世界の裂け目が開く時 ー第8話 幻想の狭間 【創作大賞2026】|ファンタジー部門
前回の話はこちらです
窓の外に——
歪みが、見えた。
ミシミシミシと。
空気が、軋んでいた。
「——きゃあああああああああああ」
凪が、頭を抱えて叫んだ。
ルーミャが凪に駆け寄る。
神崎が娘の名を呼ぶ。
朔は、動かなかった。
視界の端に——神崎佐和がいた。
騒ぎの中で、ただ一人。
静かに立っていた。
……おかしい。
力が増大している。歪みが大きくなるほど、消えるべきものが消えるほど——認識の解像度が上がっていく。だからこそ、わかる。
あの人は、人ではない。
「……朔?」
ルーミャの声で、我に返った。
佐和がこちらを向いた。
目が合った。
フフフと——微笑んでいる気がした。
しばらくして、凪が顔を上げた。
視線が床に落ちた。
「……スマホ」
「……消えた」
凪が、スマホが消えていることに気づく。
朔も——ポケットに手をやった。
重みが、なかった。
違和感の正体は、そこにあった。
何かが——消えている。
「確かにな」
朔が答えた。
「そんなもの元から無かったじゃない、あなた」
佐和が、穏やかに言った。
歪みの衝撃波が、再度発生する。
時が——戻っていく。
扉が、修復された。
おにぎりが、置かれた。
世界が元に戻っていく。
私達だけが——そのまま、だった。
パン。
パン。
銃声が、鳴り響いた。
……コトコト。
何かが、揺れている。
ルーミャを引き寄せた。
カタカタと——揺れている。
冷蔵庫が、消えた。形を失い——溶けるように、消えていく。
炊飯器も。
風呂場も。
消えていく。
だが——人だけが、残った。
そこにいたのは——血を被った、佐和だった。
その血は——まぎれもなく、先程まで生きていた娘と、夫のものだろう。
「……何時気付いた?」
朔は、はっきりと答えた。
「妻に怒られる際。俺は何も言っていないのに、弁当を二個用意していた」
「そこまであってるわけないでしょう?」
「どうして?」
「俺が国家機密だから。国家機密は——誰にも、知られないはずだろ」
佐和が、息をついた。
「……はあ。今回もダメだったわね」
刹那——
歪みが、揺れた。
衝撃が来た。
また——揺れた。
また——来た。
連続で。
止まらない。
消える気配……人々の意識があらゆるところから消滅していき…。
そして——人類が、抹消された。
俺達を除いて…
しかし、佐和が、呟いた。
「……何故日本の世界遺産だけ消えてないのかしら?」
銃口が——こちらを向いた。
「はあ……死になさい!!」
銃声が、響いた。
近づいてくる——
目を瞑った。
痛みは、来なかった。
「ふぉふぉふぉ、ようやく救えたの」
不意に声が聞こえた。
気づけば——別の場所にいた。
目を開けて辺りを見渡してみると——
周りには歪みで、原形もとどめていなかった。
星も。
太陽も。
何もかも、消えている。
その中で。
光り輝く——神宮に包まれた場所に、立っていた。
社だけが——静かに、空に浮かんでいた。
空には——龍が、飛んでいた。
百、否二百以上の——多種多様な幻獣…。
唯一分かるのは…平和の象徴である麒麟。
それは静かに佇んでいた。
神様か何かわからない人達が、狛犬と追いかけっこをしていた。
辺りを見渡すと——狸がいた。
否、光に包まれた狸だった。
「……何処だここ???」
誰かが呟いた。
光に包まれた狸が——ふぉふぉふぉ、と笑った。
「……儂が呼んだわけではないのじゃが」
と呟いたのち、こうつぶやく。
「107回目か……。これも」
「どういうことだ?」
朔が聞いた。
「……お主等はこの2日間を、107回も繰り返されておる」
誰も、言葉が出なかった。
後——2日間を、107回も。
狸が、静かに続けた。
「初めまして、わしは徳川家康にひかれここにいる狸じゃ。名は要らぬ……。名乗るほどではないからな」
空に浮かぶ社が、光を帯びた。
「世界に選ばれし2人……。龍園朔——否、ルーカスというほうがよいか……。壊れし並行世界からのルーミャよ」
あちこちから——幻獣達が、2人を囲んだ。
荘厳だった。
圧倒的だった。
「ここは、現実ではない。特殊な磁場で構成された空間。わしは、そこの案内人みたいなものじゃよ」
「どうして救われたんですか?」
幻獣狸が、静かに答えた。
「お主がルーミャを救えたからじゃ」
沈黙が、落ちた。
