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【放っておけない藤堂さん】第3章 「声の温度が、彼女を落ち着かせる」

第3章テーマは、情動制御同調(Affective Regulation Synchrony)
情動制御同調は【二人でいると、声のトーン、表情、緊張レベルが“うつる/揃う”ことで、感情が安定したり高まったりします。これをうまく使うと、片方が落ち着けばもう片方も落ち着く、逆に不安が伝播する】というものです

しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります

それでは、第3章 「声の温度が、彼女を落ち着かせる」をお楽しみ下さい

前回のあらすじ

藤堂さんが、明らかに元気がなかった

歩いているのに、足取りが重い
前は見ているのに、視線が合わない
何より、いつもより静かすぎる

「……何か、ありました?」

声をかけると、彼女は一瞬だけ迷ってから答えた

「実験で、少し」

少し、という言葉に収まらない雰囲気だった

「計算ミスが見つかって」
「やり直しです」

淡々としているけれど、肩がわずかに落ちている
こういう時の藤堂さんは、だいたい危ない

案の定、廊下に出た瞬間、彼女の歩幅が乱れた

―まずい

僕は自然に速度を落とす
彼女より、ほんの少しだけゆっくり

「大丈夫です。時間、ありますから」
「……はい」

返事も短い

曲がり角
いつもなら、ここで肩が危険区域に入る

でも、今日は違った
僕が先に曲がり、穏やかに声を出す

「こっちです」

声の大きさも、いつもより少しだけ低く
急がせない。詰めない

藤堂さんは、何もぶつからずに通った

「……あ」

彼女が小さく声を漏らす

「どうしました?」
「いえ……今、考えてたのに」

歩きながら、首をかしげる

「……ぶつからなかったなって」

僕は、ちょっと安心する

「良かったです」

それ以上は言わない
段差の前で、いつもの一言

「ここ、少し高いです」

声は、落ち着いていると思う
自分では

「……ありがとうございます」

彼女の返事が、少し柔らかい

歩く
速度を合わせる
無駄に間を詰めない

ただ、それだけ

研究棟までの道のりで、藤堂さんは一度も肩をぶつけなかった

「……不思議」

建物の前で、彼女がぽつりと言う

「今日は、頭の中がうるさいはずなのに」
「はず、ですか」
「はい。いつもなら、もっと散らかってます」

少し困ったように笑ってから、僕を見る

「でも、今は……」

言葉を探すように、間が空く

「佐伯さんの声を聞いてると」
「考えが、勝手に揃う感じがして」

……揃う

それは、たぶん褒め言葉だ

「そうですか」
「はい」

耳が、少し赤い

「……声、低いですよね」
「え」
「落ち着いてて」
「なんか……安心します」

不意打ちだった

「そ、そうですか」

それ以上、うまく返せない

藤堂さんは、ふっと視線を逸らす

「今日は……」
「このまま、少し一緒に歩いてもいいですか」

「はい」

即答だった

理由は分からない
ただ、彼女の歩調が乱れないように
それだけを考えていた

声の温度を、保つ
歩く速度を、崩さない

そんなことを、意識している時点で
たぶん、普通じゃない

でも……この人が落ち着くなら、それでいい

それからしばらく、藤堂さんは僕の少し後ろを歩いていた
理由は分からないけれど、その距離が一番しっくりくるらしい

「……佐伯さん」
「はい」
「もう少し、ゆっくりでいいです」

ゆっくり?
今でも十分遅いと思っていたけれど、彼女がそう言うなら、さらに半歩だけ落とす

歩く速度を落とすだけで、空気が変わる
廊下の音が遠くなる。人の気配が薄まる

「……静かですね」
「ですね」

実際は静かじゃない
でも、藤堂さんがそう感じるなら、きっと静かなんだろう

研究棟の中は、いつもより人が多かった
すれ違う人、話し声、足音

藤堂さんの肩が、わずかに強張る

「……」

何も言わずに、僕は声を出す

「大丈夫ですよ」
「急ぎませんから」

内容は、ほとんど意味がない
でも、声の出し方だけは気をつける

低く
ゆっくり
いつもより、少し柔らかく

それだけで、彼女の肩が少し下がった

「……佐伯さん」
「はい」
「今、私」
「自分の心拍数、分かります」

そんなこと、分かるのか

「落ち着いてます」
「たぶん……」

彼女は、胸元に手を当てる

「あなたの声のせいです」

せい、という言い方がずるい

「……それ、僕が悪いみたいじゃないですか」
「いい意味です」

即答だった

歩く
止まらない
ぶつからない

その日、藤堂さんは一度も、世界から切断されなかった

研究室の前で立ち止まる

「今日は、ありがとうございました」
「いえ」
「……いつも、ですけど」

少し言い直してから、彼女は続ける

「佐伯さんがいると」
「感情が暴走しないんです」

暴走、という単語が、彼女らしい

「普通なら、失敗すると」
「頭と気持ちが、別々に走るんですけど」

少しだけ、間を置く

「今日は、ちゃんと一緒でした」

それは、たぶん、かなり大事なことだ

「……それなら、良かったです」

それしか言えなかった
藤堂さんは、小さく笑う

「佐伯さんって」
「自分が何をしてるか、分かってます?」
「……あまり」
「ですよね」

くすっと、声を殺して笑う

「でも」
「しばらくは、このままでいてください」

お願い、というより、確認だった

「私、今」
「落ち着ける場所が、少ないので」
「……はい」

断る理由なんて、見当たらない
藤堂さんが研究室に入るのを見送って、僕は一人で廊下を歩き出す
少しだけ、胸が熱い

声の出し方
歩く速さ
間の取り方

そんなものまで気にするようになった自分を、どこかで笑っている

でも……誰かが落ち着くなら
それを保とうとするのは、そんなにおかしいことじゃない

―たぶん―

そう思いながら、僕はいつも通りの速度で、次の角を曲がった

次章へ

↓最後に、第3章のイメージ楽曲をお楽しみ下さい↓


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