オカルトコメディ読切短編小説「俺達の信夫」
これは二次創作なのか?
友達のnoterかし子嬢(以下・かし子)の書いている小説の登場人物である「市媛 信夫」を幸せにするべく私はプロジェクト「俺達の信夫」を立ち上げた。
信夫のガバガバだった人物設定を分析して順調に把握した私は、自分の書いている小説に彼をぶっ込んで動作確認を試みた。
てなわけで、かし子の小説の書き方を手本に、民俗学を専攻している」信夫が、1人で妖怪探索に和歌山を訪れ、宿無しになった話を書いてみたぜ!
1話:信夫と見上げ入道
弱ったな、土地勘のないところで宿無しになるとは。
酷暑で身動きの取れなかった夏休みの終わりに暑さの目処を見て紀州に渡った俺は、着いて早々に農道の真ん中で途方に暮れた。
勝手気ままな1人旅で赴いたのはいいが、地域に一軒しかないビジネスホテルでダブルブッキングが発覚。
相手が身重の奥さんを連れた夫婦だったので、どうぞどうぞと部屋を譲った。
だがホテルはすでに満室。
俺は着いて早々に暮れなずむ9月半ばの空の下、1人で思考に耽っている。
またの名を現実逃避。いや、逃避するな信夫、生きるんだ。
天候も怪しいし、宿無しは避けたい。
比較的栄えた和歌山市内に一旦戻ってビジネスホテルを探そうと、数十分前に降りたバス停に戻って時刻表を覗き込んだ時、突然クラクションを鳴らされた。
顔を上げると、窓が開いた白い軽が横付けされていて、運転席から身を乗り出した男性が声をかけてきた。
「17時で最終のバス行ったぜ?」
マジか、さっきのが最終!
「この辺りの交通手段もう無いんだってよ」
地元の人か?とよく見ると、男は車の外から見ても分かるほどに大きな体躯で一見外国人かと思ったが、言葉に訛りはない。
ナンバープレートを見るとレンタカー、どうやら同じ観光目的のようだ。
推測だが、この人達もバスに乗れずに慌ててレンタカーを借りに引き返したのかもしれない。
それな、それだよ。
春に興味本位で大阪の「処刑場」探索に赴いた時は、片田舎でも夜の10時まではスムーズだったものだから、俺は完全に交通網を甘く見ていた。
あれは大阪でここは和歌山だ、マイカーがあって当たり前の地域でバスの本数が多いはずない。
初めからレンタカーを借りておけばよかったんだ!
今日はどこまでもついていない、と項垂れる俺に男は気さくに「乗ってく?送るよ?」と誘ってくれた。
すると運転手の男の隣で、静かにナビとスマホを見比べていた助手席の男が顔を上げて俺を見た、この人も同じくらいデカい。
「ダメだリキ、俺は一刻も早く俺の兄貴に会いたいから、方向が同じでないと青年を乗せるわけにはいかない」
「んなこと言うなよぉ、こんな辺鄙なとこで1人とか可哀想じゃん」
俺はまだ彼らに出会って一言も言葉を発していないが、どうやら勝手にヒッチハイクを成功させて、乗車拒否を喰らう一連の流れがすでに終わったようだ。
「兄貴達はもう現地で俺を待っているんだぞ?俺の兄貴が俺を現地で待っているんだ、ゆっくりしている暇は無い」
一瞬、そうか、と納得しかけたが、ゆっくり聴いたら同じことを2回繰り返している。大事だから2回言ったのだろうか。
「んで、お兄さんはどこ行くの?」
そうだった!
ここから所用駅まで徒歩1時間、第一村人発見かと思ったら村人でもない。
そもそも道に人なんか俺たち以外いないのかもしれない。田んぼのカラスしか見ていない。
なんにせよ俺に彼らを頼る以外に選択肢はないようだ。
などと考え込む俺を2人はジッと見ている。
いけない、ついつい自分の頭の中での会話“俺トーク“に夢中になってしまう癖がある。
「乗ってくよな?」
と後部座席を指差しす姿を俯瞰して見る、どう見ても車のサイズが合ってない。
軽しか選べなかったのは分かるが、チワワのゲージの中のサモエドみたいになっている事態が気になってきた。
「お兄さん?…あれ?俺の声、聞こえ辛いかな」
「バカもん、お前の声が聞こえづらかったら世界中がウィスパーボイスだ」
俺も日本人にしては大柄の180cmだが、この2人は擦れ違ったら二度見レベルでデカい。
この車に俺も乗ったら、狭いフィアットに箱乗りしているルパン一味と見間違われそうだ。
「なぁ!おい、え〜っと……この人なんて名前?」
「知るか。出会い頭3分だぞ?初見にも程がある」
「そっか、なぁ!アンタ!乗って行く?」
別になんの違反もしていないが、警察に追われそうな気がする。それもインターポール…世界警察だ。
「…もういいや、乗せようぜ!」
「待て、同意を得ないと犯罪だ!誘拐だぞ!」
「人通りのないとこって知ってて置き去りにすんのも犯罪じゃんか」
「……犬猫じゃないんだ、いい大人だから声かけの義務程度で済むんじゃないのか?」
「犬も猫も人もおんなじ哺乳類だから一緒だよ!!」
また考えに耽ってた俺の前で運転席のドアが開いた。
先に声をかけた男が頭をぶつけないように下げてのっそりと出てきた。ゆうに2mはありそうだ。
「なぁ!」
男は夕焼けを背にして俺の前に立ち、初見の俺の肩をなんの躊躇もなくポンと叩いた。逆光で顔がよく見えない。
俺は佐渡に伝わる妖怪、ばったり出会って見上げるほどに大きくなる“見上げ入道“を今度は思い出した。
考えてみると人を見上げたのも久しぶりかもしれない。
「どっか宿とってるの?それとも帰り?」
「あ、そうだ!実は宿が……」
考え事をしている場合じゃなかった!
