳は一生仮面をかぶって暮らす。
(中略)状況に応じて、その場にぴったり合った仮面をつけ、
その役柄を演じるジュスチャーゲームに参加するのだ。
(中略)仮面が顔をこすり続けるので、
そのうち(中略)素顔はのっぺらぼうになっている。
役柄は(中略)演技している者に取りつき始める。
そのうち、他人の前で実にもっともらしくセリフが言えるようになるので、
自分でも本心を言っているつもりになってしまう。
仮面と役柄について知るべきことをすべて知ってしまうと、
本能的に相手を怪しむことになる。
あの笑いの裏にどんな偽りがあるのか?
あのお世辞の裏に何が潜んているのか?
(中略)こんな具合にみな張りつめた不安な人生🇨🇳を送っている」
(ベティ・パオ・ロード『中国の恋しい遺産』草思社)


「仮面が顔をこすり続けるので、
(中略)素顔はのっぺらぼうになっている」
「役柄は(中略)演技している者に取りつき始める」という表現は、
個の存在様式に対する余儀ない浸透性(貫通性)という
全体主義🇨🇳のエッセンスを見事に言い表している。



田舎の隣組は利益共同体
マルティン・ニーメラー牧師の警句🚨


書籍紹介
🏫イジメとネトウヨの棲息地👹⛩シリーズまとめ(INDEX用)
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯シリーズまとめ(INDEX用)
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より
