世界の裂け目が開く時 ー第4話 我々は、敗北した 【創作大賞2026】|ファンタジー部門
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ところ変わって——東京都千代田区。永田町、霞が関。
三浦は車を走らせていた。
静かだった。
あまりにも、静かすぎる。
平日。本来なら、人の流れが途切れることはない時間帯。
だが——誰もいない。
信号は動いている。車線は開いている。だが、走っているのは自分だけだ。
いつも騒いでいる連中も、警察も、スーツ姿の人間も——いない。
「……なんだよ、これ」
声が、やけに響く。
街は機能している。だが、人間だけが抜け落ちている。
違和感が、じわりと広がる。
視線を動かす。
その瞬間。
建物が——消えていた。
崩れたわけじゃない。壊れたわけでもない。
ただ、そこにあったはずのものが——最初から存在しなかったかのように、消えている。
一つ。
また一つ。
音もなく。
「おい……待て」
理解が、追いつかない。
いや——追いつこうとする思考そのものが、削られていく。
違和感。
それだけが残る。
そして——それすらも、薄れていく。
気づけば。
三浦だけが、残されていた。
そして。
何も、なかった。
さっきまで街があったはずの場所。
ビルも、道路も、信号も。
その痕跡すら、残っていない。
ただ——風が、草を揺らしている。
田園風景。
見渡す限りの緑と、土の匂い。
遠くに、低い屋根の家屋が並ぶ。
古い。
だが、それが"本来の姿"であるかのように、静かに在る。
ここは——東京だったはずだ。
日本の中心。
だが今は、まるで展示されたかのような過去の光景。
江戸より、さらに前。
記録の中でしか見たことのない、時代の景色。
それが——最初から、こうだったかのように在る。
「……違う」
言葉にする。
それだけで、崩れそうになる。
一歩、踏み出す。
足元の感触が変わる。
アスファルトではない。
土だ。
その瞬間。
三浦の輪郭が、揺れる。
存在が、薄れる。
風景に、溶ける。
抗えない。
そして——
最初から、彼はそこにいなかった。
ルーカスは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ふう」
龍園朔へ戻る。
それは特別な行為じゃない。ただ、意識を現実に持ってくるだけだ。だが、それを"意識しなければならない"時点で——もう普通ではない。
少女を抱えている。軽い。だが、確かに重みがある。体温が腕に残る。ここにいる、という証明のように。
ヘリを待っている。空中で。
足場はない。だが、落ちることもない。それを疑うことすら、今はない。
"認識"。
この能力が無ければ——いや、不自然に湧いてくるこの感覚が無ければ、俺はとっくに死んでいる。
海に落ちて、もがいて、何もできずに沈んで。それで終わっていたはずだ。
ここに来てから。三浦に発見されるまで。文明というものを、見たことがなかった。
だからこそ、あのときの光景は妙に焼き付いている。
「……」
思い出す。
アイツの顔。
あのときの視線。
背筋が、冷える。
何かが鳴った。
音だったのかも分からない。
だが、確かに"鳴った"。
軋むような、歪むような。
世界そのものが音を立てたような感覚。
日本の中枢。
人が集まり、情報が集中する場所。
だからこそ、分かった。
違和感が、濃すぎた。
何かが消えた。
ただ消えたわけじゃない。
分散した。
意味もなく散らされたように。
そして——知り合いが、一人、消えた。
「……」
理解はできない。
だが、感覚だけが残る。
あれは偶然じゃない。
まるで、誰かがこちらを見ていたかのように。
そして——"それ"が、笑った気がした。
そんな気配だけが残っている。
風が揺れる。 ヘリの音が近づいてくる。
現実が、戻ってくる。
神崎の顔は、こわばっていた。
敵は終わっている。
何もなくなったように見える。