対向車はおろか自転車一台も走らない道路で俺は事のあらましを伝えた。
運転席の男はゆったりと車の屋根に乗せた肘に顎を置いて深く相槌しながら話を聞いてくれ、助手席の男も車を降りて腕を組んで聞き耳だけ立てていた。
「そっかー、元気な赤ちゃんが生まれるといいな!」
話を聞き終えると、運転席の男は今はそれじゃないの代表みたいな言葉で話を締めた。
俺の嫁じゃないしな。と心の中で遠い目をしていると「バカリキ!今心配するのはそこじゃない」と充時さんが助け舟を出してくれた。
「急がないと!俺の兄貴が俺を待っているんだ、待っているんだぞ?俺の兄貴が俺を」
いや違った、兄貴が大事だから同じ言葉を2回繰り返すブラコンだ。やっぱり運転席の男に話そう。
「それはさー…ま、いいや。そんで泊まるとこ決まった?え〜っと、名前」
「しのぶです。信じるに、夫で」
そう言いながらつい癖で漢字まで説明してしまった。
そこまで名乗る必要もないが、俺にはトラウマがある。
俺の名前は読み間違えられやすく小学校一年から担任が変わるたびに説明していて、標準装備になっているのだ。
俺が漢字を伝えると、運転席の男は素直に車のバンパーに太い指で書こうとしたが「信じるってイって書くやつ?」と謎の言葉を発して止まった。
それを見兼ねた助手席の男が「カタカナのイに、漢字の言…う、だろ?そんで、」「あ、夫は分かる!大丈夫!」「てめ、それは天だ!お前が言った大丈夫の夫だバカ!」と低レベルなのに解読するには高度な会話を繰り返し、何度もバンパーにデカい字で「信夫」を練習し始めた。
それを眺めながら俺は既視感を感じた。
この車のバンパー、沢山の手が追いかけてくる系の怪談話のオチによくある「たくさんの手形が残ってた!」の俺の名前バージョンみたいだ。即刻やめてほしい。
その車を何日で契約したか知らんが、俺の刻印が残ったままの返却は避けてくれ。
「よし!あんたの名前心得たぜ!俺はリキ!カタカナでリキ!よろしくな」
「俺は充時だ。愛する兄貴と一文字違いだ」
その兄貴の名前を知らないから全く容量を得ていないがまぁいいか。
「そんで、ノブオはさ」
おっと、口頭で伝えたのに間違われる新しいパターン。ハラハラする。
「違う、しのぶ君だ。ま、どっちでもいいけど」
おっと違う、それは俺のセリフだ充時さん。ま、どっちでもいいけど。
「泊まるとこないんだよな!俺達んとこ来いよ!」
「え?」
「こっから1時間くらい走ったグランピング場。先輩のコネで貸し切ってるから1人増えてもバレねぇよ」
「いやいや急だしそんな訳にはいかないですよ!申し訳ないですが和歌山駅まで送っていただけたら…」
正直、泊めてくれたら助かる。
スマホで検索していたホテルの部屋も今ちょうど埋まり、予算オーバーにも程があるスイートかもっとスイートなラブホしか行き場がなくなっていたからだ。
秋の始めだから野宿しても天候や気温に命までは奪われないが、出来れば宿無しは避けたいし、布団に背をつけて眠りたい。
とは言え初見の人の誘いに即答はさすがに気が引けるから、もう一回誘ってくれたら承諾しようと思っていたら、有り難いことに充時さんが加勢してくれた。
「和歌山駅は逆方向だ、断る。一刻も早く施設で俺を待つ俺の兄貴に俺は会いたい。君が泊まれるように交渉する、待ってろ」
それでいいけど、腑に落ちない承諾をもらって俺は彼らの宿舎に入れてもらうことになった。不本意だが感謝はしています。
すぐに充時さんが連絡を取り始めてくれ、とりあえず一安心で充電の切れかけたスマホをポケットに押し込んだ。
「お〜いノブオ〜デカビタ飲む?」
気がついたら少し離れた自販機でリキさんがハイカロリーな黄色い炭酸飲料を買っている。
あんなに大きいのに初動に気付けなかった、素早い。そんな事より。
「その自販機、デカビタ一択なんですか?!」
「自販機じゃねぇよ、俺の選択肢がデカビタ!ノブオは…緑茶顔」
顔?
ガタンッ
自由だ、俺の周りにいる人達と違った意味で自由だ!
なんの猶予もなく緑茶が取り出し口から出され、続いて「充時は〜」「俺はウェルチの葡萄だ」「…デカビタ」「リキ貴様ッ!!」と、悟空とベジータのような会話を繰り返している。
俺が渋めのカテキンの効いた顔で緑茶のペットボトルを受け取ると、充時さんが「いいって、乗れよ」と親指を後部座席に向けて合図した。
「つっても男だらけでむさ苦しいけど、」
次に充時さんは「兄貴はむさ苦しくないから」と言う。
「俺の兄貴は清楚可憐だから」
くそ、まだまだだった。
2話:信夫と注文の多い料理店
山深い清流の側にあるグランピング場の一番豪華なロッジに車を横付けすると、中から男性が「はいはい」と出てきた。
良かった、仲間は普通そうな人…いやデカい。デカいぞ?
遠目に見たら普通なのに近付くほどに大きく見える、まるで新手のトリックアートのようだ!
「君が信夫君?ようこそ」
だが目の前に立つと男性の身長は俺より少し大きい程度だった。
同乗している2人が規格外すぎたせいで脳が混乱しているが、俺と視線がほぼぴったり合う人もちゃんとデカい。だがまだ慎ましいデカさだ。
「初めまして、急な事にご対応いただきありがとうございます!」
「困ったときはお互いさまだよ。リキ、車回したら奥の部屋に荷物一緒に運んであげて」
「あ〜い!」
「兄貴!お待たせ!俺だよ!」
助手席から降りた充時さんが頬を綻ばせて男性の腰を抱き寄せた。もう推測するまでもないがこの人が噂の“清楚可憐“なお兄さんだったのか。
確かに所作が淑やかで清楚は理解出来るが、それよりも肉体美が際立って可憐が難しい事と、距離感が兄弟ではなく妻の距離だ。
いつもの事か既に諦めているのか、お兄さんは全く気にせず俺に笑いかけた。
「挨拶が前後しちゃったけど、僕は宗谷 有時「俺の兄貴だ」っよろ、ん…その、弟の兄です」
お兄さんから漂う言わされた感と、充時さんから溢れる兄弟であることの誇りと圧がすごい。これが混じりっ気なしの純度の高いブラコンの圧力か。
「どうぞ入って。もう夕食の支度始まってるから」
この人達が肩車して横並びでも入れるような大きな扉から建物の中に入ると、新設なのか檜のいい匂いがした。
エントランスだけですでにコンビニくらい広さがあり、先にたたきに上がった有時さんがサッとしゃがんで白いスリッパを出してくれた。
「信夫くんはこのスリッパを使ってね」
「ありがとうございます」
よく見ると有時さんのスリッパは紫のファー付きのムートン、充時さんは俺と同じ白のファー無しムートンスリッパ。
お客様は神様なんて時代は彼方の星だが、格差がすごい。何か深い理由がありそうだ。
「床の上はスリッパで、リビングのカーペットはで脱いでね」
「はい、承知しました」
……いや、絶対何かあるな。
「そこの洗面台で爪ブラシも使って手を洗って、紙コップを使ってイソジンでうがいして、手洗いの後はペーパータオルを2枚使って手を拭いてね」
「は、はい」
「もしタオルを使いたい時はブラウンのみでブルーのタオルは絶対に使わない」
「……はい」
あまりのルールの多さに不安になってきて隣を見ると、充時さんは当たり前のようにルーチンをこなしている。ここでは当たり前なのか?
