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私は「未来の授業」を探す旅人だった。【研#04】/研修で出会う探究の風景

大学院で学んだ2年間の1年目、私は授業そのものを求めて全国の学校を訪ね歩きました。
総合的な学習の時間が始まる前夜、既に新しい学びの形が各地で芽吹いていました。
当時の日記をもとに、その風景を物語として振り返ります。

前回の話(大学院での日常)👇



1.見知らぬ教室が、私の研究室だった

大学院に進んだ1999年。
私は「授業そのものの質」を問い直したくて、教室から離れてもう一度学び直す道を選びました。
ちょうど総合的な学習の時間が始まる前夜で、全国の学校が手探りの実践を積み重ねていた時代です。

師匠の勧めもあり、私は “授業を見に行くことが研究になる” というスタイルを自然と身につけていきました。
呼ばれれば行く。
機会があれば必ず見に行く。
ゼミの先輩に同行したり、ときにはひとりで乗り込んだり──そんな旅の積み重ねが、後の自分を形づくったのだと思います。

ここでは、その中でも特に印象に残った訪問を当時の資料から振り返ります。


2.京都 ― 授業は始まる前から始まっていた

●1999年8月

同じゼミのM2の先輩に誘われて向かったG小学校。
本格実施前の総合的な学習の時間の研究家初学校です。
行ってみると、そこにあったのは“環境そのものが教材化された学校”でした。

祇園祭の山鉾が子どもたちのデザインで展示され、地域調べの資料や地図が空間を埋め尽くす。
低学年の廊下には生き物コーナー。
初めて見たゲンゴロウが妙に印象に残りました。

大学院で「学習環境」を研究していた先輩が目を輝かせるのもよく分かりました。
授業の前に、子どもたちが動きたくなる理由を環境が与えている学校でした。

私もお願いをして,コンピュータ室を見せていただきました。
ICT環境も当時としては先進的で、1台だけインターネットに接続されたPCやテレビ会議システムが導入されていました。
「学校と社会をつなぐ」という発想が、すでにここにはありました。

当時のコンピュータ室

●1999年10月

翌月、別の日同じ学校の研究発表会を控えた単元構想の会議に、師匠のお供で参加しました。
大学院生が全学年の構想検討に立ち会えることなど通常はありませんが、そういう機会を師匠はよく与えてくれました。
師匠は,前日の青森での仕事を終え,新幹線で向かっており,私とM2の先輩は,合流してG小学校へと向かいました。

前年までの実践を踏まえ、どこを継承し、どこを変えるか。
学びの要点を探りながら議論が進む様子は、まさに授業づくりの核心でした。

研究大会で見るのは「完成品」ですが、ここでは 「授業が組み上がっていく過程そのもの」を見ることができました。
大学院に来なければ決して触れられなかった世界でした。


●1999年11月

そして,研究大会当日、京都国際会館には全国から2000人以上の教員が集まりました。
総合的な学習の時間への期待が、熱気となって会場に満ちていました。
午前中は全体発表とシンポジウムが行われました。

午後の学校公開では、全校表現による学年発表、そして各学年の授業公開。
5年生の清水焼体験と、金沢の学校とのテレビ会議を組み合わせた展開は、当時の私には衝撃でした。

「総合=体験」ではなく、 「体験 × 情報 × 社会との接続」 という立体的な学びが、すでに成立していたのです。

このように研究発表の指定校をそれまでの過程から見ることができたのは,貴重な体験でした。


3.大阪 ― 子どもの“表現したい”があふれる発表会

同じ年の11月、大阪のN小学校の総合的な学習の時間の発表会にも足を運びました。
ゼミで師匠から「修論に関係するから行きなさい」と背中を押されたのがきっかけです。
師匠は大学院の入試なので行くことができず,ビデオを撮ってくるようにとも言われました。
発表会といっても子どもたちの授業参観と兼ねておこなわれていた学習発表会です。

ここでは、総合的な学習の時間の5年目を迎えた学校の“成熟”を感じました。
1・3・6年の舞台発表にはじまり、各学年が教室へ散って学習成果を披露。
特に4年生のニュース番組形式の発表は、子どもたちの表情がとても生き生きとしていました。

授業後の教員向け説明会では、 「表現力と基礎学力の両方をつけたい」 という学校の覚悟が語られ、学びの裏側を垣間見た気がしました。


4.長野 ― 「積み重ねる」とはこういうことだと知った日

ここの学校になぜ行くことになったか,それはゼミでの雑談から始まりました。
師匠の授業での話もありましたが,一度は見ておかなくては,行くとするなら今しかないと話をするうちに,乗り合わせていこうという話になりました。

●2000年2月

長野のI小学校を訪れたとき、校門を入った瞬間に“空気が違う”と感じました。

小屋づくり、そばづくり、山羊の飼育、炭焼き、ケナフの和紙づくり……。
どの活動も本格的で、しかもそれらが単発ではなく、廊下に掲示された年表を通して「積み重ねの物語」として見えてくるのです。

家畜の飼育では、豚の出産・成長・死・出荷までを子どもたちが向き合いながら学んでいました。
給食を残さなくなったという話は、学びの深さを象徴しているようでした。

飼育していた家畜

ビオトープづくりの学級では、水質を改善するために炭が使えると知り、自分たちで炭焼きの穴を掘っていました。
授業が終わっても「もっと続けたい」と担任に訴える姿が忘れられません。

午後の発表では、竪穴式住居を建てた6年生が、4年間の探究の軌跡を語りました。
「積み重ねる学び」がどれほど子どもを育てるのかを、ここで強烈に思い知らされました。

大学院で学ぶ自分と、小学校で学び続ける子どもたち。
どこかで学びへの向き合い方が重なるような、不思議な感覚がありました。
思い切って来てよかったと同じゼミの人たちと納得し合いました。


5.横浜 ― 20年早く未来が来ていた学校

同じ時期に訪れた横浜のH小学校は、修論の資料として是非とも訪れたかった学校でした。
ICT環境が圧倒的でした。
当時としてのインパクトは大きかったです。
校内のあらゆる場所にPCがあり、古い機種はドリルソフト・低学年のお絵かき,ワープロ用、新しい機種はネットワークでつながり、調べ学習や統合ソフトを使っての作品づくりが使いたいときにすぐ使えます。

PCが置かれているコーナー

PCが“目的”ではなく、 「使いたいから使う」道具としての位置づけ がすでに確立されていました。

大型タッチパネルの機器や、試験的に設置された無線LANを見ながら、 「20年後にはこれが当たり前になるのだろうか」 と未来を想像していた自分がいます。
今思えば、その予感はかなり当たっていました。


学び続ける教師でいたいと思えた理由

これ以外にも東京、石川、富山、上越、岡山、兵庫……。大学院時代の最初の1年で、私は本当に多くの学校を訪れました。

振り返れば、あの旅の連続が、私の授業観の土台になりました。 実践を見て学び、学んだことをまた自分の中で確かめる──その繰り返しが、自分を少しずつ前へ押し出してくれたのだと思います。

インプットが重要だからこそ、それがアウトプットにつながる
その確かさを、あの頃の旅が教えてくれました。

【次回へ続く・・・愛媛県松山市での5日間の情報教育研修👇👇】

研修で出会う探究の風景 マガジン👇👇👇


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