ルーミャが——朔の袖を、そっと掴んだ。
「お主は、毎回敵と思い込み、棺を毎度破壊しておった」
刹那。
ルーミャの拳が、炸裂した。
「ル ー カ ス の ば か あ あ あ あ あ!!!」
間近での拳がルーカスの頬に当たり、吹っ飛んだ。
あちこちで——幻獣が爆笑した。
龍が腹を抱えて空を転げ回っていた。
麒麟が静かに目を逸らしていた。
狛犬が追いかけっこを止めて見ていた。
幻獣狸だけが、ふぉふぉふぉ、と笑っていた。
「……107回も棺を壊されたルーミャも大概じゃがな」
「でもなんで救われたんですか?」
ルーミャが、聞いた。
腹を抑えてのたうち回るルーカスを放置して、続きを聞いた。
「敵の力をそぐためじゃ。お主の世界を消した存在……。旧世界に関係する神、この世界では混沌——歪みから生まれしもの」
「……じゃあ……並行世界は……」
幻獣狸が、少し間を置いた。
「それは人々が、犯してはいけぬ罪を犯したからじゃ」
風のない空間で——何かが、揺れた気がした。
「……どんな罪ですか」
ルーミャの声が、小さかった。
「お主が1番知っておるじゃろう。惑星破壊兵器と並ぶ——人類の生息地を消す、あの……」
「それって……」
「名はしてはいけぬぞ」
幻獣狸が、静かに遮った。
この空間全体が——静寂に包まれる。
それは…その名前を、拒絶しているようだった。
「……私の世界が消えた理由だからか…」
「……世界に祝福された、故に追放されたのじゃよ…汝まで消される訳にはいかぬとな」
その後——ルーカスが、起き上がった。
よろよろと。
頬に、ルーミャの拳の跡が残っていた。
周りでは——幻獣達がまだくすくすと笑っていた。
龍が空をゆったりと旋回している。
麒麟が遠くで静かに佇んでいた。
狛犬は飽きたのか、また追いかけっこを再開していた。
何もかもが消えた世界の中で——ここだけが、生きていた。
幻獣狸は、じっと見つめていた。
「……奴は2日程また時間を戻すじゃろう」
「……どうしようもできないのか」
「じゃから、ここに力を集めた。故に……奴は知らぬ」
「何故知らないんですか?」
「この国の力じゃよ。ここは**八百万の神のいる国、日本じゃ**……。それだけで十分じゃろ?」
沈黙が、落ちた。
「……400年以上、ここで待っておったのはそのためじゃよ」
幻獣狸の声が——静かに、この空間に響いた。
「世界の書き換えに対抗する力……祈りみたいな?」
ルーミャが聞いた。
「否……、"認識"の概念じゃよ」
「概念ですか?」
幻獣狸が、続けた。
「人々の意識上にあるものは在り、ないものはない」
「見なくなったものは——ないと認識する」
「あるものは"在る"と認識する」
空に浮かぶ社が——また、光を帯びた。
「……同時に、この世界には忘れてはいけぬものがある」
「……この世界はの」
「……これまで奴が消してきた世界とは、異なるんじゃよ」
「世界に"概念"があるからですか?」
ルーミャが、静かに言った。
幻獣狸は頷く。
幻獣狸が、目を細めた。
何を問いただそうとしているのかルーカスには分かった…。それが自分の力の事だと……。
「……概念を、どう使うんですか」
「概念とは川の流れと同じじゃ。総ては流れで決まっておる」
「奴がしたことは——その流れを、無理やり変えようとしたことじゃ」
「じゃから世界が、歪んだ」
ふぉふぉふぉ、と幻獣狸が笑った。
「さて、誰じゃったか」
「……は?」
「万物は流転する、とか言っておった者がおってな」
「名前は……ふむ……」
「まあ、ええか」
ドサッ。
ルーカスが、転げた。
ルーミャが、転げた。
幻獣が、笑った。
龍が、落ちた。
狛犬が、転げた。
幻獣狸が——ふぉふぉふぉと笑いながら、転げた。
全員、すってんころりんだった。
麒麟だけが——静かに立っていた。
前足で、頭を掻いていた。
転がったまま——幻獣狸が、言った。
「始まりに戻る」
「えっ?」
「対策方法は単純じゃ」
「世界の裂け目が開く時——」
一拍。
「——それまでに……敵を排除する事」
「じゃが」
幻獣狸が、少し間を置いた。
「佐和は恐らく違うじゃろうな」
「……どういうことですか」
「次は——宿らせぬ」
煙が、漂った。
この空間に——
静寂が、満ちた。
第8話 了
第9話 108回目の朝 【今晩投稿】
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