「信夫くん、お洋服の素材にシルクは入っていない?」
「え?コットンとレーヨン…です…?」
「了解。アルコールスプレーするから、目と口を閉じてね」
えっと、これは注文の多い料理店の展開?
思い返すと敷地に入るゲートに書いていた施設名が『リンクス』だった、日本語で“山猫“の意味だ。
宮沢賢治の有名な著書『注文の多い料理店』も山猫軒だった気がする。
最後に塩を振られそうになったら、走って逃げれるようにしておこう。
「ごめんねぇ。1人神経質な人がいるから」
「い、いいえ!僕の方が突然お邪魔しているので従います!」
何とか課題をクリアした俺を有時さんが振り向いた、黒目がちな目が優しく弧を描いて目尻に優しいシワがある。
無難そうと見せかけて建物の奥に誘うタイプのミステリーでは一番に犯人の伏線を読者に疑わせる引っ掛けの達人のポジションの人かもしれない。
精神を試すような質問をしてきたら用心しよう。
腹を据えた俺の前を歩く有時さんが、思い出したように隣の充時さんに声をかけた。
「充時。「はい喜んで」オーナーさんがBBQの手伝いに1人来て、……?ほ、欲しいんだって。行ってぇ……もらっていい…か、な?」
前のめりの返事をした刹那、弟は一陣の風になっていた。
すでに背中も見えない弟をキョロキョロ探しつつ最後まで要件を言い切ると、頭を掻きながら俺を振り返った。
俺達を包む沈黙と、遅れて吹いた充時さんの疾風。
少し頬が赤くなった有時さんは、強めの咳払いで恥ずかしさと一緒に微妙な空気を力技でねじ伏せた。
「驚くよね。僕の弟、反射が早押しクイズ王みたいなんだ」
初めて聞く弁解。
そしてクイズ王でも“オーナー“までは聞きます、有時さん!
「いえ…、察しと判断のいい、弟さんです…ね?」
そしてこんなこんな弁解も生まれて初めてだ、人生って面白い。
俺はこの一連の行動を見て気がついた。
この人は勝手に周りに神格化されて困ってるただの善良な人で、ミステリーには関わらないタイプの人だ。
通されたメインルームはざっと12畳はある広さで、真ん中に革張りのソファと象徴的な大きな暖炉があった。
照明は大小様々な間接照明のみしか見当たらず薄暗さを感じていると、有時さんが「見て」と言って扉の横にあるスイッチを入れた。
するとドーム型の天井の覆いが取れて、ちょうど暗くなってきた空でプラネタリウムが出来上がった。
なるほど、このカラクリの為に天井の照明がつけられなかったのか。
壁もほぼガラスにしていて空間をさらに広く見せているし、サッシの向こうのテラスで晩御飯のBBQの支度が進んでいるのが見え、駐車場から荷物を抱えて戻ったリキくんが俺に手を振っている。
きっとこんな演出されたら恋人達はロマンチックに寄り添うだろう、現に有時さんはとても気に入っているのかうっとりしている。
だが俺は防犯面と耐震が気掛かりになり、外を見るふりをして軽くガラスを叩いて確認した。
二重構造になっているし、車のフロントガラスと同じか。
石が当たっても派手に割れないし、天空の城ラピュタの様に空から人やロボットが降って来ない限り粉砕はしないだろう。
「どうぞかけて待ってて。主催者の巴を呼んでくるから」
「はい」
それにしても、偶然から始まって山奥で催される何かに突然参加することになるミステリーの醍醐味の世界線が俺にもあるとはな。
古びた山奥の洋館でなく、近代的なグランピング場だから大丈夫か。
貸切と聞いたしうっかりコナンくんが参戦する事はなさそうだが、ホラーも似た伏線があるが今は少し休ませてもらおう、長距離移動で疲れた。
たくさん歩いて張ったふくらはぎを叩きながらソファのそばに行くと、突然、殺気のような鋭い視線を感じた。
3話:信夫とナニカ
俺はソファに腰を下ろすのをやめて辺りをゆっくり見渡した。
テラスでは充時さんとこの施設のオーナーと思わしき年配の男性が火の具合を見ながら談笑し、リキさんは準備されていたおにぎりをつまみ食い、目を閉じ口を尖らせた。く〜!!紀州の梅は酸っぱい!じゃなくて。
誰もこちらを見ていない。
有時さんはメインルームから通じる個人寝室の扉を開けて中に入ったきり。
この密室には俺しかいないはずなのに、確実にナニカの鋭い視線と気配を感じる。
研ぎ澄ませ、信夫。自分の中の名探偵を。いや、名探偵を研ぎ澄ますってなんだ?
悩んでいる間も真っ赤な警告色の視線がどこからか俺の背中を刺している。怖い。
とりあえずやれ、今は俺しか俺に頼りはない、明日を生き抜くんだ。
恐る恐る視線の方向を目で追うが壁しか見えない。
でも少し陰になっていてハシゴがかかっていた、ロフトがあるようだ。
この上から視線を感じる。
突然だが、俺は霊感がある。
だからこの手のことは慣れている。
ハイツだろうがロッジだろうが、屋内でありながら切り離された様な異空間のロフトは心霊現象と相性がいい。
せっかく親切をしてくれた方々に霊がいるなどと言うのは失礼かもしれないが、何かあった後では恩を仇で返すようなものだ。
避けれる悪いモノは避けなければならない。
「ごめんね信夫君。巴どこかに行ったみたいで、」
意を決して見上げると、月明かりの下にうずくまるナニカの白い目がキラッとし、同時に部屋に戻った有時さんが扉を閉めた。
彼らは全てを腕力で対処できそうな見た目ではあるが、霊的なものなら腕力では敵わない。俺がなんとかしなければ!
