「正解」に怯えて【ゆにさん 創作大賞感想文】
今日は、ゆにさんの創作大賞2025 エッセイ部門の応募作品「母の日の手紙は、私だけのお守り」のnote感想文です。
長男くんがゆにさんだけにそっと書き置いた手紙。
泣きそうになりました。それは、長男くんの成長だけではありません。
旦那さんであり、お父さんと長男くんの関係を踏まえて、お父さんには見せないゆにさんの心遣いのほうに感動しました。
そして、一番感動したのは、その手紙自体に触れていないこと。もちろん、ここで書いてしまえば旦那さんや長男くんの目にも触れかねません。
「私の異変に気付いて、声をかけ」てくれた、旦那さんの優しさ。
「夫の何度にわたる申し出にも、私は信念を曲げなかった」ゆにさん。
「内緒にするような内容ではな」くても、「長男が私のために書いてくれた思いを、むげにしたくない」というゆにさんの想い。
そして、それをお守りとしてスマホケースに入れて持ち歩くことが、どんなにその想いを大切にしているかが伝わります。
正解はみんな違うはずなのに、「正解」に怯える
こうあらなくてはならない。
恋人関係以上に、「結婚(妻や夫)」や「親」というカテゴリでは、”物申したい人たちが”どこからともなく湧いてきます。
よくよく考えると、それは言っている人自身が、出来ていない自分を責められないようにするための攻撃なのかもしれません。
夫が口うるさく言うタイプなので、私まで細かく口を出してしまうと長男の逃げ道がなくなってしまう。そう思うからこそ、喉元まで出かかる心配事をぐっと飲み込んで、長男の思いを尊重するようにしているのだ。
さらっとゆにさんは書いていますし、よく聞く話ではありますが、そう簡単に行く話じゃないことは、子育て経験者なら痛感していることだと思います。
我が家の場合では、わたしが口うるさく言うタイプですが、パートナーもスイッチが入るとわたし以上に激しく言います。実際、小学校卒業ギリギリまでとにかく手がかかったのが長男でした。
結果的に、わたしと長男の間で共通のゲームがあることから、会話の糸口に繋がりましたが、「いい親をできているか」というのは、そのまま自己否定として跳ね返ってくる”呪い”になります。
▽自分の話で恐縮ですが、長男とゲームの話はこちらにまとめています▽
育児書に書かれているような模範的な子育てはできないからこそ、日々子どもに試されていると思いながらも、不器用に育児をしている。おそらく子育ての形は千差万別で、子ども一人ひとりにぴったりくる形は違っているだろう。
ゆにさんの言う通りで、「模範的な子育て」ができている人など、本当にいるのだろうかと思いたくなるときがあります。自分の子育てを晒したり、子育てに関する悩みをさらけ出したら、即刻叩かれるのではとか、「ダメ親」という烙印を押されてしまうのではという恐怖が付きまといます。
そのなかで、ゆにさんのこの段落は非常に力強く、勇気をもらいました。
今のところ、わたしが渡した手紙が子どもたちにとって、お守りになっているかはわかりません。
そして、子どもたちからもらったものは取っておいていますが、お守りにして持ち歩きたくなるようなものはありません。
そうしたものがもらえるように、または、そうした想いが持てるように、まずはわたしも心を込めた手紙を子どもたちに送り続けられたらと思います。
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