【朔夜くん、それ太宰治のパクリでしょ】第5章 「それはずっと前に言ったじゃないか」
第5章テーマは、スリーパー効果(Sleeper Effect)
スリーパー効果は【信頼性の低い情報源から得たメッセージであっても、時間が経つにつれて内容だけが残り、説得力が増すという現象】というものです
しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります
それでは、第5章 「それはずっと前に言ったじゃないか」をお楽しみ下さい
前回のあらすじ
「あの……先輩。この作品、読んでいただけますか」
放課後、文芸部の部室。カーテン越しに差し込む西日が、彼の原稿用紙に陰影を刻んでいる
朔夜の手から受け取った紙には、見慣れた字でこうあった
『母が、林檎を切る音が嫌いだった』
ああ、もう
最初の一文から果物系か。……いや、そこじゃない
「うん、じゃあ言うよ。なんで“林檎”を出した? 」
「えっ、えっ。だって……果物の季節感って文学的に重要かと……」
「果物なら何でもいいわけじゃない。林檎を切る音で“母の呪い”を想起するの、あなたの家庭にしか通じない」
「……ぼ、僕の家庭には通じます」
「うん、知ってる。そこは否定してない」
深く息をつく私の視線に、彼はいつものように若干うれしそうに目を伏せた。どうしてダメ出しにときめくの
「ねえ、朔夜君。あなたの文章って、どこかに“他人の影”が映ってるように感じるの」
それは数週間前、さりげなく放った言葉だった。でもそのあと、特に変化は見られず、彼は彼のままだった
――と、思っていた
「あのさ、先輩。最近、林檎じゃなくて柿を題材にしようか迷ってるんです」
「えっ。そこ?」
「……あと、母の台詞を“僕”のモノローグに変えてみたんです。あくまで“僕”の視点に立ち返って」
一瞬、目を疑った
この人、今になって“他人の影”を削ってきた?
「自分の言葉で、って言ったら変ですけど……なんか、ちょっと苦しかったんです。ずっと」
「その苦しみ、どうせ“太宰のせい”でしょ?」
「いえ、半分は“先輩のせい”です」
え
それって──
「ずっと前に言ってくれたじゃないですか。“他人の影ばかり映ってる”って。最初はムッとしたけど、気づいたら、それを考えながら筆が止まらなくて」
……スリーパー効果、成功してるじゃない私
言葉は時間をかけて、心の深部に届く。そんな仮説めいたものに頼って、私は一つの言葉を“埋めて”おいた
それが、ようやく芽を出した
「じゃあ、その“苦しんだ成果”を読ませてもらえる?」
そう言って差し出された原稿用紙を、私は両手で受け取った
彼の顔は、もうあの“太宰信奉者の仮面”じゃなかった
まるで自分で選んだ言葉を、他人に託す怖さを、今さら知ったみたいな顔をしていた
まっすぐで、不器用で、でも確かに“朔夜”の顔だった
そして私は、今さら――ようやくその顔に恋をするのだった
原稿用紙に目を落とした私は、呼吸するのを一度忘れた
一行目に書かれていたのは、こうだった
『母が林檎を切る音を止めた日、僕は初めて、沈黙を許せた』
……え、林檎、続投してるの?
でも、何かが違った
以前のような“模倣”の匂いがない
それは、“彼”の体温が通った文章だった。歪で、青くて、甘さと酸味の配分が絶妙に間違っている。でも、それこそが“朔夜の原液”だった
「……少し、苦しいかも。でも、あなたの言葉ね」
私がそう呟くと、朔夜は照れ笑いのような顔で言った
「やっぱり“毒見”は、先輩が一番です」
私はあなたの彼女じゃないし、教師でもない
どうしてそんなに自然に恥ずかしいことを言えるのよ
「毒味じゃなくて、編集者。……いや、批評者として読んでるの」
「でも、批評者って恋人に似てませんか?」
……ほら、またそういうとこ
「“批評”は愛に似てるって太宰が言ってたかしら?」
「いえ、“知里先輩”が言ってた気がします」
それ、いつの言葉よ
私の過去発言、どれだけ熟成させてんの
「……あなた、よくそんな適当なことを信じられるわね」
「はい。でも、信じたい言葉って、時間が経つと本当に信じられる気がするんです」
そう言って笑う彼は、どこまでも無防備で、どこまでも朔夜だった
まるで、私の言葉を冷蔵庫で保管して熟成させた後に、真顔で「これ、美味しいです」って言ってくる人
でも私は、その“味見”ができる最初の一人でいたいと思った
「……じゃあ私は、あなたの“真意”を引き出すソムリエでもあるってことね」
「その例え、ちょっと素敵です」
「ちょっと、じゃなくて完全に素敵でしょ。……私、意外とそういうセンスあるのよ?」
「ああ、だから僕、ずっとあなたの言葉に引っ張られてきたんだ」
また、ずるいことを言う
でも、私はそれを真正面から受け止めた
彼がようやく、“太宰の影”を脱ぎ捨てたから
「……恋人には、なれないわよ」
「はい。でも、批評者にはなってほしいです」
「それって、ずっと隣にいてほしいってことと、どう違うのかしらね」
「全然違いません。むしろ、上位互換です」
私は吹き出しそうになった
こんな言葉、どの恋愛相談にも載ってない
だけど──
「わかったわ。じゃあ、私は“批評者”でいてあげる」
「それ、告白ってことでいいですか?」
「違います」
「でも、たぶん、いつか効いてきます」
……まったく、この人の吸収力には勝てない
そうして私は、彼のとなりに静かに座った
その隣で、彼は今日も書いている
“他人の影”じゃなく、“自分の物語”を
私はそれを読む
読み続ける。それが、私の恋の形だった
以上で、【朔夜くん、それ太宰治のパクリでしょ】の物語はおしまいです
この物語に登場する恋愛心理学の正しい使い方を知りたい方
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↓最後に、第5章のイメージ楽曲をお楽しみ下さい↓
