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考えることと隙間時間は相性がよい

※この記事の内容を解説する音声コンテンツも用意しています。音声派やながら聞き派の方はこちらをどうぞ:

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時間管理術的な話題は今も昔も人気で、ビジネス書籍の一ジャンルになるくらい多くの人が関心を寄せています。それくらい、「時間が足りない」とか、「時間を無駄にしたくない」という意識を持つ人が多いのでしょう。

ただ、多くの人がすでに実感していると思うのですが、時間術系の本とかで言われている時間活用術を「ほいほ~い」と簡単に実践できている人はあまりいません。どのようにすればいいかわかっていて、「おお、言われてみればできそう」ということは多くの人が納得しているはずなのですが、実際に時間をじょうずに使うことができている人はあまりいないはずです。

そこで今回の記事では、「スキマ時間」と「まとまった時間」という二つの時間に特に着目して、それぞれをどのように使っていけばよさそうかという考察をすすめます。僕の意見は、「スキマ時間に考えることをもってこよう」というものなのですが、これをひとつの提案としてご紹介したいと思います。

前提:人は長時間考えることができない

今回の話でまずクリアにしておきたいことのひとつに、「人間はそもそも長時間思考できない」というものがあります。「一週間考えた結果、このようにすることにしました」みたいな意思決定のモードはかたいシーンでよく目にしますが、「人間は長時間考えることができない」という前提に立脚するのであれば、それは単なる「うそ」であるということになります。

「ちょっと考えさせてください」みたいな話がかたいシーンで出てくる理由には、形式的あるいは儀式的なものがあると僕は考えます。そのような言葉は、「ああ、ちゃんとよく考えてくれたんだなあ」みたいな、よい印象を相手に与えることができる気がしますし、なんだか「がんばった感」もあります。

ただ、人々がほんとうに求めているのは、「よい印象」でも「頑張った感」でもなく、「自分がほしいと思っている成果」ですよね。有名な本「イシューからはじめよ」でも言われていることで、長時間考える(ふりをする)というアクションは、悩むことと同じであり、非生産的で意味ののない「悩む」というアクションは止めた方がいい、とあります:

「君たちの賢い頭で10分以上真剣に考えて埒が明かないのであれば、そのことについて考えることは一度止めたほうがいい。それはもう悩んでしまっている可能性が高い」というわけだ。

イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」

「ちょっと考えさせてください」というワーディングは、「いまから考えるふりをするので、がんばったことにさせてください」と言っているのと同じです。

とすると、「考える」という短時間でしかできない仕事は、24時間の間に細切れにある隙間時間にいい感じに差し込むことができるし、それは理にかなっていると思いませんか。この、「考えるというアクションがスキマ時間に自然に入り込むようにいろいろ工夫したり、仕組みをつくったりすること」が今回の記事の以降の話の大筋になります。

アイデアは質、作業は量

ところで、トーマス・エジソンの「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」という言葉は有名ですが、これにはふたつの解釈があります:

  • 努力は大事だぞ

  • ひらめきがないと99%の努力は無駄になるぞ

現代では後者の解釈のほうが優勢らしく、「努力が大事!」というのは世間が勝手に美談に仕立て上げた結果そうなってしまったとされています。

さて、「ひらめきがないと99%の努力は無駄になるぞ」というエジソンの本来の意図を加味すると、「考えることをしないとまとまった時間に何をしても無駄になるぞ」といえませか。この話はすでにした、「人は短時間しか考えることができない、だから隙間時間で考えた方がいい」という話とも噛み合っていて、隙間時間に考えるアクションを持ってくるほど、99%の努力に類する活動が意味を帯びてくるようになるからです。

たとえば僕は、英語学習の話でもよくある「質か量か論争」が不毛な対立で、心底どうでもいいと感じているのですが、その理由のひとつに今回触れた、「質を担保しないとその後何をやっても無駄になるから」という話があります。浅くてお手軽なノウハウはどこまで行っても浅いままなのですが、これは、「なにがエッセンスなのか」という丁寧な考察をさぼった結果そのツケが回ってきた、とも解釈できます。

隙間時間を隙間で埋める

「『考える』という仕事を積極的にスキマ時間に回した方がいいし、それをすると99%の努力に類する活動の質が上がる」というのが話の趣旨です。「スキマ時間で積極的に考えることをして、まとまった時間に備える」と言い換えてもいいと思います。

さて、考えるという活動を発想ひらめきと言い換えてもよいはずですが、発想やひらめきというのは突然降ってくるものなので、「発想やひらめきをする」というタスクを設定して、ToDoのようにこなすことはできません。すでに触れましたが、それをやろうとしてウンウンと長時間うなる、考えるふりをするのは無益な「悩む」というモードであり、これは考える活動とは区別されます。

また、なにかを考えるためには問題、すなわち「論点」が必要になるのですが、これは手軽に手に入るものではありません。よい論点というのはすぐに手に入るものではなく、「課題設定能力」というスキルを駆使してその人がうまく見つける必要があるのですが、今日なにかしたらすぐにうまい論点がみつかる、というわけでももちろんありません。

このように、考えるという活動は運や偶然に支配される活動であるといえるのですが、ランダムな活動であるとしてもそれなりに乗りこなすことは可能で、「大数の法則」を使っていけばうまくいきます。数を重ねるほど確率で予想される結果と現実の結果が似たものになっていく、というのが大数の法則なのですが、これを今回の話に当てはめるなら、「アイデアを芽吹かせるための土壌をはじめに仕込んで、あとは運にまかせる」になります。

たとえば、お風呂でアイデアが出る人はいますよね。アイデアが出やすいお風呂に似た環境をあらかじめ多く仕込み、その状況をスキマ時間に散らしていく、という姿勢でやっていくのがよいと僕は感じているのですが、この、「土壌つくり」は人為的、計画的にできます。

そのような土壌づくりで役に立つことのひとつが、「スキマ時間をスキマで埋める」ことです。考えるというToDoタスクを設定してこれを隙間時間でやることはできない、と述べましたが、「何もしない」というタスクは人間の意思でできますし、その管理もできます。

スマホを持たないで散歩に出かけるとか、ちょっと遠回りして目的地にいくとか、そのような「無意味なゆとり」は考える仕事の土壌として十分機能します。Dan Pinkのわりと有名なTEDトーク、「The puzzle of motivation」でも説明されている「ろうそく問題」でも示唆されたことですが、成果を出すことを動機付けされるほどパフォーマンスが「悪くなる」のがふつうですから、「隙間時間にゆとりを詰める」というのは筋のいい試みなんじゃないかなと、僕は感じています。

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