英語学習にたいそうな目標はいらない
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英語学習のモチベーションというと、外国人と会話するとか、ビジネスシーンで受け答えするとか、たいそうな目標が並ぶことが多いです。ただ僕は、そのようなビッグな目標を持っても意味がないんじゃないか、そもそも目標などいらないのではないかと考えます。今回はこの辺の話をします。
ビッグな目標は現実的ではない
まず思うのですが、「外国人とペラペラ会話する」という目標を立てて、その目標を実現した人は何%くらいいるのでしょうか。たぶん、1%もいないと思います。挫折して、再度挑戦して、また挫折するといった、挫折の無限ループを経験している人も多いはずです。
英語学習の最終目標というと、笑顔の外国人に囲まれながらペラペラと会話する、といういかにもなイメージを連想すると思いますが、そのようなイメージは、目標を高く持って継続的にサービスや商品を利用してほしいという、学習ビジネスが植え付けたイメージでもあります。
ビッグな目標の先にあるのは挫折の未来といっても過言ではありません。自分に期待しすぎると、その期待と現実のギャップにがっかりしてしまいます。
英語学習は、自然言語をひとつ習得するというさっぱりした取り組みです。使える言語の数が n であれば、それを n+1 にするというだけのことであり、「自己啓発」、「キャリアアップ」、「新しい人生」のような、キラキライメージとは分離して考えた方がよいです。
ネットの英語系のコンテンツの中には、なりたい自分をイメージするとか、努力は報われるとか、スピリチュアルな要素が多いように感じています。スピリチュアル要素に惹かれる人がいるからなのだと思いますが、ビッグでキラキラしたイメージを抱くほど、現実とのギャップにげんなりすることになります。
英語習得が結果的にブレイクスルーになることもあるでしょうが、それはあくまでも、別系統であると考えたほうがいいです。英語の習得は英語の習得、自己実現は自己実現であり、両者がギットリと癒着しているようなことはありません。
自己啓発との完全な分離を達成すれば、自分が何をしようとしているのか意識できるようになるはずです。そして、余計なことを排除してはじめてクリアになる「英語技能習得」というのは、さっぱりしたシンプルなものです。
ビッグな目標の達成ではなく成功体験の蓄積
ビッグな目標ではなく、小さな成功体験の蓄積を僕はおすすめします。ポイントは:
期限を設定しない
計画的に進めない
偶然の出会いや脱線を大事にする
ことです。最短最速、もっとも効率的、爆速、爆伸び、一撃といったワーディングでおすすめされるビッグマウス系の情報に踊らされることなく、小さなプラスの成功体験を達成し、それを味わうというやり方を採用するということです。
たとえば、期限を設定してしまうと、役に立たないとされる無駄知識的な内容が目に入らなくなってしまいます。これには、語源知識、諸言語との関係性、言葉のルーツなどがありますが、これらはいずれも、直接的には役に立ちにくいかもしれませんが、面白く、知りたくなるという性格を持つ情報です。
そのような、これまで知らなかったことを知り、「なるほどね」という知識を満たす体験を重ねることが、小さな成功体験の蓄積です。これは、役に立つ、立たないとは関係ありません。
目標ではなく理念
英語学習では将来どうなりたいかという目標ではなく、今にフォーカスした理念、今この瞬間の内発的エネルギーを大事にすべきであると、僕は思います。
目標が、未来に達成する予定のKPIであるのに対して、理念とは、「これをしたい、これをするぞ」という内発的エネルギーのことです。理念は、使命、ミッションという言葉で言い換えることもできます。
「楽しいからやる」や「役に立つのかよくわからないけど、面白いからやる」も立派な理念です。また、上記で説明した小さな成功体験の蓄積を味わうのも理念の追求ですし、立派です。
いずれにせよ、「遠い将来にどうなりたいか」ではなく、「今どういう方向性に進みたいか」を自分の価値観に合わせてクリアにする必要があります。哲学的な話に聞こえるかもしれませんが、「やりたいようにやる、やりたくなければやらない」という至極シンプルな話です。
英語学習をふくむ語学学習は、音楽、芸術、デザインなどのクリエイティブ活動に似ていて、「内発的動機」があるかが死活的に重要です。世間に求められているからやるとか、不安だからやるとか、みんながやっているからやる、のような、外発的動機で語学学習をするとうまくいかないですし、それならやらないほうがましです。
無計画のほうが学習は進む
こと語学学習に関して言えば、無計画で無秩序に進めたほうが、結果的にうまくいきます。文法・発音・語彙のバランスとか、インプットとアウトプットとか、4技能がどうこうとか、ネイティブが云々みたいな、世間が語学ネタではしゃぐときに取り上げられる話題を無視して、自分がよいと思ったものや面白そうと思ったものを、無秩序にあさる方がよいということです。
このように言うと、技能や知識がいびつになる、みたいな反論がとんできそうですが、問題はありません。知識や技能がいびつになればなるほど、とがっていない箇所や領域のコントラストができあがりますから、そこに自然と眼が行って注目するようになります。
また、そもそもバランスや全体像を把握できていないであろう初学者が、英語学習のバランス云々の話をするのは的がずれています。バランスは、「バランスがとれていないな」と感じたとき、また、「バランスをとらないとな」と感じ始めたときに調整するので問題ありません。
学習は、直列で進む線ではなく、有機的に、ニューロンのように絡み合う立体であると考えた方がよいと思います。一筆書きの経路がありそれをなぞって「ゴール」を目指すのではなく、有機的なつながりを探検し、その探索の旅路を「ぬるっと」全体に広げていくイメージです。英語学習は立体的な要素が強く、偶然や運によって学習の経路がコロコロと変化する性質を持っています。ランダムウォークであり、自分でコントロールしない要素で学習経路が決まると言ってもいいと思います。
中学や高校などの学校に指導計画があり、英語の授業が直線的に進むのは事実ですが、これには、40人くらいの理解度がさまざまな生徒に同時に教えるという、学校ならではの都合がからみます。個人がひとりで語学を学ぶのであれば、王道とされるものをひとつずつ丁寧にやる必要はありません。
「知ってはいけないこと」なんてある?
基礎が完璧になってからじゃないと上級レベルに進んではいけない、そうしないといびつになる、という強迫じみた言説も聞いたことがありますが、ある領域にある知識を完璧に把握するまで、別の領域にある知識を知ってはいけない、なんてことはありません。
仮に、何か別の知識を参照しないとうまく理解できない内容の話があったとしても、その時点で知っている範囲をベースにして、可能な限りの理解を達成すればいいだけです。何も、最初から人に教えられるレベルで知る必要はありません。目に入ったものすべてをとらえて吸収し、そこから自分の頭で思考して、仮説や知見を練り上げるアプローチを採用すべきです。
当初の理解が不十分だったり、おかしくなったとしても、後から修正できます。なんとなくで至った仮説の設定から修正までの流れをこなしていくと、だんだんと初期仮説の精度やセンスも上がってくるので、仮説思考はポジティブフィードバックとして機能します。
「基礎をきっちり固めてから実践する」のような極端に直列なアプローチの場合、その「固めてから」から脱出するタイミングが永遠にやってきません。「基礎固め」を何年、何十年もやり続けて、なにも英語を使うことなく語学学習人生が終了してしまったら笑えないですよね。自分を蟻地獄にはめるようなことは、しないほうがいいです。
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