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【語学学習】インプットの質を上げよう

まったくの虚無から語学学習することは不可能であり、語学学習で何かしらのインプットを仕入れることは必須です。インプットゼロで語学学習ができるひとは、まずいないと思います。

そして必然的に、語学学習で何をインプットすべきかという論点が大事になるのですが、今回はこの「良いインプット」についての僕の考察を説明します。

インプットの質とは

僕は、インプットの質を以下の性質で評価しています:

  1. 面白いこと

  2. 一次情報に近いこと

  3. 記憶に残ること

面白い=見てて楽しい、苦痛じゃない、いくらでも摂取できる、と言い換えても良いと思います。面白いということは、その人の価値基準とそれなりに足並みがそろっているということであり、内発的動機に基づいてインプットを進められるようになります。

また、面白いかどうかは人それぞれであるため、必然的に、インプットが良質かどうかの判断基準はユニークではなく、「その人の価値観による」と説明できます。

たとえば、世間ではTEDやスティーブ・ジョブズのスピーチなど、高尚で素晴らしい題材を学習素材にすることが推奨されているような気がしますが、僕は、そのような「高尚ですばらしい」インプット素材を必ずしも使用しなくてもよいと考えています。

お堅いスピーチが好きになれない人というのは一定数存在します。その人たちが無理してスピーチを視聴する必要はなく、面白くなければ、摂取しなくても良いと思います。

※身もふたもないことを言いますが、英語を摂取すること自体が面白くないと感じるのであれば、英語学習そのものをやめてもいいと思います。上記の説明とまったく同じ理由で、「面白くないもの」を無理して摂取する必要はありません。

一次情報に近い、というのは、他の誰かの手があまり加わっていない情報であるという意味です。人の手が加わった情報を二次情報といい、そのような情報にさらに別の誰かの手が加わった情報を三次情報といいます。

なぜ一次情報に近いほど良いかというと、一次情報には自分で考察を練り上げる余地が十分に残されているからです。考察で得られる知見や仮説は別の新しい疑問や課題につながるものであり、良質な語学学習の果実(アウトプット)につながります。

たとえば、学習参考書や教材(=二次情報)ばかり摂取していると、その参考書の著者が言っていることを一生懸命理解して覚える、という作業に収束してしまい、結果的に、その著者の価値観や知見のコピペになってしまいます。上記で説明したような、疑問が疑問を呼ぶ指数関数的な成長は、参考書のような二次情報の摂取を主軸とする学習では、あまり期待できません。

すごそうな人が書いた書籍で言われていることと、現実(一次情報)の景色がぜんぜんちがう、なんてことは往々にしてあります。語学学習の権威主義はものごとをまったく前進させませんから、やめたほうがいはずです。これは別の記事でも説明していますが、「すごそうなこと、過激なことを言う」方向に流れるシステムの都合があるため、「カリスマっぽい人ほど変なことを言う傾向が強い」という結果になります(すでにネット上で、そんな傾向を感じている方もいるはずです)。

参考書は「参考にする書」です。僕は参考書の類を一概に否定したいわけではないのですが、やはり、一次情報の横に沿えるポジションであるということは、強調したいです。

一次情報は自分の身を守る盾にもなる

また、一次情報というのはまぎれもない事実であるため、それそのもの自体についてはあってる間違っているの心配をする必要がまったくありません。間違っているかもしれないという心配をする必要がなく、仮に誰かにいちゃもんをつけられたとしても、「みんながそう言っているからそうだ」と、自分がおさえた事実をベースにしてディフェンスできます。これは、とてもうれしいことです。

というのもたとえば、ネット、特に、X(Twitter)の英語学習界隈は毎日殺伐としていて、英語アカウント同士の殴り合いが毎日発生しています。その内容は、お互いの主張があっている間違っているという言い争いであり、正直心底しょうもないです。

