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民主主義を破壊する反共カルトと戦犯①-03🇯🇵日本会議👿[組織誕生と組織概要]

民主主義を破壊する反共カルトと戦犯①-03🇯🇵日本会議👿[組織誕生と組織概要]


現在行われている「兵庫県の知事選挙」では、無責任強欲モンスターが急増し、
ネットで「パワハラはなかった」などの言説が急速に溢れ返り、
他党の党首が「前知事のパワハラはなかった」などのデマをリアルで流し、
統一協会🏺などのカルトも参戦して「カラスは白い」と喚き散らして
カラスを白くしようとすり替える運動」が行われています。
国民の知らない間に何が起きて、なぜ民意が反映されなくなったのか?
世の中がおかしくなったのか?青木理氏の「日本会議の正体⛩」の本📕を
通してその「元凶👿」を見ていきます。

「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が
売国奴と罵られた世の中🇯🇵を私は経験してきた」


悪の秘密結社」のような「日本会議⛩」がどのような経緯で誕生し、
どのような組織なのか?を青木理氏の「日本会議の正体」の本📕を
通してざっくりと見ていく。


「🇯🇵日本会議👿」組織誕生の経緯


●日本会議は「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が合流して誕生

日本会議⛩は1997年5月30日、いずれも有力な右派団体として
知られていた2つの組織——————
日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が合流する形で産声をあげた。

青木理氏「日本会議の正体」より

●右派の財界や政界、学界が集結した「日本を守る国民会議」

後の章であらためて触れることになるが、まずは前者の「日本を守る国民会議
である。これは、いわゆる「元号法制化運動」などに取り組んだ団体を
発展改組する形で1981年10月に誕生している。
この「国民会議」の運営などに深く関わり、かつては自壺党🏺を代表する右派として名を轟かせていた元参院議員の村上正邦(労相、自民党参院議員会長などを歴任)のもとを訪ね、経緯を聞くと、往時を率直に振り返ってくれた。

私の先輩ジャーナリスト・魚住昭による村上への聞き書き
『証言・村上正邦——我、国に裏切られようとも』(2007年、講談社刊)
の内容なども合わせ、以下、村上の証言を紹介していきたい。

私たちが天皇ご在位50年(1975年)の奉祝行事、そしてそれにつづく
元号法制化運動に成功し(元号法制定は1979年)、せっかく結集した組織が
解散してしまうのはもったいないと、そういう声が出ましてね。
そこで新たなテーマに取り組む国民会議をつくろうという話になって、
財界や政界、学界、宗教界
などの代表が中心になって800人ほどが集まって、
それで『日本を守る国民会議』を結成したわけです


発足時の議長には、外交官として国連大使などを務めた加瀬俊一が選ばれ、
右派論客として知られるようになっていた作曲家の黛敏郎が運営委員長として
全体を取り仕切る形をとった。
事務方を総轄する事務総長に就いたのは明治神宮権宮司の副島廣之⛩。
間もなく議長職は黛敏郎が引き継ぎ、一時は日本の右派運動の中心的存在として
さまざまな活動に取り組んだ。

代表的なもののひとつが1986年、同会議が主導し、復古調の歴史観が大きな
波紋を巻き起こした高校日本史教科書『新編日本史』の編纂作業
などで
あったろう。参考までに、「国民会議」の活動に役員などとしてかかわった面々
を列挙すれば、次のような人物の名をあげることができる
(丸カッコ内は主な肩書き、故人を含む)。

青木理氏「日本会議の正体」より
宇野禧一(東大名誉教授)、清水幾太郎(学習院大教授)、小堀桂一郎(東大名誉教授)、
江藤準評論家、東京工大教授)、香山健一(学習院大教授)、村松剛(筑波大名誉教授)、
加瀬英明《外交評論家)、村尾次郎(歴史学者)、瀬島龍三(伊藤忠商事会長など歴任)、
井深大(ソニー名会長)、百年公一郎(ブリヂストンサイクル相談役)、塚本幸一(ワコール創業者)、
武見太郎(日本医師会会長)、小田村四郎(元行政管理事務官、拓殖大総長)、
中川八洋(筑波大名誉教授)、百地章(日大教授)、大原康男(国学院大教授)………………。

分かる方には分かるだろうが、いずれも新旧の日本の右派人士を網羅するような
顔ぶれであり、文字どおり”学界、財界、そして宗教界や政界右派が総結集”した
と評しても過言ではない組織として「国民会議」は存在していた。

