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「自分だけの『書く』仕事を作る」なんて考えたことなかった、けど。

最初はただ本を読むのが好きで、その中でも写真とテキストが美しく並んでいる雑誌、とくに旅の雑誌ページをめくる時間が好きだった。

海を越えたら違う国や文化があると小学生の頃に知って、異国で当時貴重だった日本語の本や漫画を見つけたとき(2年ほど外国で暮らしていた)、私はとても嬉しくて。

「こんな本を作る人になりたい」とおぼろげに考えるようになったのは、サッカー好きな男子がサッカー選手になりたい、と夢見るのと同じくらい、自然なことだったと思う。

帰国後も、図書館や本屋に通って毎日のように何かを読んだ。そうする中で、「本を作る人になるためには、出版社という会社に入ったらいいんだ」という知識も身につけた。

大学に入り、好きなもの=本の作り手になりたいと考えた時、取れる行動は「就活で出版社を受ける」一択だった。フリーランスのライターや編集者、自力で作家になる道や、ZINEを作って販売する、みたいな道は、一切浮かばなかった。

というか想像できなさすぎて、遠い世界の出来事だった。正直に思い返せば、「そんな不安定な道、怖い」という思いすらあった。

なのに、今の私はフリーランスのライターをしている。しかも早いもので、11年目だ。


出版社全落ちからの、もう一度

がしかし残念ながら、大学時代の出版社就活は全滅だった。「本を作る人」になる夢は、そこで途切れたかのように思えてしまう。

新卒で入ったのは、金融の総合職。VISAカードやマスターカードを扱う会社だったので、ゴールド・プラチナ会員向けの冊子作りや、NY支店に行けたらいいな、みたいにふわっと。いつかその仕事の中で書くことや本作りに携われたら、という淡い夢を抱きながら働いた。

でももっとまっすぐな夢——「旅をしながら暮らしたい」「書き物で生きていきたい」——を捨てられなくて、結局3年で会社を辞める決断を私はする。

そして受け直したのは、一度落ちた憧れの出版社。たくさん雑誌を発行している誰もが知る大企業。でも未経験、異業種への転職はなかなか難しく……

総合職以外の道を模索することにした。まずは時給1500円の派遣社員、そこから契約社員、準社員になってゆく。でも結局、茨の道すぎて編集部採用にはなれなかった。

だから本業の傍ら、1本500円の副業ライターを始めることにした。それが、私の書き物人生の最初の大きな分岐点だったように思う。

決まりは一つ、「記名の仕事のみやってゆくこと」。500円のメディアで記事を書いたら、次のメディアでの採用は原稿料が1000円に、その次は2000円。気づいたら半年で40倍以上の1本1〜2万円になっていた。

「生活が成り立つかもしれない」。そう思えた時の私の仕事は、ほぼ全て企画ありきの仕事だった。テーマも対象も文字数も写真も、取材先も全部提案。そうじゃない仕事は、自然と減っていくかなくなっていったように記憶している。

メディアの立ち上げ、旗を上げることが未来を創る

原稿料が上がる頃、複数のメディアから専属ライターにならないか、と打診をもらった。その流れの終着点が、「会社を立ち上げるから第一号の社員になって、一緒にメディアを立ち上げないか」いう誘い。

原稿料が1本1万円を超えたら、じつはその仕事を持ち歩いて世界一周の旅を始める心づもりでいた。

けれど、誘ってくれた彼らを好きになっていて、彼らと創る未来が見たいと考えている自分がいた。世界一周は一年か二年、延期しようと決めた。

27歳のことだった。講談社という大きな会社を離れて、社員4名「Wasei」という会社の最年長に(以下リンクは過去のものです)。

企画、取材依頼、インタビュー、執筆、撮影、編集、編集長としての特集、メディア対応、全部やった。楽しかった。そのうちタイアップの仕事も始まってゆく。

並行して、気づけば昔憧れて図書館で眺めていた雑誌の編集部ライターの仕事にも就いていた。

個人の仕事として小さく始めた、毎月の連続企画の「編集・ライターイベント」がオンラインサロン化した。編集長を務めるWEBメディア『灯台もと暮らし』の特集をきっかけに書籍執筆依頼が来て、その仕事を持ちながら世界一周をし始めた。