「あ、あの、有時さん!突然すみませんがその、この辺りでよく聞く噂とか知ってますか?」
「噂?……」
「なんでもいいので教えてください!」
俺の質問に有時さんは眉をひそめて僅かに頷き口元に手を当てた。心当たりがあるようだチクショウ、ビンゴか。
「確か。上流でヤマメ、下流では……うなぎが獲れる」
それはとってもホットな情報ですね、ですが今はそれじゃない!
「いやあの、紀州の清流グルメの噂じゃないです」
「なんだろう?冬には猪豚で牡丹鍋、海ならクエ鍋、捕鯨もしてるからこれからは鯨も気になるよね」
もしやこの人…
「お腹空いてるんですか?!」
「うん」
ぐう、と鳴ったお腹をさすった。
だめだ、話は通じるが返答が胃袋中心すぎる。
俺が今まで過ごしていた小説の中でものっぴきならない登場人物が多かったが、ここはまた違った特殊さがあって、俺のスキル「ツッコミ」だけでは太刀打ちは厳しい。
もうはっきり言うしかない。
施設全体を貸し切っているなら、ここ以外の部屋でも寝れるはずだし、助けていただいた恩を返す意味でも忠告しておこう。
「落ち着いて聞いてください、ロフトの上にナニカがいます!」
俺が指差すと有時さんは素直に俺の指先を見た、そしてハッと目を見開く。
驚かせてしまったのは申し訳ないがこの人も「視える」質かもしれない。
それなら話は早い。まずは安全の確保を促す説得だ。
「部屋はここ以外にもあるんですよね?できれば…、」
「巴ったら!そんなところにいたの!」
変えた方がいい、って、え?
有時さんが胸を押さえて早足でロフトの下まで近づくと、暗闇からぬるっとデカいイケメンが姿を現した。
思わず二度見した俺の前で有時さんを見下ろすイケメンの目元が緩んで、まっすぐな眉尻が安心でみるみる下がる。
でも俺の視線に気がつくとスーっと視線を細めて舌打ちした。初見のイケメンの舌打ち、痛む心にめちゃ響く。
「信夫君。えっと……これが巴です」
何事もないみたいな顔でさらっと誤魔化そうとしてるけど有時さん、なんか色々無理そうです。
それを証拠に今紹介されたこの集まりの主催者である巴さんは、キャットタワーの上の猫みたいに俺の様子を逐一確認し、目があうと牙を剥いて威嚇を繰り返し、有時さんがため息を吐く。
「ごめんね。巴は極度の人見知りな上に、オフの間に受けたヘルニアの手術の予後が悪くて機嫌が悪いんだ。
でも困っている信夫くんを野晒しにする訳にいかないでしょう。
巴なりの譲歩だけは理解してあげてほしい」
そんな飼い主に騙されて注射打たれた、病院帰りの猫みたいなこと言われても。今後、旅の荷物リストに「チュール」を入れようかな。
「ほら巴、大丈夫だから信夫君に挨拶して?」
有時さんが少し梯子に登って顔を近づけると、ロミオとジュリエットよろしく擦り寄るが、それを見上げる俺にすぐギャンギャンの視線を返す。
もうここまで来たんだし腹括ってください巴さん、俺も腹括りますから。
自己紹介を諦めた有時さんに言われて「白瀬巴」で検索をかけると、まさかのWikipediaで出てきた。
大学時代から5人制バスケットボール日本代表をし、3回もキャプテンも務めている。スポーツは人並みにしか見ない俺でも凄いことが分かるなんて、控えめに言って日本の宝じゃん。
気になって他の人も調べたら、充時さん以外は皆プロのバスケットマンでA代表経験者だった、今日一の疲れがどっと俺に押し寄せる。
小鹿みたいに足を振るわせる俺の前で巴さんは、甘えているのか術後の傷が痛むのか、蚊の鳴くような小さな声で有時さんに何か呟いた。
「え?腰が痛くて降りれないの?お薬の切れる時間だね。信夫君ごめん、リキを呼んでくれる?」
「あ、はい!」
サッシを開けてリキさんを呼ぶと、室内を見て自体を把握したのか荷物を持って、慌てて中に入ってきてくれたが。
「ちと、タンマ」と、入ってすぐに置かれた「除菌99.9%」と書かれた極圧のウェットティッシュで手を拭き始めた。
洋服にアルコール消毒を振りかけポビドンのマウススプレーを喉にシュシュっとして白くてマジックで“リキ“と書かれたスリッパを履いた。
きっと出て行く時もここから出たんだろう、いるよな。何故か玄関から出入りしない人。
そして多分だが、面倒なルーチンは巴さんのためか。
ルーチンを済ませたリキさんがハシゴの下に来て両手を広げると、あろう事か巴さんはこちらにも牙を剥いた。
助けようとしている人にもひと通り牙を剥く、飼い主以外に懐かない強火の同担拒否の猫らしい行動だ。
「ちょ、先ぱ…わっ、すいません、すいませんって!!」
「こら巴、シャーしないの」
「俺が嫌なのは分かりますけど我慢してくださいっす!ハシゴ危ないんだから!」
困った大人達を困らせる、最強の困った大人の猫がいる。
もしかして。
俺を警戒してキャットタワー(ロフト)に身を隠したのではなく、ちょっとテンションが上がって木に登ってみたら降りれなくなった系の猫?