青木理氏「日本会議の正体」より


●”宗教右派”が結集した「守る会」

一方、後者の「日本を守る会」である。
こちらは「国民会議」に先立つ1974年、主に右派系の宗教団体が中心となって
つくられた。いわば『宗教右派組織』といえる。元自民党参院議員・村上正邦は、
こちらの団体にも「国事対策局長」として関わり、設立経緯をよく知っていた。

その村上によると、結成の発端になったのは臨済宗僧侶の朝比奈宗配だった
らしい。鎌倉・円覚寺貫主なども務めた朝比奈は、政治家・尾崎行雄や
キリスト教社会運動家・賀川豊彦らと「世界連邦運動」などを繰り広げた経歴
も持つ。

村上の証言である。
朝比奈さんはもともと平和運動に熱心だったんですが、あるとき伊勢神宮
に参拝して『天の啓示」を受けたそうなんですね。それで、以前からつきあい
のあった明治神宮の伊連巽宮司
や富岡八幡宮の富岡盛彦宮司
そして谷口雅春先生
といった方々に『守る会』をつくろうと声をかけ、
その輪が広がって各宗教団体の指導者や思想家、文化人も加わって『守る会』
が結成されたというわけです

青木理氏「日本会議の正体」より

●カルト教祖「谷口雅春」と母体の「生長の家」

村上のいう谷口雅春とは、新興宗教団体「生長の家」の教祖である。
1893年、兵庫県に生まれた谷口は、戦前の1930年に生長の家を創設した怪人物
であり、戦中は「日本精神の顕現」を訴えて軍部の戦争遂行に全面協力し、
信者を急速に増やした。

戦後の一時は、公称信者数が300万人を超えるほどの教勢を誇り、
1964年には政治結社として「生長の家政治連合」———略称「生政連」
を立ち上げて政界進出も図っている。

つまり生長の家は、きわめて右派色の強い巨大新興宗教団体であり、一時は
現実政界とも密接なつながりをもっていた。実を言うと村上正邦自身
かつては生長の家の全面バックアップを受けて自民党から参院選に出馬し
当選を果たした「生長の家直系」の政治家であった。
この「守る会」の結成に、生長の家の教祖・谷口雅春が大きく貢献したことは
重要な意味を持つ。

したがってこの点は、もう少し正確に前後関係を確認しておきたい。次に引用する
のは、「守る会」の設立に尽力した富岡盛彦の後を継いで富岡八幡宮の宮司⛩
となった澤渡盛房が1985年、これもまた生長の家出身者らでつくる右派団体
「日本青年協議会」の機関誌『祖国と青年』(同年8月号)に寄せた文章である。
少し長くなるが、生長の家という新興宗教と神道系の宗教団体が戦後日本の
右派運動の源流に脈打っている
ことを知るため、ぜひお読みいただきたいと思う。

《昭和48(引用者注・1973)年ごろのことだった。富岡八幡宮先代富岡盛彦宮司
は神都伊勢の宿舎で鎌倉・円覚寺派朝比奈宗源官長と同宿の際、どちらからとも
なく日本の現状を憂える話題に及んだことがあった。
(略)このお二人がこれから行動を起こそうとする時にまっ先に考えた事は、
かけがえのない明治神宮の神域を拠点に活動しておられる伊達異明治神宮宮司⛩の協力を頂くことが絶対に必要だった。

この方は富岡宮司⛩からの呼びかけによって快諾が得られた。そして、有識者歴訪がはじまるのであるが、最初にお訪ねしたのが生長の家谷口雅春総裁であった。
私は当時鞄もちとして富岡宮司⛩に従うことが多かったが、
ある日、朝比奈、富岡両大人が原宿の本部に谷口総裁を訪ね、私もこれに従った。
そして、両大人から谷口総裁に対し訪問の趣旨を交々語るところがあったが、
世相を歎じ、宗教心の煥発を論じ、談論風発、精神運動の必要を談じて
三ッ巴の論談が展開されたこと云うまでもない。

その時である。
生長の家の二つや三つぶっ潰れても、祖国日本が本来の姿に立ち戻るためには
それも止むを得ない、私たちはそのような覚悟と堅い決意で生長の家を拠点
とした宗教活動に精進している。協力を惜しまないどころか、生長の家の活動
そのものの目指すところはそこにある