英語アカウントをフォローして英語学習をしようとしている人はそのような英語アカウント同士のバトルを嫌でも目にすることになるのですが、上述した、「一次情報を見に行ってそこをおさえた」という事実があれば、ネット上の英語学習界隈のノイズに惑わされることがなくなり、精神的に疲弊することが減ります。これは、「一次情報を盾にして身を守り、自分のリソースを無駄に消費させない」と言い換えることもできると思います。永遠に終わりの見えない「ネット上での学習法探し・正解探しの徒労」は、一次情報で対策できます。

価値は後からわかる

今日何かインプットして、そのインプットが明日からすぐに活きる、というケースはめったにありません。誰もが経験する学校の勉強が典型的ですが、学校の教室で習うことの意味や価値がはじめて見出されるのが、その数十年後である、というものザラだと思います。

ご自身のことを振り返ってもらえば納得のいく話だと思います。「あのときは何だかよくわらなかったけど、今になるとよくわかる、なるほどなあ」という感覚が、数十年スパンのタイムラグでやってきたことがある人も多いはずです。

つまり、「これはすごい価値のあることだ、よし手に入れよう」とか、「これをやる意味はまったくないな、よし、やめよう」といったように、それを経験することで得られる価値や意義をあらかじめ評価して、その評価に基づき何をするか、何の情報を仕入れるか選択するという合理的なアプローチは難しいアプローチであるということです。

すぐに役に立つ情報はすぐに役に立たなくなる、といいます。一次情報であることに加え、「面白いこと」をよいインプットのひとつの基準にしているのはこれに関連していて、ものごとを面白いと思えるという感覚の延長線上、ずっとその先にある何かに、価値や意味を見出せるというのはあるからです。「世間的に役立つとされる情報はよいインプットではない」といえるかもしれません。

記憶に残らないインプットは無価値

さて、3つ目の「記憶に残るインプット」についてなのですが、これは、一次情報に近くて面白い、という性質とある程度相関するというか、重なります。面白い、だから記憶に残った、というのはよくあることですし、冒頭で触れたリストの上ふたつを目指せば、結果的に「記憶に残るインプット」は達成できます。

記憶に残る、という結果は複数の複合的要因の結果であり:

  • その経験が面白かった

  • その経験をいままで体験したことがなかった

  • 経験やプロセス、ビジュアルなどが美しかった

といった諸要素が絡み合っています。そして多くの場合で、「記憶に残る」という感覚は、何かしらのプラスが含蓄されているインディケーションになります。

逆に、「記憶に残らないインプットは無価値」ということもいえます。記憶に残らないことは無価値だからやらないと、バッサリ断捨離してもよいということであり、これは徒労の回避に役立ちます。

たとえば、昨日見たショート動画の内容を覚えていますか。「まったく覚えていない」とか、「ショート動画を見たかどうかも覚えていない」という人も多いと思いますが、それは、「ショート動画を今後一切見ない」という判断の合理的な理由になります。ショート動画は「無価値なインプット」の代表ですが、似たような性格を持つインプットは他にもあるはずですし、それは断捨離の対象になります。

すこし視点を変えますが、「忘れる」という結果はよいことです。ロングセラー本の「思考の整理学」でも言われていることなのですが、価値の区別・判断が終了した結果として頭の中から情報が消えたこと、それ自体は良好なことです。

忘れられるのは、さほど価値のないことがらである。すくなくとも、本人が心の奥深いところでそう考えているものは忘れるともなく忘れる。いかに些細なことでも、興味、関心のあることは決して忘れたりはしない。忘れるとは、この価値の区別、判断である。

思考の整理学

「昨日見たショート動画の内容を覚えていますか」という質問をなぜここでしたのかというと、「そのショート動画に価値がないと判断されたプロセス」を感じてほしかったからです。記憶に残らないインプットは無価値であると断言できるのはそのためで、ものの数秒、数分で内容を忘れることもザラであるショート動画であればなおさらです。

浅いインプットの注意点

情報には広さと深さというふたつの性質があるのですが、当然、インプットでも同じことが言えます。インプットには、「広さをさぐるインプット」と「深さをさぐるインプット」があり、それぞれに特徴があります。

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