「もう。降りれないのになんで登っちゃうのかな」
「責めないでくださいっす、男子は高いとこ冒険したいんすよ!ね、せんぱ……アダダダダっつ!!」
「巴、爪しまって。大丈夫だよ、大丈夫だから」
と、言うか。
俺は一体何を見せられているんだろうか。
困ったお猫様は今度は少しモジモジし、有時さんに耳打ちをした。
「え?おトイレ?腰の手術すると近くなるんだよね。ほら観念なさい!」
しょぼしょぼになった猫、もとい巴さんは、リキさんに支えられながらハシゴから降り、有時さんと色違いで黒のファー付きムートンの黒いスリッパを履いて無事にトイレを済ませた。
BBQの間も半径3メートル以内に俺を入れてくれず、向けられた言葉は「ポン酢」の一言だけ。
皆さんは終始「んな事……ねえょ?」とか「その魚を釣ったのは俺の兄貴だ、心してご相伴に預かれ」とか色々気を紛らわせてくれるが、やっぱり俺が来ることを警戒してロフトに隠れた気がして止まない。
ここはある意味で山猫軒だった。
そして巴さんは生じっか顔がいいから睨むと怖い。
4話:信夫と牛鬼
翌日は朝からここを出て和歌山県の西牟婁郡に向かおうとしていたが、あいにくの土砂降りで俺は途方に暮れた。
やっと俺が民俗学をしていることをメインにした話に辿り着いたのにこれだ。ここでも俺はこれなのか。
それにこの辺りに知見がある人なら「どう考えても市駅(和歌山駅)より白浜町に出たら温泉やリゾート関係の宿が腐るほどあるやろが」と思うかもしれない。
今回の作者であるなみさんが完全に見落としていた。面目ない。温泉に入った俺のお色気シーンも霧散した、それはいい。
朝から牛肉の入ったカレーと言う完全アスリート朝飯を一緒にご馳走になり、食べ終えると全員当たり前のようにそのまま朝寝スタイルに入った。
なんか、思ってたのと違う。
炭酸のジュースも飲むし俺が想像していたアスリートと真逆すぎるが「低燃費にしないと基礎代謝が高いからカロリー消費がヤバい」らしい。
206cmでウェイト100kを超えるリキさんは一日5500くらいのカロリーが必要なのだとか。
OLがスープ春雨におにぎりでおやつを迷うところ、この人はペヤング特盛にバニラアイスを食べてもなんら問題ない、実に腹立たしい筋肉量だ。
さらに今日はトレーニングしない「チルDAY」らしい。
そんなわけで、窓の外の雨を見つめる俺の後ろでリキさんと充時さんが転がって寝ている。
ロフトに登るハシゴを隠された巴さんは、湿度のせいで術後の傷が痛むのか寝つきも悪く、癖毛を毛繕いしながらまだ俺を警戒し、ソファで丸まって寝る有時さんから離れない。
胃に穴の開きそうな永遠みたいな20分後、有時さんが朝寝から目を覚ましてくれた。
そしてご機嫌斜めな巴さんに「もう面倒臭い」と呟いてクロワッサンに包んだ痛み止めの頓服を、あ〜んでまんまと食わせてソファに撃沈させた。
日本の宝に対する仕打ちがひどい。
「信夫くんは何をしに和歌山に来たの?」
コーヒーを淹れて戻った有時さんは、巴さんが伸びて寝ている腹のあたりにお尻を突っ込んで無理やりソファに座ると、柔らかそうな黒髪を撫でる。扱いが完全に猫。
斜め向かいの一人がけソファに俺が座ると、どうぞ、とホットコーヒーを一緒にバナナマフィンを寄せてくれた。
1時間ほど前にカレー食ったとこだし入らないですよ〜とか言ったけど、これがブラックコーヒーと相俟って俺の胃袋にシンデレラフィット。
うまい、だが、まずい。
あんたらはいいが、俺が小デブ街道を転げ落ちている。マフィンの咀嚼でなく話すことに集中しよう。
「民俗学を専攻していて、東京の「牛嶋神社」について調べていたんですよ」
それを聞くと有時さんはスマホでさっと調べ始め、読みながら興味深そうに顎に曲げた人差し指をあてた。
「ふうん。狛犬じゃなくて牛が鎮座してるんだね。隅田川に身投げした女官…あぁ、場所は浅草とスカイツリーの間くらいか」
「はい、そこで牛鬼が社中を走り回って落とした牛玉を奉納している言い伝えや源頼光の牛御前の話を見てたら興味が湧いて、夏休みを利用してそれの個人調査に赴いたんです」
「牛鬼?」
「三重県より西の地域に由縁のある妖怪です。分布が広くて迷ったけど、今回は和歌山の西牟婁郡にあたりの牛鬼の“俗信“について見聞きしたくて来たんです」
ここまで聞くと有時さんはスマホをテーブルに置き軽く首を傾げた、何か思い出しているのか髪を触る手が止まっている。
三重と言ったから赤福もちを思い出しているのかもしれない。
「俗信。それって、夜に爪を切ると親の死に目に会えないとか、バカと煙は高いところが好き、とか?」
「そうですね…あの、後半は現象を述べた言葉遊びですけど」
と、いうかあなたの側で熟睡している人へのさりげない悪口では?本当に面倒だったんだな。
「あの…そもそも、牛鬼ってご存知ですか?」
「ううん。名前を聞いてミノタウロスみたいなものだと想像していたけど違うの?」
「それはギリシャ神話ですね。牛鬼の見た目は蜘蛛に近いんです」
「牛で、鬼なのに?」
「確かに牛で鬼と聞くとミノタウロスの見た目を想像しがちですが、牛鬼は牛頭人身でなく、蜘蛛の体に牛に鬼が混ざった顔にが付いてるのが一般的な見た目なんですよ。
でも和歌山の牛鬼の胴体は猫のようなんです、興味深い」
「蜘蛛の体が一般的なのに和歌山では猫になるんだ?同じ生き物なのに地方で見た目が変わるんだね。唐揚げとザンギみたい」
「それは…呼び名が変わって見た目は変わらないパターンですね」
「は!これは?カレーとスープカリー!」
「それです!」
相変わらず胃袋に誠実な脱線。でも答えがあながち間違ってないからあなどれない。
一番細い人が一番食うパターンのやつか。
今の会話をリキさんが聞いていたら牛鬼の呼び名は今後「スープカリー」決定だが、有時さんはちゃんと牛鬼に戻してくれた、優しい。……いや、信夫。騙されるなよ、当たり前。
続けて和歌山に伝わる“牛鬼淵“の説明をすると最後まで興味深く聞きながらマフィンをモリモリ2個食べた、やはりお腹が空いている。
それにしてもこの人、大きな口で美味しそうに食べるな。
ちょうどいい具合でコーヒーのお代わりも出してくれるし、釣られて食べてしまう。
出来るだけ牛鬼に意識を高めていたが、まるでわんこマフィン。このままだと意識の高いデブになってしまう。
「この淵は滝なんですけど、底が海まで通じていて水が濁ると「牛鬼がいる」と言われていたんですよ。ここいらの牛鬼は出会っただけで人を病気に至らしめるから、鉢合わせないよう目印にしていたんでしょうね」
「出会っただけで病気に?」
有時さんは俺の話を聞きながら、腹が満たされると手持ち無沙汰につむじを中心にくるくると髪を巻きつけて遊んでいた巴さんの顔を見た。
「なんか。この人に似てるね」
「え?」
「巴に会うと一目で恋に落ちる人が多いんだもん。恋だって病って言うでしょう?」
急な例えに思考が止まる、はて、恋。
その言葉は知っているが、俺は感覚がいまいち掴めない。
「その例えは……随分とメルヘンですね」
「ううん、ロマンだよ」
「メルヘ…「ロマンだよ」
申し訳ございません。俺は恋するときめきや相手を欲しいと思う衝動でなく、妖怪や俗信、風習からくる障にしかロマンを感じられないようです。
「もしも淵の色が変わったり、うっかり牛鬼に会った時に使うのがその俗信なんです「石は流れる 木の葉は沈む 牛は嘶く 馬は吼える」このような逆の言葉を言うと命が助かると言われてます」
「ほう。長い」
そこか。
「今言った全部じゃなくて常識の逆を言うだけでいいんです、例えば赤色は地味な色とか」
「信夫くん嫌い」
「え?」
ほぼ初見の人に嫌われても全く気には留めないタイプで生きてきたが、ここまで真剣に話を聞いてくれてあんなに楽しそうに笑っていた有時さんが目の前で急に真顔で発した一言にかなり怯んでしまった。控えめに言って絶望。
「逆のことって、これであってる?」
みんなが俺を好きなことが全世界の共通認識みたいに言ってくれているのは嬉しいが、違う、そうじゃない。
「信夫くん消えて?」
悪意のない悪口ってけっこう刺さる。
鬼だ、鬼がいる。無邪気や天邪鬼とは本当によく言ったものだ。早めに黙らせるか正解を導いて自分の心を守らないと俺まで疑心の鬼になってしまうかもしれない。
「すいません有時さん、一回俺から離れて考えてみてください」
「はい」
有時さんはサッと立ち上がってソファを避けて3歩下がった。
そして目を閉じて続きを考え始め、俺は軽く頭を抱える。
有時さん。
物理じゃなくて思考って意味で俺から離れて欲しかったんだけどな。
そしてあなたが動いたことで巴さんが目を覚ましかけている。
ゴソゴソ動いて薄目を開けて、薬の作用に負けて白目を剥いた。イケメンは白目もイケメン。
だが、早く定位置に有時さんを戻さないと起きるのは時間の問題!
