語学学習を無計画にやることの意味
僕はよく、「語学学習に計画はいらない、自由にわがままに、気分でやったほうがいい」というメッセージを出しています:
今回は、「計画はいらない」という話に別の切り口を与える目的のもとで、ものごとの計画や管理をしたほうがいい局面とそうではない局面を対比して説明してみたいと思います。
計画と実現可能性
なにかの計画をするさいは、その計画の実現可能性(フィージビリティ)を吟味して、それがものになるかを検討してからゴーサインを出すのがふつうです。「目論見のとおりになりそうかを手を付ける前に検討する」といってもよいと思います。
さて、「英語学習で英語ができるようになったあとに、また英語学習を計画して同じことをする」人はいませんよね。英語学習を計画的にすすめようとする人は、まだ英語ができていないから計画をしようとするわけなのですが、ここに疑問があります。
それは、「英語をできるようになるかについてのフィージビリティに関して、考えていますか」ということです。計画する前にはフィージビリティについて考えることが必須なのですが、それをしていますか、ということです。
たとえば、英語学習の計画ではなく、いつのまにか作業計画を作ってしまうことがあります。作業計画とは、「毎日英語アプリを○○分やる」のような、作業そのものをどのように進めるかの計画のことなのですが、これは手段の目的化です。作業の管理や計画であればそれを実現できる可能性が高い(=フィージビリティが高い)ため、フォーカスがそちらにドリフトするのだと思います。
「オンライン英会話を始めます!」のように、作業の宣言をする人はnoteにもいますが、それを見る人からすれば、「はあ、そうですか」以上の感想はでてきません。ひとが何を言うかややるかについては当然 up to them なのですが、やはり、「手段が目的化しちゃってるな」という印象があります。
どうにかして、なんとかする
「英語学習を計画できる」と最初から思っている時点で、だいぶ自己を過大評価しているのではというのが、僕の考察です。計画と言うのはキレイで魅力的なのですが、そのぶん、ものにするのは難しいです。
語学学習には抽象的で説明不可能な要素があります。たとえば、日本語で「出たり入ったりする」という場合は、内から外に出る言葉が先に来ますが、英語の場合、"in and out of" のように、外から内に入る言葉が前に来ます。そして、なぜそのようになるのですか、という問いにびしっと答えることはできず、「英語話者にとってはそっちがしっくりくるんだと思う」くらいの、ふわふわした説明しか与えられません。
そして、そのようなロジカルに合点できない部分があるからそれを理解することをあきらめる、とはならないこともまた事実ですよね。「語学の知識体系のうち、合理的説明だけで理解できる範囲に絞ること」をしているのが学校英語なのですが、それだけやることは、英語の知識体系に近づく手段としては不十分です。
要するに、「うまく説明できないし、よくわからないこと」があるという事実と、「それでもなんとかしなかればいけない」という語学学習の要請を両方立てるために、「どうにかして、なんとかする」というアプローチを採用する必要があるということです。
現実を直視してうまくやっていくためには、まず最初に現実を見に行く必要があります。「現実を見に行くこと」は語学学習の最低限の要件であるといえるのですが、「キレイな答えがある場所」で永遠に足踏みしてばかりで、現実を見るという最低限の仕事ができていない人は、多いのではないでしょうか。
管理は増えすぎた時にやる
じゃあ、いつ管理や計画をすればいいかという話になるのですが、それは、「手に負えなくなったとき」です。こと語学学習に関して言えばですが、管理や計画とは増えすぎたときにはじめて手をつけるものであり、また、「管理しないとなあ」という感情が湧いてきたときにはじめてやるものです。
バックヤードの倉庫で在庫がすっからかんのきれいな状態になっているとして、「ヤバいな、管理しないとな」という心理になる人はいないです。「管理しないとヤバいな」という心理にいたる状況というのは、在庫過剰、供給過剰で手を付けられないほどになにかが増殖、増大してしまったときです。