だが——本当にそうなのかは、誰も分かっていない。
神崎が、無線を受ける。
短く聞き、切る。
一拍。
「……報告」
淡々と。
「霞が関、消滅しました」
それだけだった。
……報告を聞く。
霞が関が書き換えられ、"三浦"という存在が抹消された。
およそ二十八万二千人が、歴史から消えたのだという。
その数字を頭の中でなぞろうとして、途中でやめる。
追おうとした瞬間、現実の手触りが薄くなる。
重さが、ついてこない。
意味がない、というより——意味を持たせられない。
今朝、厳島が消えたばかりだというのに、まるでそれを嘲笑うかのように、世界の消失は加速している。
おかしい。
そう断じたはずの言葉が、すぐに足場を失う。
何が、どこが、おかしいのか。
輪郭を掴もうとするたび、指先の感覚が空を切る。
だが、その"掴めなさ"だけは、妙に鮮明に残る。
……今、俺が抱えている少女に視線を落とす。
改めて見る。
白い肌は、血の気がないわけでも、冷えているわけでもない。
触れている腕には確かな温もりがあって、それが現実だと主張してくる。
それなのに、見た印象だけが一歩遅れてついてくる。
同じはずの像が、わずかに揺れる。
固定しようとすると、ほんの少しだけズレる。
衣装はどこか聖母を思わせるような形で、俺がこの世界に来た時と、まったく同じ。
布のはずなのに、質感の確かさが薄い。
ある、と理解できるのに、"どう在るのか"が曖昧だ。
髪は褐色がかった柔らかな黄色で、落ち着いた色合いをしているはずなのに、光の当たり方で印象が微妙に変わる。
体型は整っている。
身長は、およそ一五五センチほどだろうかと、自然に測れてしまう。
その"測れてしまう感じ"だけが、逆に現実を強くして、違和感を際立たせる。
「……あまり見ないほうがいい」
神崎の声が、不意に割り込んでくる。
「その……色々、透けているからな」
視線を上げると、神崎の顔がわずかに赤い。
……なるほど、と理解する。
服は着ている。
だが、"着ているだけ"で、現実の基準に合っていない。
透けている、という事実よりも、"その状態を当然として受け入れてしまっている自分"の方が気にかかる。
違和感はある。
あるはずなのに、強く引っかからない。
そこで、ふと既視感が差し込む。
……そういえば、俺もここに来た時は真っ裸だったはずだと、ぼんやりと思い出す。
海に落ちて、溺れて、意識が途切れかけて——
そこから先。
誰かに、服を渡された。
船の中にあった予備の服を、着せられたような気がする。
その場面は、確かにある。
だが——
その"誰か"の部分だけが、空白になっている。
「……」
思い出そうとする。
確かに、そこにあったはずの輪郭に触れる。
だが、触れた瞬間に崩れる。
名前に辿り着く直前で、言葉がほどける。
顔を思い浮かべようとした途端、像がにじむ。
消えている。
最初から無かったかのように。
……報告の中で、確かに何かが引っかかっていたはずなのに。
それすら、もう掴めない。
掴めないまま、"問題ない"と判断している自分がいる。
「……急ぎ帰還」
神崎の声が続く。
「幸い、アメリカ軍が近くのショッピングモールで服を調達してくれるらしい」
一拍置いて、苦く笑う。
「……デイヴィットが言っていた」
神崎が、視線を落としたまま口を開く。
一拍。
「目の前の事に集中した結果、ルーカスの予想していた"最悪"が実現した……と」
言葉を選ぶように、間を置く。
「……俺達は、敵に思考を読み取られていた。その隙を突かれた」
短く、息を吐く。
「——完膚なきまでに」
わずかな沈黙。
「……我々は、敗北した」
その言葉を受け止める。
重いはずだ。
理解しているはずだ。
だが、その重さがどこか遠い。
「……そうか」
それだけを返す。
言葉の中身よりも、"返したという事実"だけが残る。
第4話 了
第5話:滅びし世界の少女
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