自己肯定感と自己受容感ってなんだろう? 元・ロボット人間より
こんばんは。とのです。
今日も、ちょっと個人的な話をしてみようと思います。
ここ最近、「自己肯定感」とか「自己受容感」って言葉、よく耳にしませんか?自己理解の界隈では、もう定番中の定番ですよね。
僕も自己理解プログラムを受講している時に、このキーワードがしょっちゅう出てきて、正直「?」でした。なんせ、感情をほとんど失くしていた「元・ロボット人間」だったもんですから。
「自分を肯定する?」「今の自分をありのまま受け入れる?」…いやいや、それって一体なに? どこを肯定するの? 何を受け入れるの? 全然ピンとこなかったんです。
どうしてこんな状態になっちゃったんだろう? 今日は、そんな僕のこれまでの道のりを、ありのまま話してみようと思います。あくまで僕の中の感情として感じたことなので、正しいとか間違ってるとかは分かりません。でも、もし今、あなたが同じように「このままでいいのかな?」って立ち止まっているなら、もしかしたら、僕の話が何かのヒントになるかもしれません。
(1)いつから「自己肯定感」「自己受容感」をなくしたんだろう?
思い返してみると、今の会社に入ってから、感情がなくなったわけじゃない気がするんです。もっともっと前から、もう「自己肯定感」とか「自己受容感」って感覚がなかったんじゃないかな、って。
僕、IT業界に20年以上います。だから、IT系の資格もたくさん持ってる。一つや二つじゃないですよ。会社からもらった合格一時金も、合計したら50万円を超えてるくらい。
中には、めちゃくちゃ頑張って勉強した試験もあります。業務でどうしても必要だったから。その業務を任されたんだけど、周りに詳しい人が誰もいなくて、聞ける人がいなかったんですよね。だから「よし、僕が第一人者になって、みんなに教えよう!広めよう!」なんて感覚は正直ありませんでした。むしろ、「やらされてる」って気持ちだったのかもしれません。
そして、資格に合格するたびに、心の中でずっと思っていたこと。
「知ってることと、できることは違う」
「これは、誰かが認めた知識保有の証明。だから何?」
「で?」
なんだかもう、途中からバカバカしくなっちゃって、IT系の資格は受験すらしていません。
仕事となると、なおさらでしたね。「自己肯定」「自己受容」なんて言葉より、ひたすら「Q(Quality:品質)C(Cost:費用)D(Deliverly:納期)」。お客様の希望を超えたQCDで結果を出し続けなさい、と教えられました。僕も特に違和感なく、「金をもらうなら、そりゃそうだろ」くらいに思っていました。
だから、社会に出てから感情をなくしたわけではないような気がするんです。
もっと前から? 大学生? 高校生? うーん。昔から、自分を心から受け入れたり、「自分ならできる!」って確信したことは、あまり記憶にないんです。もちろん努力しなかったわけじゃなくて、各種入学試験に合格した時だって、「やったー!」よりも「よかった……(安堵)」って感じでしたから。
ということは、もっともっと前からなのか?
もしかしたら、もっと幼少期の、両親との関係性とか、そういうところまで遡るのかな…?
でも、もう「いつから」って考えても、正直わからないし、仕方ないことなんだろうな、って今は思っています。原因を探って取り除くよりも、今の自分をどうしていくか、という「対処」的な話になってくるんだな、と。
(2)「自己肯定感」「自己受容感」が低いって、問題なの?
そもそも、自己肯定感や自己受容感が低いことって、本当に問題なんだろうか? そう疑問に思って、僕の相棒であるGeminiにそれぞれ聞いてみました。
あくまでGeminiの偏った意見かもしれないけど、「へぇ、こんな問題があるらしい」くらいで、ちょっと見てみてください。
■「自己肯定感」が低い人の問題
新しいことに挑戦する意欲が低下したり、失敗を過度に恐れてしまうことがあるらしい。自己否定的な思考に陥りやすく、精神的な健康にも悪影響を及ぼす可能性がある、とのこと。
■「自己受容感」が低い人の問題
自己否定、自己肯定感の低下、対人関係の問題、精神的な問題など、様々な問題が生じる可能性があるらしい。
ふむ。言われてみれば、そういう側面もあるのかもしれない。
(3)仕事をする上で「自己肯定感」「自己受容感」は必要なのか?