バランスを意識すべきタイミングというのは、「もうどうしようもないくらいに増えすぎてしまった」ときです。英語学習するかしないかで足踏みしているような、目の前にまだ何もつくっていないようなクリーンな段階でバランスを意識するのは、ちょっとおかしいなと感じます。
事実確認>疑問>仮説設定・検証のサイクルをブンブンと回すことで、効果的に楽しく語学学習を行えるのですが、これには「中毒性」があります。なにせ、疑問が解消されればされるほど新たな疑問が指数関数的に湧いてくるのですから、学習が加速する一方でブレーキがまったくかからないからです。管理や計画は、そのようなタイミングで機能します。
計画したくなる心理の背景
最後にここで、「語学学習を計画したがる心理の背景」についてもすこし触れておきます。
計画というのは、プロジェクトのフィージビリティを事前に評価して、その後にそれを実際にものにするための取り組みを行うこと、であるという話はすでにしました。そして、それを英語学習でやるのはいささかミスマッチである話もしました。
にもかかわらず英語学習を計画したい、したくなる人がいるわけですが、それはなぜだと思いますか。これは僕の説になるのですが、「不安から逃れたいから」がその解になります。
これはべつに学習の文脈に限った話ではないですが、「この指示に従い、このようにしてください」とマニュアルかなにかで言われるのと、「どうぞ好き勝手にやってください」と放置されるのとで、人を不安にさせるのは後者のほうです。アレコレ指図されることを嫌う人ももちろんいますが、それと同時に、「指示にさえ従っていればよい」という状況に安心する人もいます。
自由は孤独であるといいます。好き勝手やってくださいと言われるほど不安になるという心理、何をすればいいのかわからないという心理が「計画」という安心材料にはけ口を求めるのでは、というのが僕の考察です。「このようにすれば安心」という仕組みがないから、「これをして安心したい」という作業計画らしきものをつくってしまう、ということです。
孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならない。
なぜなら、孤独でいるときにのみ人間は自由なのだから。
さいごに
「どうにかして、なんとかする」とうアプローチとキレイに計画してすすめるアプローチのふたつがあるとしたら、順番的には前者が先に来ます。学習を手探りで進めて、気が付いたら手が負えないほどに増殖してしまったから、「しゃあない、計画するか」という感じで管理の手が入ってくるということです。
僕の主張は、計画とは違うモードである、「どうにかして、なんとかする」というモードを最初につかうべきということで、この主張は、僕がよく言っている、一次情報を重視してカオスな現実を見つめよう、とか、わからないなりに仮説思考でなんとかしていこう、といった話に合流します。
ここをクリックすると記事の内容をYouTubeで視聴できます>
自由に主体的にすすめる語学学習のヒントについては、僕のKindle本、「外国語を学ぶ態度」でも触れています。学校に束縛される必要のない大人の語学学習者こそ、勝手に、気ままに、わがままに学習していった方がいい、という話をしています。語学学習の「考え方」を改めてみたい人におすすめです:
「計画すること」の意味について話をするPodcastエピソードも用意しています。Lion君との共同ホストです。ながら聴きでどうぞ:
▼この記事を書いた人▼
そっちゃそ
フリーランス英日翻訳者。本業で培った知識や経験をもとに、発音指導をはじめとした語学指導もやっています。noteは、僕の思想や考えをひろく公開するために使用しています。僕の思想や考え方については、考察と思想哲学のマガジンにまとめているのでこちらをぜひご覧ください。詳しいプロフィールはこちらから。


主な著作:「自分の意見を言うことは『役に立つ』」、「外国語を学習すると決めたときに読む本」、「英語発音学習の第一歩」。既刊一覧はこちらから。
さいごに
「発音学習の底力」を体験してみませんか。英語力は、発音学習だけでも伸ばせます。学習に新しい風を入れたい方、ネットでこれ以上学習法をあさるのはしんどいと感じる方は、ぜひ以下のページをのぞいていってみてください:
語学学習を総合的にトータルサポートしてほしい、痒い所に手が届くサポートがほしいという方には、「そっちゃそ英語コーチング」がオススメです:
