語学学習で「現実」を見るのは必須の要件
「現実の問題を解決するには現実を直視して、これを正しく認識しなければならない」という当然の事実があります。今回は、「現実を見ることが問題解決の最低要件である」というその話に関連して、「だれかに恣意的に捻じ曲げられたものではない、ありのままの英語それそのものを見ることが英語力アップの最低要件である」という話をしてみたいと思います。
自分の英語を見る
まず、英語を使ったことがないのに英語を使えるようになった人は世の中にいませんよね。英語を使えるようになった人は、英語を使い始めてから、それ以降に改善や修正を積み重ねて英語力を洗練させていったわけです。スターバックスの店員で流ちょうな英語を使う人はいますが、なぜ英語を使えるかと言うと、店舗で英語を使い続けてきたからですよね。

平たく言うと、英語をまず使う→英語をいい感じに使えるようになる、という順番です。そして、この矢印で書いた箇所に相当するのが、今回説明したい、「自分が英語をつかっている姿を確認する」になります。
何もない状況から何か言うよりも、たたき台が目の前に見えている場合の方がつっこみや意見を入れやすくなることは知られていますし、多くの人が経験しているはずです。これは、マクドナルド理論という言葉でよく説明される話で、ツッコミどころのある素案をわざと出すことで、議論を活発にできるちょっとしたテクニックです。
さて、語学学習の「素案」というのは、「自分が英語を使っているすがたそのもの」になります。つまり、自分が英語を使っているすがたを自分で見て、そこに突っ込みを入れていくのが英語学習の大きなすがたになるのですが、これ、やってない人が多いのではないでしょうか。
冒頭で、問題を解決するためにはかならず現実を把握する必要があると触れましたが、自分が英語をつかっているすがたを確認せずに、自分の英語の技能を磨いていくことは不可能です。自分の英語を自分で見るのは恥ずかしいと感じるかもしれませんが、ここまでで触れてきた話からもわかるように、それはかならず通らなければならない道です。
自分が英語をつかっているそのタイミングで自分の英語を観察できませんから、録画や録音などの手段を用いて、「使用」と「確認」の操作は分離する必要がありますが、これは難しいことではありません。誰もが24時間、手元にスマホを持っているはずですから、自分の英語を録画したり録音したりする技術的ハードルはゼロに近いはずです。

自分が英語をつかうすがたそのものを見て技能の習熟度をはかるモードではなく、TOEICや英検の類で自分の英語力を確認するモードもありますが、TOEICや英検の結果が書かれた紙切れは一次情報ではないですよね。スコアや級というのは自分の語学力から誘導された情報であり、それは、技能そのものではありません。誘導された情報は大局観を得るとか、全体を把握するとかの場合には便利ですが、それは、事実というよりも分析や解析の結果に近い性質(二次情報)を帯びています。
また、ここまでの話からわかるように、やるべきことは2つです:
自分で英語を使って記録する
記録した英語を自分で見る
これができていますか、と質問されたらどうでしょう。おそらくですけど、1も2もまったくできていませんでした、という方が多数派なのではないでしょうか。1も2も、ここまでで説明したようにそれは「必要条件」なわけですから、それをしていないのであればだいぶ hopeless になってしまいます。
よく、中学高校で英語をウン百時間学習したのになにもできない、みたいなことが言われますが、それは当然で、というのも、上記のふたつのことを中学と高校ではほとんどやらないからです。「英語をつかったことがないのに英語をつかえるようになった人は世の中いない」という事実を冒頭で確認しましたが、「中高で英語をほとんど使ってないのだから、使えなくて当然」になります。ウン百時間だろうがウン千時間だろうが話は同じです。
いびつなネイティブ信仰
ここから少し話の角度を変えますが、「ネイティブ信仰」もそうです。
世間では、「ネイティブ発音を100%聞き取ることがリスニング学習のすべてである」かのように語られることが多いです。Instagramストーリーズ広告などで挟み込まれる英語系商材の広告では、「ネイティブ発音を余すことなく聞き取る!!」とか、「ネイティブに負けない英語!!」みたいに、ネイティブに追いつけ追い越せの勢いでしがみつくことが英語学習のすべてであるかのように語られており、ネイティブがこの世のすべてであるみたいな世間の過度な雰囲気を感じることは容易です。
僕はそのような、英語系マーケティング側が出す過度なメッセージが嫌いなのですが、何が嫌かと言うと、ノンネイティブスピーカーがまるでこの世に存在しないかのように話が進んでいること、ノンネイティブ話者の存在が「なかったこと」として扱われていることです。ノンネイティブスピーカーは当然地球上にうじゃうじゃいるのですが、それを見なかったことにするのも、「現実をただしく把握する」という仕事をできていないことになりますし、また、「チェリーピッキング」になります。
世の中の英語話者の8割弱はノンネイティブスピーカーであり、これは事実です。「ネイティブ発音を100%聞き取れる」ようにしても、のこりの8割の人たちはネイティブスピーカーとは異なる話し方をするわけですから、ネイティブスピーカーに適応することは、多数派のノンネイティブスピーカーに適応することと重なりません。
ノンネイティブが8割弱という事実が、英語系商材のマーケティングの功罪(?)のためにそうとう捻じ曲げられた形で認識されてしまっていることを上記で確認したのですが、それは次のような認識のずれです。
世間の認識:
英語話者はネイティブしかいない
ネイティブの発音を聞き取れるようになればおっけー
事実:
英語話者の8割弱はノンネイティブ
多種多様なアクセントへの対応を強いられる
世間の認識と事実を並べて確認するとすぐにわかることですが、問題の認識が大きくズレているため、英語を聞き取るとか英語を伝えるとかなどの実践的な問題に取り組む際に、まず何を検討するかが変わってきます。
世間の認識はある意味でラクです。天から降ってくる「ネイティブ」という唯一無二の正解に従えという流れであり、シンプルです。実際にそれができるかどうかの話は別として、何をすると褒められるかはクリアです。このことは中学や高校などの学校環境に似ていて、「その人がテストでいい点をじっさいにとれるかどうかは別として、いい点をとることがよいことである」という認識が生徒のなかで醸成されている状態に似ています。「正解がある場合に人は迷うことはなくなる」という同じ話は、僕の過去記事やKindle本でもしています:
対して、世の中のじっさいの景色はそのようにシンプルではなく多種多様で、いろんな個性を持つ人がいます。この事実に対応するのは難しく、多種多様な現象をつぶさに観察し、つねに頭を使い考えながら問題に対処していく必要があります。「テストでいい点数を取れば褒められる」のような、シンプルな景色はここにはありません。
世の中ノンネイティブがうじゃうじゃいるのに、それを「存在しないもの」として扱い、「ネイティブがすべて」のような論調を出すのは、ネイティブに恋焦がれ憧れてほしいという、マーケティング側の意図があるのですが、それに加え、ネイティブを正解に据えるシンプルなやり方の方が人々に刺さりやすい、というのもあると僕は考えています。
ただ、繰り返しになりますが、問題を解決するには、まず現実を把握する必要があります。世の中個性豊かな人たちがたくさんいるという事実をおさえることは、現実の問題や課題に対処し、それをよくしていくための最低要件です。
説明してみる
人間は、スムーズに理解できることを「正しい」、「信頼できる」とみなす傾向があるらしく、そのように摂取しやすい性質のことを処理流暢性といいます。「ネイティブは正しい」のような紋切型の理解も、「そのように理解すると負担なくラク」であるため、多くの人がネイティブメロメロな状態に着地します。
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