見出し画像

【聖夜までに恋をひとつ―氷の数式が溶ける夜―】第4章 「近づいているのに、確定しない」

第4章テーマは、不確実性下の価値増幅効果(Uncertainty-Induced Valuation)
不確実性下の価値増幅効果は【「分からないからこそ、価値が膨らむ」 という現象】というものです

しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります

それでは、第4章 「近づいているのに、確定しない」をイメージ楽曲と共にお楽しみ下さい

↓第4章のイメージ楽曲↓

前回のあらすじ

最近、氷室先輩との距離が明らかに近い
物理的な話だ

廊下で並べば肩が触れる
席に座れば、覗き込む距離が短い
話しかけられる頻度も、完全に増えている

そして―周囲が、ざわついている―

「え、あれ付き合ってないの?」
「でも、ほぼ恋人じゃん?」

(知らん。俺もそう思う)

先輩は今日も当然のように隣に座り、ノートを開く

「最近、周囲の視線が増えています」
「自覚あるんですね」
「あります。成功率への影響が懸念されます」

まだ計算してるんだ……

「で、今どれくらいなんです?」

聞くと、先輩は一拍置いて答えた

「……下がっています」
「下がる!?」
「はい。理論上は上昇するはずなのですが」

(理論上、ね)

先輩は少し不機嫌そうにペンを回す
その仕草だけで、俺の理解度は十分だった

「先輩」
「はい」
「俺、何かやらかしました?」
「いえ。むしろ、適切です」
「じゃあ、なんで」

先輩はノートを指差す

「安心感、理解度、接触頻度
 どれも基準値を超えています」
「なら良くないですか」
「問題は……」

先輩は少しだけ声を落とした

「決定打がありません」

(決定打って何)

「……具体的には?」
「……恋人行動です」

言い切った

「手を繋ぐ。独占する
 第三者に対して明確な関係性を示す」

(チェックリストみたいに言うな)

「でも、俺、してないですよね」
「はい。していません」
「それが不満?」
「……分析対象です」

逃げたな
俺は立ち上がり、先輩の前に回り込む

「先輩」
「はい」
「俺、手、繋ぎませんよ」
「……把握しています」
「独占もしません」
「……そうですね」
「でも」

一拍置く

「先輩の話は、誰よりも聞きます」

先輩のペンが止まった

「わからないところも、怖いところも
 全部まとめて理解しようとはしてます」

これは、嘘じゃない

「それでも、ダメですか?」

先輩はしばらく黙り込む
珍しく、答えが遅い

「……不合理です」
「ですよね」
「恋人行動がないのに、距離は近い」
「はい」
「関係性が確定しない」
「はい」

先輩はノートに何かを書き込み、ぐしゃっと消した

(消すなよ……)

「天ヶ瀬くん」
「はい」
「あなたは……」

言いかけて、止まる

「……いえ」

また引っ込めた

(近づいてるのに、確定しない)

その空気が、妙に張り詰めている

放課後
先輩と二人で帰る道

並んで歩く距離は近いのに、手は触れない

「先輩」
「はい」
「急ぎすぎですよ」

先輩が立ち止まる

「……何をですか」
「答え」

静かな夕焼けの中で、先輩は言葉を失った

俺は続ける

「近いからって、すぐ決めなくていいと思います」

先輩の目が、揺れる

(ああ)
(これ、俺が言うとこなんだ)

でも、言わずにはいられなかった

「先輩が納得するまで
 俺はこの距離のままでいます」

先輩は、何も言わなかった
ただ、ノートを強く抱えたまま

(……また、成功率下がるな)

そう思って、少しだけ苦笑した

翌日から、氷室先輩の様子がおかしい
いつもおかしい? それはそう
でも今日は、種類が違う

朝の廊下で合流した瞬間、距離がさらに詰まった
近い。さすがに近い

「先輩、近くないですか」
「誤差です」

誤差で肩が触れる世界、怖い

昼休み
俺が席を立つと、先輩も立つ
俺が窓際に行くと、先輩も来る

「……尾行ですか?」
「同行です」

言い切るな
周囲の視線が、完全に“確定待ち”のそれになる

「ねえ、もう付き合ってるんだよね?」
「いや、まだ……」

(俺が否定してるの、だいぶ異常だな)

放課後、生徒会室
先輩はノートを開き、何度も同じページを見返している

「……おかしい」

低い声

「何がです?」
「成功率です」

またそれか

「昨日より、さらに下がっています」
「え、下がり続けてる?」
「はい。距離は近い。会話量も増えている
 周囲の認識も、ほぼ確定です」
「じゃあ、なんで」

先輩はペンを強く握る

「……あなたが、確定させないからです」

(出た)

「……俺が?」

「はい。あなたは、理解してくれる
 優しい。否定しない
 でも――」

言葉が詰まる

「……恋人の行動を、しない」

責める声じゃない
困っている声だ

「先輩」
「はい」
「俺、変ですか」
「……変です」

即答

「そんなに距離近いのに、手を繋がない」
「……繋いでほしいんですか?」
「……分析中です」

また逃げた

俺は、わざと一歩だけ後ろに下がった
距離が、ほんの少し空く

先輩の眉が、ぴくっと動く

「ほら」
「……何ですか」
「今、気になりましたよね」
「……数値化できません」
「それでいいと思います」

先輩は、苛立ったようにノートを閉じた

「天ヶ瀬くん」
「はい」
「あなたは、私をどうしたいのですか?」

珍しく、真正面から来た
俺は、少し考えてから答えた

「急がせたくないです」
「……理由は?」

「先輩、答え出すとき
 自分を置いてきぼりにするから」

先輩の目が、揺れる

「成功率とか、周囲とか
 全部ちゃんと考えるのに」

一拍

「先輩自身の気持ちだけ
 後回しにしてる気がして」

沈黙

その沈黙が、今日は長い

先輩はノートを開き、成功率の欄を見つめる
そこに、何度も書き直された数字

―そして―
一気に、二重線で消した

ぐしゃ、という音

「……計算を、やめます」
「え」
「正確に出せません」

珍しく、感情がそのまま出ている

「あなたが、近いのに遠い」
「近いですよ?」
「……遠いです」

その言い方が、少し可笑しくて
でも、笑えなかった

「先輩」
「はい」
「俺、逃げませんから」

先輩が顔を上げる

「でも、確定もしません」
「……」
「先輩が、自分で“いい”って思うまで」

夕暮れの光が、机に差し込む
先輩は、ノートを胸に抱えた

「……不確実です」
「はい」
「不安定です」
「知ってます」
「……それでも?」
「それでもです」

先輩は、困ったように、でも少しだけ笑った

「あなたは、本当に」

一拍

「おかしいです」
「今さらですね」

そう返すと、先輩は小さく息を吐いた

ノートの成功率欄
そこに残った、二重線だけが、やけに目立っていた

(……まあ)
(これで、また一歩だ)

そう思った瞬間、先輩がぽつりと呟く

「……逃げ場が、なくなりました」
「俺、そんなことしてます?」
「はい」

言い切るな

でも、その声は、どこか安心しているようにも聞こえた

次章へ


いいなと思ったら応援しよう!