俺が心の中だけで焦り始めた瞬間、有時さんが閃いた。
「は。信夫くんは四足歩行!」
「あ!もうそれで正解!」
やっぱり俺から思考が離れてないし二足歩行の俺が四足になったとて逆とも言い難い絶妙な答えだが、きっとワンチャン牛鬼も騙される!
だから早く座って俺の平穏を守って!!
スッキリした顔の有時さんが定位置に戻ると再び巴さんは安眠に入り、村に平和が訪れた。
間一髪で厄災を逃れた俺は、この俗信の信ぴょう性を世界一実感している男だ。
「話を戻すけど、信夫くんはその淵も覗きたくて和歌山にきたんだね?」
「そうなんです!でもこの雨の中はちょっと…」
「そうだね。牛鬼に合わなくても濡れて病気になるよ。
鬼がそもそも何なのか俺はよく分からないけど、おおよそ病気を具現化したものじゃないかって思っているんだ。
研究熱心なのはいいけど、それで自分が鬼につかれちゃ行動の意味がなくなるよね」
「そ、そうなんです!鬼の解釈ってたくさんあるんですよね!躾のためとか、夜に無闇矢鱈と出歩かないようにしたとか、それも昔の日本の因習である「夜這い」を遂行するためであるとか考えだすとキリがないんですよ!困る、どんどん出てきて困る、は!すいません、つらつらと。ちょっとテンションが上がりました」
長すぎた!
やっちまった!と、視線を爪先に落とした俺に、優しい声が降る。
「ううん。信夫くんはとても研究者に向いているね。
あと、周りの人に少し蔑ろにされているのかな、オタクの早口すごい」
強く否定はできない。そしてなんで最後まで優しさに包ませてくれないんだこの人は。
否定できない確信をつくのが上手すぎてぐうの音も出ない。都合が悪い、話を戻そう。
「牛鬼は、山陰や四国では人を食う話も残ってるので一概にも病とは言えないんです」
「何か分からない悍ましいものを突然見て具合が悪くなるのは分かるけど、食べるの?人を?」
「はい」
「牛の頭だよね?角があるよね?」
「そうですね」
「角がある生き物は総じて草食動物なのに、牛鬼は人肉を食べるの?」
言われてみれば。
鹿も牛もヤギも角がある生き物は草ばかり食んでいる。ホーンとかアントラーとか関係なく草ばかり食んでいる。一瞬浮かんだ海の哺乳類イッカクの立派な一見ツノと呼ばれているあれも実はツノでなく前歯だ。
「鬼、だからですかね?」
「うん。伝承の鬼にも性別関係なく須く角があって人を食べるとよく聞く。
でも角があるのは草食の生き物に限るよね?それもおかしいよね?」
それは…生物学とか古生物学の範疇だが、古生物学と民俗学は親和性がある、貴重な意見かもしれない。
言われてみたら、鬼は人科だから肉食でいいと言ってしまうのは少々乱暴な意見かもしれない。日本最古の歴史書「古事記」や「日本書紀」にも鬼はいるが「もの」や「畏れ」のような概念で描かれている。
思い返せば中国では「死霊」を鬼としている。
なんで、人食ってんだ鬼、俺を困らせるな、鬼。
鬼の融通効きそうで効かないとこが本気で鬼だよね、鬼ムカつく。
5話:信夫とケンタウロス
俺が悶々としている間に目を覚ましたリキさんが「腹減った」と言いながら腹を掻いてキョロキョロし、マフィンを一口で食べた。
それを見た有時さんが「コーヒー牛乳淹れてあげるね」と立ち上がり、キッチンスペースに向かう。
甘いものを食べてしっかり目が覚めてきたリキさんは伸びとあくびをいっぺんにして「そんでノブオはなんで和歌山にいんの?」と話を振り出しに戻した。正直、めんどい。
今は鬼について思考を深めたい俺が手短に牛鬼の話をすると、今度は「へぇ、ケンタウロスみたいなの?」と発想は似ているが種類の違う動物を出してきた。
なぜここの人達は日本らしくて一番間違えやすい「牛頭鬼」がいの一番に出ないんだろうか。
「あれ?ケンタウロスって牛じゃなくて馬だっけ?」
リキさんが首を傾げていると、有時さんが去ってのそっと目を覚ました巴さんがぼそりと「馬」と呟いて毛繕いじゃない、有時さんにこねくり回されてくしゃくしゃになった髪の毛を撫で付け始めた。
「すげ!先輩詳しいんすね!」
その褒め言葉は一周回って失礼だ、リキさん!