うーん。僕にとって、仕事をする上で「自己肯定感」「自己受容感」が必要か不要か、って言われると、やっぱり「不要」な気がするんです。
だって、上で書いたみたいに、お客様の希望を超えたQCDで結果を出し続けることができれば、自己肯定とか自己受容なんて考えなくても、仕事は「できる」でしょ?
でも、こう書いてると、やっぱり「ああ、これは感情がないロボットだよね」って改めて思います。生産性とか効率だけを追求している感じ。本当に心がない。
こんな状況だから、今まで以上に心がなくなったのか? それとも、ロボットのように仕事をしてきたからこそ、ここまで継続してこられたのか? いまだによく分かりません。
やはり今時点でも、仕事をするうえでは「自己肯定感」や「自己受容感」は必須ではない、と僕は思っています。20年以上も働いていれば、実際の失敗なんて山ほど経験しましたし、闇に葬った(=葬ることができた)失敗も数えきれないくらいあります。
もし失敗したことがあったとしても、「受け入れる」というよりは、「二度と再現しないように手段を講じる」ことをしますよね? それは、自分のためというよりも、お客様(=利用者の方々も含めて)のために。
だから、仕事で「満足感」とか「貢献感」みたいなものは、もしかしたら得られていなかったのかもしれない。
こうして書き出してみて思うのは、「何かに、あるいは何かを諦めているのだろうか?」ということ。これが言語化できると、少しスッキリするような気がします。
なんとなくだけど、現状の仕事で「満足感」や「貢献感」を得ることを、僕は諦めているような気がするんです。今の業務って「誰かがやらなければならないこと」を、お金をもらってやっていることだから。本当に「やりたいこと」じゃないから、なのかな。
(4)生きていく上で「自己肯定感」「自己受容感」は必要?
たぶん、本当にたぶんだけど、あった(=高い)方が良いような気がするのは事実です。でも、まだ頭で分かっているレベル、なんですよね。
今の自分すべてを受け入れることができると、自分の価値を肯定できるというか、存在を評価できる、ってことなんだろうなって。
僕自身はさておき、自分の息子には「自己肯定感」「自己受容感」が高くあってほしい、って心から思えるんです。
だって、(2)で書いた「自己肯定感」「自己受容感」が低い人の問題の裏返しを考えたら、どんどん新しいことにチャレンジできる土台や、人間関係の充実につながりそうじゃないですか。
息子に対して思うのは、親として、失敗しても大丈夫な環境を作ってあげたい、ということです。それが、自己肯定感や自己受容感を高めることにつながるのかな、って。
こんなことを考えること自体、これまでの僕にはなかったことなんです。もしかすると、少しずつ感情が動き始めているのかもしれない。
仕事の過程で、偉い人たちが「生産性」とか「効率性」なんてキーワードを口にすると、今でも少しがっかりします。きっと、従業員や部下をロボットのように見ているんだろうなって。
でも、本当の僕って、きっと「今のままでいい」とか「自分最高」とか考えることなく、さらにその先にいる、もっと「熱いニンゲン」だったような気がするんです。
きっと、どんどん熱さとともに、感情がなくなっていったんでしょうね。そのきっかけはもう分からないけど。
これからは、「自己肯定感」とか「自己受容感」というキーワードに囚われない(=気にならない)くらいに、心の底からワクワクすることを見つけて、熱中して取り組みたいです。
僕自身が変わらないといけない。無意識の領域をアップデートするような行動を、これから始めていきます。自分の中にある「大事なこと(=価値観)」を自分の中心軸として生きていくことで、自分の人生を自分で舵をとれるようになれば、自然と「自己受容感」や「自己肯定感」が高まるような気がしています。
なんだか、とりとめもなく語ってしまいましたが、これが今の僕の中にある「自己肯定感」「自己受容感」についての、率直な気持ちです。
もし、この話を読んで「わかるなぁ」って思ってくれた人がいたら、あなたは決して一人じゃないです。僕も、あなたも、少しずつでも一緒に、新しい一歩を踏み出していきませんか?
自分の中で大事にしている思い=価値観を大事に生きてみませんか?
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