泊勤務という生活が教えてくれたこと【島小#27】/離島の小学校編 27
島での泊勤務は、食事を整え、生活を回し、ひとりの時間を過ごす日々の連続です。
そんな毎日が続いていたからこそ、離れて暮らす家族の健康という現実に、はっきりと向き合うことになりました。
泊勤務という生活が、私に何を教えてくれたのか。
その一端を書き留めておこうと思います。
前回の話👇
離島で勤務することとなった1教師の奮闘記です。
今から約20年以上前の2003年(平成15年)1月頃のお話です。
※注:本文中の一部地名や固有名詞等は仮名(かめい)にしています。
こんな島です。連絡船がすべて👇👇
1 島の暮らしは、まず食を整えるところから
島での生活は、まず「食」を整えるところから始まりました。
島に戻るたび、港へ向かう途中で実家に寄り、野菜を中心にいろいろと持たせてもらっていました。
ありがたいと思う一方で、「早く使わなければ」というプレッシャーもかかります。
野菜は日持ちがしないため、週の前半はどうしても野菜中心の献立になります。
炒め物が多くなるのも、その流れでした。
ご飯も自分で炊いていました。
赴任したばかりの頃は毎日のように炊いていましたが、次第にまとめて炊き、余った分を冷凍するようになりました。
タイマー式の炊飯器なので,おもに寝る前に予約をセットしておくと,次の日の朝は炊きたてのご飯を食べられることになります。
夜に炊きあがるようにしてもいいのですが、朝にセットするのが面倒だし,疲れて宿舎に帰ってからご飯を炊くことから始めるのもどうも・・・。
ただ、予約を忘れてしまい、朝になっても米と水のままだった日もありました。
炊飯器の蓋を開けたときのショック・・・なんとも言えないものがありました。
寝過ごして、結局ご飯を食べられなかったこともあります。
泊勤務という働き方は、仕事だけでなく、生活そのものを自分で回していくことなのだと、少しずつ実感するようになりました。
2 仕事の合間の、短い息抜き
風のない金曜日がありました。
「少しだけなら」と思い、竿を持って海へ向かいました。
この日は、ワームを使ってみることにしました。
私はエサ釣りがあまり得意ではありません。
エサそのものが嫌いなのではなく、準備がどうにも面倒だからです。(笑)
ワームはビニールでできていて、それだけで気持ちのハードルが下がりました。

風がないとはいえ、寒さもあり、時間は一時間と決めていました。
結果は、ガガネ(カサゴ)が一匹、メバルが一匹でした。
正直なところ、本当に釣れるとは思っていなかったので、それがいちばんの驚きでした。
ただ、イカ釣りほどは、はまりそうにありません。
それもまた、率直な感想でした。
3 灯りが教えてくれたこと
ある夜、宿舎の部屋の蛍光灯が切れました。
チカチカと点滅する光は、思っていた以上に目にこたえます。
小さい方の予備はありましたが、切れたのは大きい方でした。
週の終わりであれば週末に買ってくれば済む話ですが、その週は始まったばかりでした。
我慢するという選択肢はありませんでした。
とはいえ、漁協の売店は3便の連絡船がつく少し後までで閉店です。
明日は遅くとも17時には行かなければなりません。
翌日,漁協の売店へ行くと、ちゃんと置いてありました。
蛍光灯ひとつで、部屋の落ち着き方はこれほど変わるのだと感じました。
「次は予備を持ってこよう」 そう思ったとき、島での暮らしが少しずつ自分の中に根を下ろしてきているように感じました。
4 島の外にある、大切なもの
そんな日常の中で、22時、一本の電話がかかってきました。
自宅からでした。
子どもが高熱を出し、近くの内科にかかったのだが、総合病院を紹介されたのでこれから連れて行くと聞いたとき、これは放っておけないと感じました。
翌朝、入院することになったと連絡がありました。
点滴を打っているので少し元気にはなっていると聞いていましたが、校長先生や教頭先生に相談し、島を離れることにしました。

1便の連絡船に乗り、港から病院へ向かいました。
先に入院していた上の子は確かに落ち着いていましたが、付き添っていた家内と下の子の様子がどうも気になりました。
特に下の子は高熱が続いており、診察の結果、隣のベッドが空いていたこともあって、そのまま入院することになりました。
結果的に、私以外の家族全員がインフルエンザでした。
しかし翌日午後からは家族全員の退院も許可され,午前中はその手続きや荷物の整理、院外薬局での薬の受け取りなどに追われ、気がつくとあっという間に時間が過ぎていきました。
回復の兆しを見届け、家族が自宅に戻れる段取りを整えたうえで、実家の両親にお願いしました。
少し不安を残しながら、後ろ髪を引かれる思いで、私は再び3便で島へ戻りました。
校長先生や教頭先生は「無理をしなくていい」と言ってくださいました。
それでも、そうそう学校を空け続けるわけにはいきませんでした。
島で働くということは、島の外にある大切なものと、常に距離を測りながら生きることでもあります。
今回の出来事は、安心して仕事を続けるためには、家族と健康が欠かせないのだという当たり前のことを、改めて実感する時間になりました。
次回へ続く・・・
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