【放っておけない藤堂さん】第4章 「あなたの隣は、世界のどこより安全」
第4章テーマは、社会的安全化バイアス(Social Safety Calibration Bias)
社会的安全化バイアスは【人は相手や場を「安全そう/危なそう」と素早く見積もり(social safety)、その見積もりが強いと、相手の言動を好意的に解釈しやすい・逆に不安だと警戒的に解釈しやすい、という“校正(calibration)の偏り”が起こります。社会的つながりが安全の感覚に関係する】というものです
しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります
それでは、第4章 「あなたの隣は、世界のどこより安全」をお楽しみ下さい
前回のあらすじ
最近、藤堂さんが道に迷わなくなった
いや、正確には―
迷いそうになる前に、止まるようになった
「……あ」
廊下の分岐で、彼女は一瞬立ち止まる
以前なら、そのまま直進して、五分後に違う棟へ消えていた
「どうしました?」
「えっと……」
藤堂さんは、僕を見る
「こっち、でしたよね」
確認する視線
もう一度、案内板を見るでもなく
「はい。こっちです」
「やっぱり」
それだけで、彼女は安心したように歩き出す
……なぜ、僕を見る?
不思議に思いながらも、歩幅を合わせる
最近はもう、合わせようと意識しなくても自然に揃う
段差……今日は言わなくても、彼女はちゃんと避けた
扉……ぶつかる前に、彼女の方が少し距離を取った
「……あれ」
彼女が、首をかしげる
「今日、まだ一回もぶつかってません」
「それは、良いことですね」
「……はい」
小さく笑う
でも、どこか困ったような顔
「佐伯さん」
「はい」
「私……あなたといると、怪我をしないんです」
真顔で言うものだから、反応に困る
「えっ…と…偶然じゃないですか?」
「違います」
即答だった
「数えてたんです」
「先週から」
数えるな
「一人の時は、必ずどこかにぶつかります」
「でも、佐伯さんと一緒だと……」
言葉を探して、少し間が空く
「……安心して、歩けます」
安心
その単語が、静かに胸に落ちた
歩く時、彼女は前を見る
でも、完全に前だけじゃない
時々、僕の位置を確かめるように、ちらりと視線を寄越す
それは、道を確認する目じゃない
人を確認する目だ
「……じゃあ」
僕は、少しだけ間を取って言った
「これからも、一緒に歩きましょうか」
軽い提案のつもりだった
重くならないように
でも……藤堂さんは、立ち止まった
「……いいんですか」
声が、少し低い
「私、研究以外は」
「そんなに……信用できる人、いないので」
言い方が、彼女らしい
「それでも」
彼女は、僕を見る
「佐伯さんの隣は……大丈夫な気がします」
胸の奥が、じんわり温かい
「それなら」
僕は、いつも通りの声で答える
「危ないところは、先に言います」
「段差も、曲がり角も」
「はい」
「歩く速さも、合わせます」
「……はい」
返事が、少し弾んだ
再び歩き出す
不思議なことに、藤堂さんの足取りは、今までで一番安定していた
迷わない
ぶつからない
急がない
まるで、この道自体が安全になったみたいに
でも、たぶん違う
安全なのは、道じゃない
場所でもない
―隣、なんだと思う―
そう考えてしまう自分を、どこかで冷静に見つめながら
僕は今日も、彼女の半歩隣を歩いていた

それからというもの、藤堂さんは迷わなくなった
いや、正確には―
迷う前に、僕の方を見る
「……こっちで、合ってますよね」
「はい」
それだけで進路が決まる
正直、責任が重い
曲がり角
今日は、少し人通りが多い
「……」
藤堂さんの歩幅が、ほんの少し縮む
「人、多いですね」
「ですね」
だから、僕はいつもより内側を歩く
特に意味はない
ぶつかりやすいのは、だいたい内側だから
……たぶん
「佐伯さん」
「はい」
「今、私……全然怖くないです」
怖い、という単語が意外だった
「前は、人が多いと」
「考えが散って、ぶつかってたのに」
彼女は、少し考える
「今は……ここにいれば、大丈夫って思えるので」
ここ、じゃない
たぶん、それは
"隣"
「……それは」
どう返していいか、分からない
分からないから、いつも通りのことをする
「段差、あります」
「ありがとうございます」
息を吸う
吐く
藤堂さんの呼吸が、僕の歩調に合ってくる
いや、違う
僕が、彼女に合わせている
でも、最近は境目が曖昧だ
「……ねえ、佐伯さん」
研究棟の前で、彼女が立ち止まる
「もし……私が一人だったら」
嫌な仮定だ
「この道、迷ってました?」
「……たぶん」
正直だ
「怪我、してました?」
「……おそらく」
藤堂さんは、小さく笑う
「ですよね」
それから、少しだけ真面目な顔になる
「でも……今は、しません」
彼女は、僕を見る
「あなたが隣にいるって、分かってるから」
それは、信頼だ
たぶん
いや、かなり
「……じゃあ」
僕は、少し考えてから言う
「もし、僕がいない時は、立ち止まってください」
「……え」
「一回、止まる」
「深呼吸する」
「それから、ゆっくり進む」
我ながら、妙に具体的だ
「それで、僕がいる時と同じくらい、安全になるはずです」
藤堂さんは、目を瞬かせる
「……佐伯さんって」
「はい」
「自分が“安全装置”みたいな扱いされてるの」
「気づいてます?」
痛いところを突かれた
「……薄々」
「でも、嫌じゃないんですよね」
即答だった
藤堂さんは、ふっと笑う
「じゃあ……しばらくは、壊れないでください」
「努力します」
そんな約束、聞いたことがない
研究室の扉の前
「今日も、ありがとうございました」
「いえ」
「……また、一緒に歩いてください」
「はい」
当たり前みたいに、答えてしまう
藤堂さんが中に入っていくのを見送って
僕は一人で廊下を歩き出す
ふと、思う
安全な場所、というのは
壁があることでも、道が広いことでもない
誰かが隣にいて、大丈夫だと信じられること
…それを、無自覚に提供している自分は
たぶん、相当おかしい
でも
彼女が怪我をしないなら
迷わないなら
それでいい
そう思いながら、僕は今日も、彼女の帰り道を頭の中でなぞっていた
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↓最後に、第4章のイメージ楽曲をお楽しみ下さい↓