という力強いことばが谷口総裁の口から迸り(ほとばしり)出たのであった。

まさに愛国者の箴言だった。これに力を得た両大人はそれから手わけをして
目指す有識者を説き廻って遂に昭和49(引用者注・1974)年4月2日、
明治記念館⛩における「日本を守る会」の発足につながるわけである〉
(原文ママ)

神道宗教の中心的存在というべき明治神宮⛩。
そして、戦後日本の右派運動に大きな影響を及ぼした谷口雅春率いる巨大新興宗教・生長の家。その双方のトップに右派系の宗教人が声をかけ、
双方からの分厚いバックアップを受けて発足した「守る会」――。
この構図は、繰り返しておくが、いまもなお脈々と受け継がれている

青木理氏「日本会議の正体」より

●日本会議⛩には、神社本庁を軸とする神道宗教団体と生長の家の影がべったり

つまり日本会議という存在の背後には、神社本庁を軸とする
神道宗教団体
と生長の家の影が組織的にも、人脈的にも、そしておそらくは
資金的
💰にも、べったりとはりついている。これについても詳しく後述する
ことになるから、ここではとりあえず記憶にとどめておいていただきたい。

青木理氏「日本会議の正体」より

●「守る会」の伝統宗教の代表メンバー

さて、右派系の宗教団体を軸に結成された「守る会」は、
事務局を東京・渋谷区の明治神宮会館⛩に置き、事務総長には「国民会議」と同様、明治神宮の権宮司だった副島廣之が就いた。

青木理氏「日本会議の正体」より
副島が1989年に遺した著書『私の歩んだ昭和史』(明治神宮崇敬会)によれば、
会の代表委員などの役員職には次のような面々が選ばれている。

朝比奈宗源(臨済宗円覚寺)、伊達巽(明治神宮)、
富岡盛彦(富岡八幡宮)、岩本勝俊(曹洞宗総持寺)、
金子日威(日蓮宗本門寺)、清水谷恭順(浅草寺)、
谷口雅春(生長の家)、関ロトミノ(佛所護念会教団)、
岡田光玉(世界真光文明教団)、蓮沼門三(修養団)、
石川奈八郎(モラロジー研究所)、安岡正篤(全国師友協会)...。


「🇯🇵日本会議👿」組織概要


●日本会議の組織情報「合体して”日本会議”に」

そして前述の「国民会議」とこの「守る会」が合体して1997年に産声をあげたのが「日本会議⛩」であった。すなわち、戦後日本における右派系の政治家、
学者、文化人、財界人、そして信者も資金
💰も豊富な宗教団体が大同団結する
形で発足したのが日本会議だったのである。

青木理氏「日本会議の正体」より
日本会議⛩組織

日本会議⛩に参加していた組織

【伝統宗教】
臨済宗
曹洞宗
日蓮宗本門寺
浅草寺
明治神宮
富岡八幡宮

【大学】
東大名誉教授
東大名誉教授
東京工大教授
学習院大教授
学習院大教授
国学院大教授
拓殖大総長
日大教授
筑波大名誉教授
筑波大名誉教授

【企業など】
伊藤忠商事会長
ソニー名会長
ブリヂストンサイクル相談役
ワコール創業者
日本医師会会長

「改憲」や「軍国化」を強力に押し進めていたのは日本会議⛩のカルト
だけでなく「経団連」や三菱重工などの「日本のネオコン」もである。
詳しくは、こちらのnoteを参照のこと。


再び村上正邦の証言。

「宗教人と文化人の集まりだったのが『守る会』、そして政界、財界💰、学界など各界の代表者の集まりが『国民会議」だったわけですが、どちらも事務局は外山勝志さんや糀島有三さんたちが担っていたんですね」

—————組織は別々でも、事務方は重なっていたわけですか?

ええ。その事務局側にいた外山さんや糀島さんたちからすれば、たとえば今上陛下のご即位にあたって奉祝運動を展開した際も、まず『守る会」の役員会にかけ、さらに「国民会議」の役員会にもはからなければ、何事も決められない。だったらこの際、2つの組織が合流すれば、我々の目指す国民運動を支える大きな基盤ができるんじゃないかと、そんなふうに外山さんや椛島さんたちが言い出しましてね。
それで2つの組織の役員会に働き「かけて生まれたのが『日本会議

だったわけです


ここに登場する外山勝志とは明治神宮の宮司⛩、椛島有三というのは
生長の家の学生組織の活動家出身で、現在は日本会議
の事務総長として
同会の実務を取り仕切っているキーバーソン🔑である。