「てかさぁ、ケンタウロスってさぁ、」
待て、俺の牛鬼はどこに行った?
「一人エッチしたくなったらどうすんの?」
は?
俺としたことが、発言が突飛すぎて内部思考を完全に失ってしまった。
「腰から上が人でしょ?そんで、下半身が馬。ちんちんに手が届かねぇ」
どうでもいいけど、男としてはかなり重要課題かもしれない。
それを証拠に巴さんも毛繕いをやめて何か考え初めている。
「は、発情期しか子作りはしないんじゃないですか?」
俺が絞り出した苦肉の回答に、リキさんはまだ納得がいかないのか腕を組んだ。
「でもな、頭は人間じゃん?脳みそ人間じゃん?てことは、発情期も人間じゃん?人間とウサギは万年発情期じゃん?」
た、確かに。
「両腕と前足と後ろ足もあんのによ、ムラムラしてもちんちん触れないの不憫だよなぁ、せっかく馬並みにデカいのに」
不憫と思われる説明の語彙が不憫すぎるが、確かに男としては死活問題だ。
男の本能に訴えかける疑問すぎてケンタウロスのために俺も微力ながら知恵を絞り始めている。
「ねぇ。誰かに口か手でしてもらうんじゃないの?」
ほぼ牛乳のコーヒー牛乳をリキさんに手渡しながら、急に有時さんが上品な口調で刺激的な意見をしてくれた。
定位置のソファに座ると巴さんが待ってました!と体をつけて寛ぎ、喉からゴロゴロ幻聴まで聞こえ始めた。
が、やはり俺を見る目は不穏だ。
「いや〜う〜ん…それだとさ、1人エッチじゃなくて2人エッチじゃん」
リキさんは片手で握りつぶせそうなカップを両手で持ってフーフーしながらまだ首を傾げている。
「そうか。それはセックスになるか」
がっくりする有時さんを見た巴さんの背筋が急にシャンとした。
「……人間と同じに考えんほうがいい。人間は自慰出来んのに快楽の為に人に頼むけど、ケンタウロスはそうやないから、家族・友人同士でも成立するかしれん。
そもそも、下半身も露出した状態が普通やからそれを恥ずかしい行為と思ってる人間の方がおかしいかもしれんやろ」
おぉ、一番説得力がある。
そして俺の牛鬼はどこに行った?
俺の牛鬼を探している俺に、リキさんは「そんで、ノブオはその吉野家みたいな生き物追っかけてきたんだな」とマイペースすぎて俺も牛鬼もいない理解をしてくれた。
すごい。だいたい合っているのに何一つ合っていない。
ある意味であんたは天才だ。
「なにやってんの?珍獣ハンター?」
思わずソワっとしてしまった、その肩書きはちょっとかっこいい。
「信夫くんは大学生だよ。リキが連れてきたのに何にも知らないんだから」
そうだぞ。それになんで全員俺が名前を間違えられ続けてるの気にしてないんだ?
標準装備なのか?
「そうだバカ。どちらかというと幻獣ハンターだ、牛鬼は妖怪だからな」
いつの間にか起きていた充時さんが立ち上がって「リキ、サウナ行こうぜ」と敷地内のサウナに問題児を誘ってくれた。
「へぇ〜妖怪なの?」
「そうだ、見た目は土蜘蛛に似ていてよく間違われる。そら行くぞ。あ、兄貴。……俺がいなくて寂しい思いをさせるけど、そんな時は左胸を触って。俺と同じ血が兄貴にも流れているから、生まれた時から兄貴の全身に俺がいる」
「うん。先に生まれたの俺だけどね」
「ク〜手厳しい!いってきます」とパチンと額を叩いてテヘペロで出て行った、よくわからんが幸せそうで何よりだ。
サウナの一言に巴さんがピクッとしたが「ドクターの許可がおりてから。一緒にお留守番」と嗜められてしゅんと尾を仕舞った。
「でも今日は顔色がいいよ」
「そろそろ体動かしたい」
「そうだね、でも、」
有時さんの言葉を遮って、突然巴さんが耳元で何か囁いた。
俺には聞こえなかったが多分エロいことを言ったに違いない。
証拠に「…もう…ばか」と呟いて巴さんの太ももをぱちっと叩いて少し尻をずらして距離をとった。
巴さん、皆さんの前ではかなりの猫を被っている。猫又の類かもしれない。
「そうだ巴。信夫くんね、牛鬼のことを調べに1人で和歌山まで来たんだって。巴は元々大阪の人だから近いし、本もよく読むでしょう?何か知らない?」
「……妖怪とかそんなんは読まん」
ツン、と向こうを向いてしまった、誰かこの“妖怪ツン猫“にデレを伝承してくれないだろうか。
「残念。
そうだ信夫くん。オーナーが知り合いのホテル経営者に信夫くんの事情を話したら、ちょうど使ってない空室があるから格安でどう?って。そちらにお世話になる?」
「え?いいんですか!」
「多分…曰く付きの部屋だと思うけど、それも合わせて妖怪のせいに出来るね」
「はい!…え?」
確かにそれはよく聞くけど!きっとただの噂、ただの噂だ!
「連絡しておいた。後は順調に牛鬼に会えるといいね」
「はい!」
ってノリと勢いで返事したけど。
それって案に俺が病気で死ぬか食われろってことです、有時さん!
突然の強固な死亡フラグに慄きながらも、俺はホテルを選択した。理由はもう言うまでもない。
オーナーさんが送ってくれることになり、お礼を言った流れでしばしの歓談をしていると、雨雲の切れ間に陽がさしてきて、俺達は軒下から車の近くに移動して荷物を積み込んだ。
なんだかんだあったが、一番話せるのはやっぱり有時さんだった気がする。
アスリートらしく握手の後にさっと手を引いてハグをしてくれた、大胸筋がすごい。これはもうおっぱい。
「雨上がってよかったね。でも道がぬかるむから山は気をつけてね。
信夫くんには災難だったけど、関西地方は雨が少なかったから、少しでも降ってありがたかったかも」
別れを惜しむ俺達を後ろから眺めていた巴さんは急に空を見上げて口を開いた。
ずっとシャーっと剥かれ続けた片八重歯が、雲の隙間の太陽できらっとひかる。
「大阪の南部は、牛の頭を生贄に雨乞いをする民間祭祀があった」
「そうなの?」
「牛石っていう首を置いてくる祭壇もまだある。牛を殺して漢神を祭るっていうて渡来人がもたらしたもんらしいけど。
牛鬼は西日本の水辺でしか出んし、誰もはっきりとした姿は見てない。せやけど確実に道饗祭は行われていた。
多分、その渡来人が海から持ってきた日本にない疫病の侵入を防ぐために道饗祭とか疫神祭が行われてたんやろな、怖い祟りをいなす神様って考えられてたと思われる……
牛頭天王あたり調べてみたらおもろいんちゃうか」
「え?メモ、マップ……ゆ、有益な情報ありがとうございます!」
RPGの最初の村の村長のお告げみたいな事急に言い出したし、そもそも一番興味深い話出来そうな人が一番話しにくい人だった!!今更ながら1週間くらい喋りたい!!