旅を続けるうち、書き物のほか写真や映像が仕事になり、仕事は厚みを増してゆく。かたわらでずっと書き続けていたnoteを見て、「こんなトーンの記事を書いてほしい」という依頼も増えた。好きなようにいつも通り書いて、という仕事。

ずっと、記事は「誰かの力になりたい」と思って書いてきた。noteは、「私のため」に書いてきた。こんな風に交差するなんて。

世界の美しさを残したい、と思ってシャッターを切って、この広い世界でリアルでは出会いきれない誰かに出会いたくて、コミュニティをずっと作ってきた。

KindleもZINEもものづくりも旅の仕事も、振り返れば手がけさせてもらっていることは全部、「書く」「伝える」が根幹に。

意識したことはなかった、けれど

仕事を作る、なんて意識するより前に、「好きなことの近くにいたい」「この人たちと遊ぶように暮らしてみたい」「誰かの力になりたい」その想いで走ってきた。

でも、「ずっと書く側の人間でいたい」という願いも確かに強く持って進んできた。

エッセイを書きたかったけど、誰も何者でもない私のエッセイなんて、読みたくない。じゃあ誰かが求めている内容を書こう、と始めたのが1本500円の執筆だった。楽しかった。

日本人なら誰もが書ける日本語が、ありがとうとお金に変わっていく様子が、魔法みたいで不思議だった。

世界を二周して語学留学を3カ国して、沖縄に引っ越して、今私は東京で第一子を抱きながら、子連れ国内二拠点暮らしの準備を淡々とし始めている。

同時に海外行きの航空券もつねに眺めていて、実際に子どもと一緒に今まで4カ国を数週間ずつ旅してみながら、海の向こうの暮らしもミックスする可能性を模索中。

「書く」のそばで、まだ生きてる。

時代と私の人生フェーズは絶えず変わる。その横で、形を変えながら、書くことはずっと私のそばにいてくれた。

今、改めて問い直したい、これからの書く仕事

「私だけの書く仕事」って、なんだろう? AIの時代に、私たちが書く意味とは?

これから先、書き手はどうやって生きていったらいいのだろうか。

そういうことの明確な答えを、まだ私も知らないでいる。これかな、と思うことをいくつか抱えてトライしながら、毎日を生きている。でも同時に「これだろうな」という感触を、この手に得ることも確かにある。

……いや。本当に、「仕事を作る」意識がなかったのか、ともう一度自分に問う。「もしかしたら違うかもしれない」とすぐに思いあたることがある。

11年間の全ての行動は、「私が仕事を取りに行く」んじゃなくて、「私のいるところに仕事が生まれたら最高じゃないか?」という願いのもと、始まっている。

12月6日のライター忘年会では、モデレーターの作家・ゆぴさんと、参加してくれるみんなと一緒に、このテーマを話して、深めたい。きっともう、個人個人がそれぞれ戦う時代はとうに過ぎてる。一緒に探したほうが、きっと近い。

ゆぴさんも、企画を作ることの大切さを語っていた。私も振り返れば、企画を作り続けてきた。

当日は、今日ここにきて良かった、と思えるような話たちを、全部正直に話せたらいい。みんなと話して、ゆぴさんともたくさん話して、一つではない答えや今後の道を、一緒に考えられる、そんな夜が作れたら。

この時代において、「書く」ことを人生の一部に据えたいと願う人、すでに据えている人たちが数十人規模で集まる夜は、そんなにない。素敵な機会をありがとう、主催のMarbleさんと、会場の愛する私の原点・noteさん。

イベントが終わったら、その時感じたことや考えたことも、またnoteに綴ってみたい。

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【12/6(土)18:00〜】ライター忘年会@東京「ライターとして価値を高める!自分だけの『書く』仕事のつくりかた」

日時: 2025年12月6日(土) 18:00 〜 21:00
場所: note place(都内)
参加費: ¥3,500(1ドリンク・軽食付)
早割: 11月10日(月)までのお申し込みで500円OFF
ゲスト:伊佐知美 / いしかわゆき

▼イベント申し込みはこちら(早割チケット販売は11/10まで)

▽もっと詳しくわかるnoteもあるよ


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伊佐知美|Tomomi Isa いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。