青木理氏「日本会議の正体」より


●日本会議の組織情報「”最大の敵”の喪失と原点回帰」

1997年5月30日、日本会議⛩の設立大会は、東京・紀尾井町にある
ホテルニューオータニで開かれた。

青木理氏「日本会議の正体」より
日本会議側の記録によれば、設立大会には政界、財界、学界、
宗教団体の代表者ら約1000人が参加し、

初代会長にはワコール会長の塚本幸一が、
そして副会長には声楽家の安西愛子、
ブリヂストンサイクル元社長の石井公一郎、
神社本庁総長の岡本健治、拓殖大総長の小田村四郎、
明星大教授の小堀桂一郎、

このほか理事長には明治神宮宮司の田中安比呂がそれぞれ就任した。

●日本会議の組織情報「”設立宣言”」

このうち田中安比呂⛩が発表した「設立宣言」を紹介しておこう。一部を
略しつつ引用すれば、つぎのような文句がうたわれている。

青木理氏「日本会議の正体」より
<我が国は、自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて
鋭意国づくりに努めてきた。明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、
この国風の輝かしい精華であった。また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、
天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、焦土と虚脱感の中から
立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。

しかしながら、その驚くべき経済的繁栄の陰で、かつて先人が培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、
光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され、国を守り社会公共に尽くす気概は失われ、
ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会に蔓延し、今や国家の溶解へと向いつつある。

加うるに、冷戦構造の削機によってマルクシズムの誤謬(ごびゅう)は余すところなく
暴露されたが、その一方で、世界は各国が露骨に国益を追求し合う、
新たなる混沌の時代に突入している。にもかかわらず、今日の日本には、
この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない。
このまま無為にして過ごせば、亡国の危機が間近に忍び寄ってくるのは避けがたい。

我々は、かかる時代に生きる日本人としての厳しい自覚に立って、
国の発展と世界の共栄に貢献しうる活力ある国づくり、
人づくりを推進するために本会を設立する>

●日本会議の組織情報「”設立宣言”の解説」

この「設立宣言」からは、さまざまなことを読み取ることができる。

まずはなんといっても「国の伝統」の重視である。
しかしそれは主に”明治維新後に形づくられた「伝統」”であり、これを
輝かしい精華」とまで称揚しつつ、戦後日本の歩みについては経済発展を
自慰的に賛美しながらも「伝統文化」や「光輝ある歴史」、そして
「国を守る気擬」が失われつつあると嘆く

典型的かつ極めて陳腐な戦後右派の論理であり、そこになんらの目新しさを
見出すことはできない。

また、「マルクシズムの誤謬(ごびゅう)」を声高に指摘するのも
戦後右派の特質がよくあらわれている。

基本的に「親米愛国🇺🇸」を基軸としてきた戦後日本の右派は、なによりも
「反共」を最大の結節点”としてきた。逆にいうなら冷戦体国の崩壊は、
戦後日本の右派陣営にとっては「最大の敵」を喪失し、混乱を誘発した
すらあったのではないかと私は思う。

1990年に前後してソ連を筆頭とする社会主義政権は次々と崩壊し、
いわゆる冷戦体制は終焉を迎えた
。これにより、日本国内でも共産主義や
社会主義を標榜する左派の運動団体などが巨大なダメージを被った
が、
「反共」を最大の結集軸としてきた日本の右派も、 ある種の目標喪失状態に
陥った


そこで運動を立て直し、再結集する必要に迫られた。
これが冷戦体制の崩壊から間もない1997年の日本会議結成⛩の遠因ともなり、
畢竟(ひっきょう)、右派として掲げる結集軸もあらためて整理され、
一種の”原点回帰”がはかられることになった
。日本会議⛩が設立大会で
披露した「基本運動方針」にも、それがよくあらわれている。