「ほなな。もう二度と関わらないで」
だが、また少し降り出した雨に濡れるのが嫌なのか、巴さんはつま先立ちでエントランスに消えてしまわれた。素早い。
有時さんは新しい疑問に首を傾げる。
「牛鬼は疫病守るのための儀式に牛の頭を使った伝承からの派生ってこと?じゃあなんで牛鬼に合うと逆に病気になるんだろう」
すると傘を持って戻った巴さんがそっと中に入れ、いい疑問やな、と傘で隠して不意打ちで頬にキスをした。
これが出会い頭に恋の病に陥れる巴さんの災いムーブ?
言っておくが、キスに関しては見たかった訳では断じて無い。
俺が一番アングルが低いから偶然見えただけだ。
昨日ソファで下ネタを言われた時は距離をとったが、今日の有時さんはしとしと降る雨に体温を逃すようにまつ毛を伏せて、濡れないフリを装って肩をつけた。
ほえぇ?
有時さんは巴さんが好きなのでござるか?乱世乱世〜ただの愛猫家じゃないのぉ?
急にすまない。
俺は色恋沙汰に疎いのだ、隣の芝よりきっと俺の恋愛観の方が青いほどに。
だが、ぎこちないながらも睦まじい2人を見ていると、胸がじわっとして東京の雑踏に溶けるようなある人の背中が浮かんだ。
俺にだってそれについて知っていきたい気持ちはあるし、振り向いて欲しい人もいる。
「考え方や捉え方はそれぞれやからな。
牛鬼の伝承はすべての厄を勝手に引き受けさせられた生贄の浮かばれへん気持ちを具現化したんかも」
「そうだよね。残酷に思っても習わしだから従った人もいるよね。
…判断はいつも究極なのに、正しさは後付けされたものなんだよね」
ミステリーの最後に生き残った主人公とヒロインが話締めるやつみたいになってきたな。
「昔の人々にとって天災は神の逆鱗であり、それを鎮める祭は決して覗いてはいけない禁忌。でも隠されると好奇心がくすぐられる。かと言ってみだりによそ者とか子供がのぞいて神様が怒ったら元の木阿弥や、やから真逆の妖怪や怪異を拵え広めた。
興味本位で神の禁忌に触れると命の保証はないってことや、そんな奴に関わるな。いくで」
「ちょっと、言い方、」
「一番は障に触れへんことや、俺は何も見てない聞いてない」
俺を嫌がってた理由、それなのか?
巴さんは最後までその謎だけは教えてくれなかった。
だが、車に同乗してくれたリキさんと充時さんが「先輩はお化けが怖いんだ、だから怪異は信じない。幽霊と言うと怖いから「呼び名は“お化け“に統一して!」と怒る徹底ぶりだ」「お化けっつったらワンチ見間違いっぽいもんな!先輩あったま良い〜」と憎めないエピソードをこっそり教えてくれた。
崇められているふりして、ちょっと舐められている。
俺と同じ不憫の匂いがプンプンする。
翌日からは天候にも恵まれ、巴お猫様のお告げ通りに調べると有益かつ面白い研究も出来た。
そして俺はホクホクで東京に帰った。
最終話:信夫の帰還
論文用の文献を探しに神保町に行くと、見間違いようのない美しい人とすれ違い、俺は二度見した。
あちらもややあって振り返る。
「やあ、信夫くん」
麗しの久我先生だった。
紀州では災難が続いたがおかげで厄を落としきったのかと牛神に感謝しつつ、土産の紀州梅の梅酒が家にあることを伝えようとした瞬間。
「君、少し太った?」
くそ、爆食アスリートとフードファイトしてしまったツケが回っていたか!
心なし体が重い気もした。
仕方がない、和歌山は海の幸も山の幸もうまい、それは俺のせいじゃない。
特に食を求めてないけど側にいられると釣られ食いする。一宿一飯過ごしたアスリートのその基礎代謝のせいだよ。
泣いて逃げるように久我先生と別れた後、今更なダイエットで昼飯を抜いて精力的に本屋を巡っているとお決まりの展開が始まった。
「あ、ひめちゃんのお兄さん!」
普段は出会い頭から話が展開される「いいか、人生は可愛いだけじゃダメなんだ!」でお馴染みの少年に出くわしてしまった。
だが今日は「元気ないね?餓鬼にでも憑かれたの?」とあながち間違いでもない心配をしてくれ、あらましを話すと、こぼれそうな大きな目で俺を繁々と見た。
「どこが太ったか全然分かんないよ?旅の疲れで自意識が過剰気味になってるんじゃない?」
と首を捻った。
太ってない?珍しくグッジョブだ。
言葉の棘は後でそっと抜いておくからな、俺の自意識。
「でもさー」
もう俺に飽きたのか踵を返した少年が顔だけ振り返り、あどけなさが残る唇に人差し指を立ててつぶやいた。
「逆にその程度な変化に気がつくくらい、ひめちゃんのお兄さんを見てたってことでしょ?それって…好きなのかな」
それって。
期待しちゃってよいのかな?
だが、これはただの少年の気まぐれで発された他人の意見であって、俺自身がその証拠を見て検証した結果ではない。
結論、都市伝説に近い。
だが、都市伝説も火のないところに立った煙とは言い切れない、なぜなら……
思考の海に沈んでいく俺に「和歌山では牛鬼が人を助けた唯一の伝説もあるんだって〜知らないけど」と、助け舟とまではいかないが、災害時の浮き輪の代わりの空のペットボトル程度の言葉を投げ、少年は雑踏にまぎれて行った。
以上、一旦解散!
駆け抜ける走り書き
文字数がダルいので別記事でまとめよう。
快く自分が生んだ登場人物を貸してくれ、一緒に遊んでくれたかし子2025の懐深さと好奇心に感謝と拍手を!
そして私達の思いつきの遊びを楽しんで読んでくれた皆さんの探究心にも感謝します。
