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離島の小学校編 第0回 プロローグ(前編)・・・知らされた新しい航路

はじめに

今回からは、私が離島の小学校で勤務した3年間を振り返っていきます。本来は1年ごとの総合的な学習の実践を紹介する予定ですが、その背景となる島の環境や暮らし、そして教師としての日々も欠かせません。教育関係者だけでなく、多くの方に「一教師の奮闘記」として楽しんでいただければと思っています。

和菓子プロジェクトの連載を終えてからの続き、2002年(平成14年)春からのお話です。 (※本文中の一部地名や商品名は仮名にしています)



特別な勤務

和菓子プロジェクトを終え、卒業生を送り出した直後、人事異動の話が持ち上がりました。初任から数えて3校目、大学院での2年間を含めると9年間を過ごした学校での勤務を終えることになります。

内心「そろそろ異動になるかもしれない」と感じていた私は、実はその年の秋に「特別な勤務制度」の面接を受けていました。泊まり込みでの勤務(へき地・平地の区別あり)か、人権教育主事などのポストに就くか─いずれも教員キャリア上で「実績」とされる勤務制度でした。もっとも「実績」とは何を意味するのか、今振り返っても不思議に思います。大学院での学びはカウントされないようでした。

ちょうどその頃、翌年度から大学院へ行く予定の県内の先生方の前で、「先輩派遣教員」として体験談を話すよう依頼を受けました。自分のときにも先輩が来てくださり、生活や学びの様子を具体的に教えていただいた記憶があるので、今度は自分がその立場になるとは思いもしませんでした。レジュメを用意して臨みましたが、気づけば30分ほど話し続けていました。2年間の流れや講義の様子、研究や行事、あると便利な持ち物まで─あれこれ話してしまったのです。少しでも参考になってくれたならありがたいと思いました。


山か海か?

「特別な勤務制度」の個人面談では「へき地勤務か、平地勤務か」と希望を尋ねられました。若い頃に山間のへき地で働いた経験があった私は、迷わず「へき地勤務」を希望しました。「あのときの町にまた行けたらいいな」「今度は南の海沿いでもいいな」と、ちょっとした期待もあったのです。場合によっては、今回は家族を連れて赴任してもいいかもしれない─そんなことも思っていました。

その後、希望者を集めたグループ面接も行われました。自分の将来がどんな形になるのか、胸の奥で少しざわついていたのを覚えています。


釣りはするか?

そして、卒業式の日の夕方。校長室に呼ばれました。正式発表の前に、内示を伝えられるというのです。

部屋に入るなり、校長先生が第一声。 「てっちゃん先生、すまん。」

いきなり謝られて、頭の中は「???」。思わず固まってしまいました。


すると次の言葉。 「釣りはするか?」

ますます意味がわからない。「あまりしませんが…」と答えると、ようやく


本題。 「青波島(仮名)になった。」

その瞬間、やっと合点がいきました。県内唯一の離島の学校。橋はなく、船でしか行けないという噂の島です。勤務は泊まり込みになり大変だろうと謝り,校長先生なりに「釣りが好きなら喜ぶかな」と思って声をかけてくださったのでしょう。けれど、私にとっては晴天の霹靂でした。

頭の中で「単身赴任か…」という言葉がよぎりました。小さかった子どもの顔を、毎日見られなくなるのかと思うと、胸が少し重くなりました。面接のときには「今回は家族を連れて行けるかも」と考えていただけに、現実との落差を感じたのです。

それでも、不思議と心の奥底では高揚感がありました。「和菓子プロジェクトを終えた自分に、新しい場所でまた挑戦できるのかもしれない」─そんな期待も確かに芽生えていたのです。

プロローグ(後編)へと続く

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