青木理氏「日本会議の正体」より

●日本会議の組織情報「”基本運動方針”」

1、美しい伝統の国柄を明日の日本へ
国民統合の中心である皇室を尊び、国民同胞感を涵養する
 
2、新しい時代にふさわしい新憲法を
わが国本来の国柄に基づく「新憲法」の制定を推進する

3、国の名誉と国民の命を守る政治を
独立国家の主権と名誉を守り、国民の安寧をはかる政治の実現を期す

4、日本の感性をはぐくむ教育の創造を 
教育に日本の伝統的感性を取り戻し、祖国への誇りと愛情を持った青少年を育成する

以下、5、6と続くのだが、長くなるので省略する。

いずれにせよ、この「基本運動方針」に記されたとおり、
①皇室の尊崇、
②憲法の改正、
③国防の充実、そして
④愛国教育の推進

—————日本会議⛩に結集した右派の共通目標は、
この4本柱に集約される
といっても過言ではない。

もうひとつつけ加えるとするならば、
⑤極めてアナクロで復古的
—————彼らに言わせれば「伝統的」な家族観の重視、であろう。

これも逆にいうなら、この5本柱にかかわることごとは
日本会議に集う人士の最も琴線に触れるテーマであり、
これを侵したり蔑ろにしたりするような政策や言動は、
時に過敏なほどの反応を引き起こす
ことになる。

青木理氏「日本会議の正体」より

この5つのテーマに反する言動をネットや実生活空間ですると、
ネトウヨに叩かれるのは、ネトウヨが日本会議⛩のカルト信者であり、
「5つのテーマに反する言論を叩くこと」が「愛国的行為」
「日本を共産主義化から守る戦い」であり、
「どんな酷いことをしても愛国無罪」で、同じ反共カルト思想の公安を始めとする
警察も取り締まらないため、暴力や弾圧が連鎖し、日本社会が荒れる仕組み
になっている。つまり、反共カルトが元凶。


●日本会議の組織情報「正体は”最大の圧力ロビー団体🇯🇵👊”」

さて、日本会議⛩については、これに呼応する形で「日本会議国会議員懇談会
ほぼ同時に発足していることに注目👀しなければならない。単なる市井の
運動団体ではなく、政治に直接的な影響力を行使して、自らの右派的政策や
主張を実現に導こうとしていくことにこそ日本会議
の特質があるからである。

日本会議⛩の設立大会の前日にあたる1997年5月25日。
日本会議国会議員想談会の設立総会は、日本会議⛩の設立大会が開かれたのと
同じホテルニューオータニで開かれている。
それまで元号法制化運動や天皇即位50年奉祝運動などのたびに個別の議員連盟
は結成されてきたが、日本会議という右派の政治団体と連動する形で恒久的で
大規模な”議員連盟”が構築されたのはこれが初めてであった
ろう。

当日の設立総会に参加した国会議員は、代理出席を含めて合計で115人
日本会議⛩の資料によると、発足からわずか半月でその入会者数はほぼ倍増の204人に達している
内訳は衆院議員133人、参院議員71人
超党派とはいうものの、やはり自民党が大半の184人を占め
当時の新進党、太陽党、無所属の議員なども参加している。

会長は自民党衆院議員だった島村宜伸、幹事長には同じく自民党衆院議員の
平沼赳夫、事務局長には自民党参院議員だった小山孝雄が就いた。
小山はもともと生政連—————生長の家政治連合の本部職員出身であり、
設立総会では幹事長の平沼赳夫があいさつに立ち、次のように語っている。

青木理氏「日本会議の正体」より
「日本を守る会、日本を守る国民会議は、20有余年にわたって、日本全国津々浦々で力強い、
そして幅広い活動を展開されてきました。この二つの会が大同団結を致しまして、
新たに塚本幸一新会長を迎えて日本会議が設立されます。
それに呼応致しまして、我々国会議員も党派を超えて、全国的な力強い
日本のための運動を展開していこうという趣旨の下に今日、皆様方ご参集の下、
この設立総会を迎えたわけでございます」

そう、衆参両院の超党派の国会議員でつくられた同懇談会は、
名を連ねた議員の全員がそうではないにしても、
日本会議が掲げる理念や政策に共鳴し、これに呼応し、
日本会議
の理念や政策を現実政治の場で具現化していくことを目指している

つまり日本会議⛩は市井の政治団体ではなく、もちろん純粋な市民団体などでもなく、「現実政治に影響力を持つロビー団体💰👊⛩」であることを「当初から宣言していた」のである。

青木理氏「日本会議の正体」より

「神⛩の国発言」で有名になった森元総理の力の源泉は、「日本会議⛩」や
「神社本庁⛩」の決定に大きな、影響力を持っている事で、自壺党🏺議員の当選落選を支配できることが清和会と言う安倍派を巨大化するのに役立っていたので
あろう。



民主主義を破壊する反共カルトと戦犯シリーズまとめ(INDEX用)


伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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